城主 :富永直安
別名 :沖のもり城
築城者 :不明
築城年 :不明
標高 :35m(比高20m)
形態 :丘城
肱川とその支流である八河川が合流する地点の東に低い丘にある。
現在は神社の境内なっており周囲は水田であるが地元の人が言うには
もともとは肱川の氾濫による湿地帯であった。道路から田んぼのあぜ道を
通って行く。頂上は西側が一段高く、櫓台状になり、その上に社が祀られておる
曲輪が2ヶ所ある。道路を挟んで反対側ん民家の庭に墓石がある。
その人の話では、もともと違う場所に転がっていたのを、先祖のひとが、ここに
持ち帰り、この庭に立て、今も管理してるとのこと、どうも、戦いで討死した兵の墓らしい。
所在地 愛媛県大洲市森山
内子ICを下りて、左に曲がり、その先を斜め左に進み次の信号を左に走る。
内子五十崎に入り、内子役場に到着
その先を右(橋を)渡り、信号を左に行き179号線を行きます。
道なりにしばらく走ると、道の駅(清流の里ひじかわ)が見えてきます。
更に走ると前方に信号と橋が見えてきます、そこを左にとり橋を渡ります。
橋を渡り終わったら、すぐ先を右に走ります。
更に進むと大洲市大川公民館の前、小学校前を通るとまもなく右側に小高い
森が見えてきます。
民家の庭にある討死した兵の墓と思われる。
裏の肱川には、水がきれいですので、鮎、ハヤ、小魚、また野鳥もいるそうです。
昨年と、今回2回行きました。
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