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古城 (山城)を行く  米津城跡

2018-04-07 14:04:30 | 歴史

別名   :滝ノ城

城主   :津々喜谷延行 もともと鎌倉時代に、守護として国入りした宇都宮家が

      地蔵ヶ嶽城(大洲城)を築城した宇都宮豊房の治世より代々治めていた。

      その時、同族の宇都宮氏が津々喜谷性を名乗り当地に米津城を築き

      居城とした。

築城者  :定かでないが宇都宮行胤

築城年  :1334年~1338年

標高   :145/137

形態   :山城

 

城主は南北朝期から、この地域の小領主として勢威を有していた津々喜谷延行である。

喜多郡地頭宇都宮氏の代官として下野国宇都宮滝村から入部したと言う。

その後、大洲地蔵嶽地主(大洲城)宇都宮氏と共に肱川流域一帯の支配に

あたったものと思われる。その支配の拠点が本城(米津城)である。城(米津城)は

肱川のほとりの岸壁の山の上にある。天正(1579年)土佐(高知県)の長宗我部に

よって攻められ落城、津々喜延行は、大洲市(手成)の西禅寺にて自刃したのである。

又、奥方である瑠璃の方は、幼いときよく遊びに行った白滝公園へ辿りついたが

土佐の長宗我部氏に奮戦むなしく遂に落城し、2歳になる世継ぎ尊雄丸(たけおまる)

を小脇に抱き60m下の滝つぼへ投身した(瑠璃姫の伝説になってる)のである。

遺構は、墓、建物などの跡などは見当たらなかった。本丸の一段下がった二の丸に

石で囲った水溜りのような形跡が見られた。又、掘り切り、二の丸、三の丸があり

本丸の斜面には竪堀が見られた。数十年~数百年前には、人が祀ったと

見られる四角い石済みがあり、その上に祠があったと思われる。

 

所在地   :愛媛県大洲市米津

松山市から56号線を宇和島方面に走り、伊予ICより約800m先を右折し378号線

を海沿いに走ります。双海シーサイド公園をすぎJR長浜駅まで約26.0km

その先の信号を左折氏、24号線に入ります。

ここから長浜駅まで約26.0km。その先の信号を左折

ここから白滝公園バス停まで約6.2km走ります。バス停を右折するとJR踏切があります。

踏み切りをわたって左折します。しばらく行くと白滝公園駐車場があります。

これから、七つの滝を見ながら階段を登って行きます。

七つの滝とは下から①落会の滝②会歓(ねむ)の滝③雄滝(おだき)④雌滝(めだき)⑤貫洞(ぬけんどう)の滝

⑥来光(らいこう)の滝⑦都の滝

 

ここが瑠璃姫が尊雄丸とともに投身した、滝壺

次に米津城へ行きます。24号線を八幡方面へ約1.1kmはしりますと斜め左へ入ります。

すぐ左に入ります(右に側にカーブミラー)があります。

ここから4.0~5.0kmで米津城跡(駐車場所)まで行きます。

この辺のの人に尋ねれば大丈夫です。

ここに車を止めます

ここから入山します。ここから米津城跡の山が見えます。道跡があり途中までは平坦な山道です

尾根を登ります。道跡があります。急な坂はありません

もう少しで到着します(頑張れ<<<)

到着したようです

ここが祠のあった石済み

東、南、西,三方は断崖絶壁です

遂に攻略成功<<オメデトピヨピヨ♪★

こんな絶壁城を長宗我部は(戦国時代)どのような戦略で勝ったのでしょう?????

戦国時代の戦いとは??

 

 

 

 

    

 

 

      



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