おはようございます。今日も宜しくお願いします~。
本日で完結です(後書きはサイトのみ掲載です)。サイトには13日からUP、scheduleは明日変更します。
暇つぶし・息抜きにどうぞ♪
『継国さん。』番外編
ミモザとアップルティー
・参・
白いパラソルが音を立てて床に倒れた。
「あ! ごめんなさいっ」
店内に響き渡った音に数人が振り返り、朱乃は、顔を真っ赤にして言った。席を離れて屈んで取ると立ち上がり、ふと、窓の外に目が行く。
『あ!!』
大きく心の臓が跳ねた。
『継国先輩…!』
ミモザのブーケを抱えた、継国神社の跡取息子が、軒下に滑り込んできたところだった。きっと突然の雨に、坂を、駆け上ってきたのだろう。
ブーケが傷まないように抱えつつ、私服についた大量の雨粒を払い落としている。何度も空を見上げる面が、悪態を吐くようだったり残念そうだったり。或いは仕方ないかと笑ってみせたり。ころころと変わる表情に、思わず、パラソルを胸に抱いたまま魅入ってしまった。
ふと、
「「!」」
振り返った彼と窓越しに、目が合った。
肩が一瞬で縮こまって上がり、耳朶まで真っ赤に染まるのが分かる。体中が熱で火照って、
『どうしよう! 目が合っちゃった…! この季節、ここに通ってるの、ばれてる!? ううん、分からないわよね、知らないわよね!』
身動きできずにいると、相手はぺこり。と無表情で頭を下げて、店内に滑り込んできた。
『はわわわ…』
心臓の音が耳に大きく聞こえ、腰が抜けたように席に着いた。卓上に広げていた『菫色のdiary』が目に入ると慌てて、仕舞おうと手を伸ばす。
だが、震える手は照準を誤り、ソーサーに当たってカップは倒れた。
「あああっ」
間一髪、日記が濡れることは免れたが、卓上に零れた紅茶にはすっかり青ざめて、
「大丈夫? か?」
見上げて差し出された布巾と相手に、また、心臓が止まるかと思った。
「は、は、はい…ありがとうございます…っ」
布巾を受け取ると、彼はミモザを向かいの席に置いた。倒れたカップを手に取り、もう片手で、溢れる紅茶を零さないようにソーサーを持ち上げて、カウンターに運んでくれる。
手際の良さにほう…と吐息が漏れて、その音に自分で驚くと、
『静まれ…心臓! お願いもうやだ聞こえちゃう! ああんかっこいいよう先輩! 違う違う、そうじゃなくって!』
きゅ。と口を真一文字に引き絞って卓上を拭いた。恥ずかしさで、涙が込み上げてきそうだった。
テーブルを綺麗に整えては、ミモザを取りに戻った彼とすれ違い、布巾を戻そうとカウンターに近付く。
オーナーがこちらを向いて、柔らかな笑みを零しては、彼の方に視線を飛ばし、
「あ。今日はそこでいいよね?」
『はああ!? オーナーナイス! じゃな~い!! 無理だってば! なんで!?』
飛び上がりそうになった。
「ね? 朱乃ちゃん? お礼しないとね?」
「あ、あ、あ…そうですね、そうです…はい」
「同じのでいいかな?」
「は、はい、はい…え。あ。うーん、いいのかな?」
『聞けないよ!! オーナーのバカあ! ごめんなさいっ!』
「えーとおぉ。はい…」
何度も首を縦に振ると、オーナーはすぐ隣の火元へと寄った。
仕方なく、席に戻る。
仏頂面の彼は、席には着いていたが、ミモザを抱えたまま外を見ていた。
『そうよね。迷惑よね…』
俯いて、スカートの裾を強く両手で握った。
『どうしよう…会話。何か、会話…』
間が持たない。感情のジェットコースターに、眩暈までしそうだった。
オーナーが紅茶を淹れて卓上に運んでくれるのを見ては、つい、救いの眼差しを向けた。が、彼はにっこり微笑んで頷いたきり、戻ってしまった。
『う~~~~、…そうだ!』
思い立ったのは、
「あの!」
「…」
彼はゆっくりと、こちらを向いた。
「その節は、お世話になりました」
テーブルに額が当たるのではと思われるほど、勢いよく頭を下げた。
再び紅茶のカップを倒しそうになって、取り乱す。「ひゃっ」と声が漏れると、彼のくす。という笑いと共に、
「…何か、あったっけ?」
何度か深呼吸してから顔を上げる。訳が分からない、そんな表情に苦笑う。
「お父様。兄の挙式で継国神社(つぎくにさん)にはお世話になって」
「…そう、だったんだ?」
