城主 :森岡喜三左衛門尉
築城者 :不明
築城年 :1575~1577年頃
標高 :405m
形態 :山城
松森城は土佐の長宗我部元親の
伊予来襲に備え1575年~1577年
頃造られたものと推測される.山頂付近は、
雑木に覆われていますが、山頂は削って
平らにし、その広さは約30アール位
あります。その台地は一の丸、二の丸、
三の丸と、言えるでしょう。ここには、
昔の原形を忍ばせる堀り割があります。
この掘り割を乾堀といいます。一度,蟻が
落ち込めば、再びはい上がることが出来ないと
言うことから、実に巧妙な工夫をこらした
つくりです.そこで又の名を蟻地獄堀とも
言われています。長宗我部軍は海路より
ひそかに犬寄峠に登り、根中城を
(根中城については、改めてブログに載せます)
手中にし、尾根伝いに攻めました。又一方は、
陸地を経て川沿いに攻め、双方より雲霞(うんが)
のごとく攻め入る大軍に、遂に力尽きたのです。
この炎を見た勇敢な兵たちは、影浦の小高い
山にかけ登り、焼け落ちていく城を見やりながら
無念の涙をのみ、互いに刺しちがえ、あるいは
切腹して果てたと言われています。この地を
(みやり塚)と呼び、五輪の塔が十数基
祭られています。日浦峰成(名)に
城主森岡喜三左衛門尉・奥方の墓として
五輪の塔が二基並んでいます。更に誓明寺
には城主の位牌が祭られています。
松本城ふもとに清冷寺があります。
名を大乗山棲霊寺とも言い、城主の
ぼだい寺であったとも伝えられています。
ここには、地蔵菩薩立像が安置されています。
又清冷寺の上に武士,建岡六衛門の墓があります。
竹岡家先祖の墓標があり、その周辺には
五輪石が数多く並べられています。これらの墓等に
ついてはまだ寺の調査していませんので、時間が
かかりますが出来るだけ調べたいと思っています。
それから,城主の子は、伊予市中山町に出て商人になった。。
所在地
愛媛県伊予市中山町大字佐礼谷字日浦
松山から国道56号線を宇和島方面へ走ります。数キロ走ると
三坂峠に入り、三坂トンネルの二つ目の長いトンネル(約 1000m)を
抜けるとすぐに左方向(佐礼谷方面)へ進んでください。
道なりにしばらく走ります。
約30分走ると松森城、根中城の矢印看板が見えます。そこを右に緩やかな坂を走ります。
ここから約30分~40分走ると、松森城、根中城に着きます。道路は広く
アスファルトですので、外車(ヾ(@^▽^@)ノわはは)でも大丈夫
根中城と松森城は続いています。根中城の奥が松森城になります。
根中城は広場と、駐車場になっており、桜の木がいっぱいあります。
松葉城も公園になっており、遺構はあまり、ありません。
松森城に着きました
掘り切りですか?
曲輪みたいです。
掘り切りかも・・・・・
木が小さければすばらしい景色なのに、残念です。木を植えるときに、眺めのいい
すばらしいところを2~3箇所明けとけば、何年立ってもいい景色がながめるのにな~
公園用の道に切り取ったみたいだな~
ここは、公園になっていますので、桜が咲く頃家族で行くと楽しいです。
早速アップされましたね、楽しみに見ています
今年もよろしくお願いします