別名 :御岳城
城主 :紀氏 初代は実定(甲之森城主)
築城者 :紀実次
築城年 :1429~1441年ごろ
標高 :642m(比高258m)
形態 :山城
三滝城主は紀貫之の末裔であるといわれ、貫之13世の孫式部卿紀、実定が伊予国周知郡
北ノ川庄5300貫を拝領して京都より下向、甲ヶ森領7城22邑の大守なったと伝えられる。
実定の孫実次は三滝山に築城してこの要害に移った。孫実道の子勝千代(実勝)が継いで
早世し、その弟道安が相続、湯築城河野の女をいれて室とし家紋を丸の沢潟の紋所から
角切内糸輪縮三文字に代えた。その子経安は北之川庄を窪野村、土居村に改めた。
その室は土居清良の女である。経安の子親安が相続して七城の主となり、その武威は
近隣になった。長曽我部元親の妹婿波川玄蕃の女を入れて妾とした。
波川玄蕃の叛意に気脈を通じた言う口実をもって、元親は部下の将久武後内蔵介、
桑名太郎左衛門らに手勢一万三千余騎を与え、この三滝城を攻めさせた。
城兵火花を散らし防戦したが敵は新手を入れ替え、入れ替え攻めかえし、本丸を乗っ取り
二之丸にせまった。三滝勢の大半は討死した。親安、もうこれまでと依岡左京と組み打ちして
悲壮な最期を遂げた。1583年一月十三日でした。
所在地 愛媛県西予市城川町土居
内子ICを降りて左に走りすぐ先を斜め左に入り、次の信号を左にまがります。
内子役場を過ぎて右に曲がり、橋をわたります。
橋を渡り左229号線をはしります。
道なりにしばらく走ると道の駅(清流の里ひじかわ)が見えてきます。
更に走ると前方に信号がみえます、その信号をひだりに(橋です)とります。
ダム湖畔を過ぎ、トンネルにはいります。
道なりにしばらく走ると城川地区にはいり、道の駅(きなはい屋しろかわ)に到着。
道の駅(きなはい屋しろかわ)のすぐ先の信号を左(2号線)に入りトンネルにはいり
道なりに走ります。
もう少しで、三滝城入り口の標識(注意してみる、右側)
ここからは、車ではいけません。ここからの距離約500mです
もう少しで到着します。
1日で攻略しました。
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