「はい。何度か一緒に挨拶に行ってて…山の上では足の悪い祖母には辛いだろうって言う兄に、式は麓の分社で挙げてくれたんです、お父様」
彼の顔が、思案気になった。
反応しているのは分かったが、喋ってはくれない。
とくん。と胸の奥に雫が落ちて真っ暗闇に落ちかけた時、
「聞いていい? かな」
「え? あ、はい!」
「何度か挨拶に、って…」
「あ…。兄が彼女さんには内緒で幾つか前もって候補を見て回るのに、私が継国神社を推したんです。それで、夏休みの終わり頃、何度か一緒に…」
「! そっか…! そうだったのか…!」
『え? え、え…?』
次第に明るくなる彼の表情に、戸惑った。
ただ、初めて自分に向けられた、笑顔の様な気がした。それが何より、嬉しい。沈みかけた闇には朝日が昇ったようで、つい、
「ミモザ」
「ん?」
「お好きなんですか?」
「あ…」
彼がまた、考え込んだ。
「う~ん~…、好きな人が好きなんだ。多分」
「え…?」
「好きだよ」
ドキッとした。
真っ直ぐ見て言われたからだ。
朱乃はなんとも言えない顔になって、
「私も。…好き」
困ったように見つめ返した。
その瞬間、互いの小指の、細い糸が見えた…否、繋がった気がした。だが、淡いそれがしっかりとした赤いそれになる前に、目を逸らす。
「ミモザ。好きなんです。このお店に飾られてるのって、継国先輩が運んでらしたんですね」
「……。……うん」
ゆっくりと、二人の間を紅茶の香りが渡った。
互いの小さな吐息を繋げるような、甘い香り。
ふと、彼がカップを口元に運んでは喉を潤して、
「美味しい。これ、…なんの紅茶?」
「あ。アップルティーです…」
「これも、好きなんだ?」
「はいっ」
思わず笑顔になった。ただ、少し引き攣ったようには思えた。
「そっか!」
同じように笑顔になった彼にはほっとして、紅茶に視線を落とす。腿で祈るように組んだ手が、小刻みに震えた。
『好きだよ』
先の彼の顔が浮かんだ。
『…いいよね。少しくらい勘違いしても。幸せのお裾分け、させて貰っても』
無言で彼が紅茶を頂く空間に、時計の針の音だけが響くようだった。妙にはっきりと、耳に大きく聞こえた。
『好きな人、いたんだ…。先輩……』
やがて彼が「ご馳走様。ありがとう」と言った。ミモザを抱えて席を立った。
「こちらこそ…」
見上げて首を横に振ると、彼の眼差しが先程と同じく、真剣なものになった。
「ミモザを好きな女性、そうそういないよ。…俺なら、泣かせない」
「!」
「…またね」
カウンターへ向かった彼が、ミモザを渡しつつ二人分の会計を済ませるのを見た。
え、と思うが、彼はもうこちらを見向きもせずに、店を去って行く。
思わず、立ち上がった。
扉の鈴が大きな音を立てて開いては閉まり、雨の上がった外の景色が自然と目に入る。心臓が早鐘を打ったように鳴り響いて、知らず、胸元に手に当てその手首を掴んだ。
「朱乃ちゃん!」
びくっとした。
厳しい声だった。
「オーナー…」
見ると、彼が真っ直ぐ扉を指さした。
背中を強く、押された気がした。
はっとした。
急いで席を離れた。扉を開けて、
「先輩!!」
軽く身を折って叫ぶ。彼は、既にロータリーの端まで行き着いていた。
「あ…」
『聞こえなかった…?』
そう思った矢先、彼が立ち止まり、振り返った。
「朱乃!」
「!」
満面の笑みで、手が差し出される。まるで、「行こう!」そう、言ってるようだった。
「先輩…!」
駆け寄り、手に手を重ねた。強く引かれ、肩を寄せる。
二人一緒に空を見上げて、笑顔になった。
石畳へと軽快に、一歩を踏み出した。
その後。
菫色のdiaryと白いパラソルは、溢れんばかりのミモザが纏められた、一つのブーケと引き替えに、持ち主の元へと戻った。
オーナーは、その日も、二杯のアップルティーを差し出した。
ミモザとアップルティー・完
***
駄文読破、お疲れ様でした! お付合い下さいました皆様、ありがとうございました。
この話は後日譚へと続きますが、それはいつか。またの機会に~♪
こんにちは。今日も宜しくお願いします~♪
直接連載中です。サイトには13日からUPします(後日schedule調整&報告します)。
暇つぶし・息抜きにどうぞ♪
***
『継国さん。』番外編
ミモザとアップルティー
・弐・
縁壱は柔らかな眼差しを向けてくると、
「兄上」
囁いた。吸い込まれるようにその場に寄って、
「どうしてここに」
放った声が裏返った。
咳き込む。気を鎮めて自身を宥めた。弟が座っている席は、いつも自分が座る席の正面だった。
仕方なく、向かい合わせになる。
カウンターから豆を挽く音が聞こえて、恐らく、自分のために淹れてくれているのだろうと察した。オーナーがこちらの言動を遮ることがないのも、通った年月があればこそだ。
「…なんで」
長い息を吐きながら、二度目の問いを投げた。
縁壱は巾着袋から冊子を取り出すと、テーブルに置く。
それは、菫色のベルベット生地のカバー、鍵のかかった分厚いノートだった。
『diary』
文字の下、ノートカバーの中央には、手作りだろうか。色鮮やかなミモザの押し花を詰めた、ブローチが填められている。
見覚えはない。
疑問はそのまま面に出ていたようで、縁壱が言った。
「母上のです」
「!」
「不思議に思っていたのですよ」
縁壱が微かに首を傾けて、淋しそうな笑みを浮かべた。
「兄上のことです。母上の命日を忘れることなど決してないはずなのに、毎年…墓参りにはいらっしゃらないので」
「……」
「でも、月命日には来てますよね?」
「…よく見てるな」
「ふふ。それで思い立って、蔵に仕舞ってある母上の荷物を整理してみたんです」
『その結果が、それか』
巌勝は、視線をまた日記にやった。
手に取ってみる。ずしりと重い。角を使えば鈍器になり得そうなそれに、
「読んだのか」
「いえ。鍵がなかったので」
「あ。なるほど」
手首をひっくり返して裏を見、
『継国朱乃』
母の文字を見た。
やがて、燻る珈琲の香りに、日記を置いてそちらを見た。
「運んでも?」と物語るオーナーの目配せに有難く頷き、しばし間を置く。
そっと置かれたカップに手をやって、口元に運んだ。
挽き立ての濃い薫りが、既に美味しい。自然と笑みが零れて、一口含んだ。雨音が耳に届き、静かな午後の外を見る。
縁壱が続けた。
「もう、遠い昔ですけれど。母上が、ミモザの花が好きだったことを思い出したんです。その表紙を見た時」
カップをソーサーに戻した。
「この時期になると、墓前にはミモザが飾られていますし。いつだったか、鉢ごと花を供えたこともあったでしょう、兄上」
巌勝は苦笑した。
「ストーカーか」
「失礼な」
縁壱は真顔だった。
「お社の霊園の管理者から、連絡頂いたんですよ。『鉢、どうしましょう? お社で植え替えますか?』って」
「…あ」
「ふふ」
「その鉢から分かったのか、店が」
「ええ。あのミモザは迷った挙句霊園の一角に植え替えたんですが、その時花屋さんの住所と店名はメモで残して置いたんですよ。で、先日、そこでここのことを聞いたんです」
縁壱はふ…と、オーナーを呼んだ。
「アップルティーを。お願いできますか」
「!」
まさかの名前が出てきて、巌勝は慌てて言った。
「同じものを。俺にも」
「はい」
「兄上…」
縁壱の瞳が嬉しそうに、一層優しさを帯びた。見つめてくる眼差しに己のそれを重ねて、同時に遠く窓の外を見る。
「こんな雨の日だったんですかね。母上。父上と想いを交わしたの…」
「らしいな。まさか母上の命日に、お前とその日を再現する羽目になるとは思ってもみなかったが」
縁壱の笑声が漏れた。
明るいそれに、母の姿が重なる。
『お前の優しさは、母親譲りだな…』
「アップルティーをここで二人で飲んだって、話してましたものね」
「ああ…」
巌勝は伏せ目がちに笑みを一つ零すと、
「そういや心底驚いたって、父上が仰ってたよ。フラれた後だったから、勇気が要ったって」
「え?」
「え?」
縁壱の声色に、自身も驚いて彼を見た。
「いやほら。数年越しだろ? 想いが叶ったのって」
「あ。ええ」
「二度も三度もフラれたって話してたぞ? 父上。一度目はバレンタインの翌日、二度目は夏の終わりの継国神社(うち)の境内、三度目は次の年のホワイトデー。母上はもう社にも来なくなって、更に数年後。大学の時、ここで偶然会ったって」
「…はい?」
縁壱の面が微かに怪訝そうになって、考え込むように俯いた。
空いた間がなんだか胸奥をたわしで擦られるようで居たたまれず、
「父上から」
「母上から」
「話を聞いたんだよな?」
「話を聞かなかったのですか?」
同時に言っては、きょとんと顔を見合わせた。
刹那、笑声が重なる。
「ちょっと待てよ…?」
巌勝が無理矢理笑い収めながら言うと、縁壱が、
「母上は、その、バレンタインのずっと前から父上に片思いだったそうですよ?」
「なんだって?」
「住む世界が違うし、遠目に見ていられればそれだけで幸せだったんだけどって」
「嘘だろ…三度もフラれたって話は? じゃあ…」
「バレンタインの時の話は、母上、よく話してくれました。バレンタインの日に、飼ってた猫が死んでしまったそうです。それを、いつも傍にいられていつでも会いに来られる、大好きなミモザの木の根元に、翌日、埋葬したって」
「な…」
巌勝は、これでもかと言うほどに目を丸くした。
「それを、見られたんだそうです。どこから見られていたかは分からなかったらしいですけど、学校に埋めたって言う罪悪感と、泣き顔と、それも好きな相手に見られたって三重苦で、逃げ出したそうですよ」
「そうだったのか……!」
しばし、顔を見合わせたまま双子は固まった。
互いに口を開きかけた時、巌勝が笑って「どうぞ」と言わんばかりに手を差し出す。
縁壱は微笑んで、
「二度目の、その…夏の終わりの社の境内のことは私は知りませんが、三度目の、ホワイトデー。それ、兄君の結婚式だったんじゃないですかね?」
「…は?」
「ホワイトデーに結婚式を挙げたんですよ。伯父さん」
巌勝は、片肘を突いて頭を抱えた。短髪をぐしゃっと握りしめては乱雑に掻いて、
「じゃ、なんだ。姿を現さなかったのは、単に式に出席していたからで、その後、社に来られなかったのは…」
「それも単に、忙しかっただけでは? だって大学進学前の春休みでしょう。母上、県外に進学したんですよ」
二人はまた、見つめ合ったまま固まった。
不意に、
「どうぞ」
と、いつになく満面の笑みを浮かべて、オーナーがアップルティーを運んで来てくれる。その表情は、諸々知っていそうなそれだった。
縁壱と一緒に彼を見上げたまま、卓に並ぶアップルティーが優雅な香りを運んで来た。
ついと手元を見た隙に、オーナーはくすくすと笑いながらカウンターへ戻ってしまう。呼び戻すにも別の客に呼ばれて、彼は、忙しなくし始めてしまった。
巌勝は縁壱を見て、
「そんなこんなで、よく俺たちが産まれたな…」
「確かに。母上も、本が好きな物静かな方でしたし。見ているだけで幸せって、話してましたしね」
「剣道バカで無口な父上だったんだぞ? その上フラれたって勘違いしてて、よく口説けたな? なんて言ったのか想像すらできん」
「兄上の話からすると、あまりにも接点がなさ過ぎますよね? だって父上が、母上が『社に来ている』って気付いたの、バレンタインの後なんでしょう?」
「ああ。俺はそう聞いた」
「でも、母上は小学生の時に、既に一目惚れだったそうですよ? 学年が二つも上だから、父上はすぐ卒業。って事だったらしいですけど。それからは社に、ほぼ毎週、通い詰めだったそうで」
「ええっ!?」
「だから、見ているだけで幸せって。小さく小さく胸に点った、本当に微かな光を、両手で優しく包んでいたんです」
「気付かれないように…」
「ええ。恐らくは」
二人見つめ合ったまま同じ方向に首を傾げて、まるで鏡を見る様に肩を揺らした。
「ますます謎だ…」
「ですねえ…」
よもや、何か知っていそうなここのオーナーが一役買ったか? と、二人は同時にそちらを向いた。
カウンターに戻ったオーナーは一段落着いたようで、巌勝が渡したミモザのブーケを、ドライフラワーとなってしまった一年前のそれと、交換しようとしている。
思い出したように、縁壱が言った。
「兄上。この後、一緒に墓参りに行きませんか」
巌勝はアップルティーを一口含んで、
「そうだな…」
カウンターに掛けた、白いパラソルを見た。
その傍には、やはり、アップルティーが置かれている。二脚だ。互いに互いを引き寄せ合うように、湯気が螺旋を描いて昇っていた。
じんわりと熱いものが込み上げてきて、
「行くか。父上にもちょっと、言いたいことできたし」
「ふふ!」
それからは、しばらく無言で紅茶を楽しんだ。オーナーには礼を言って、縁壱と店を出る。
手にはまた、白いパラソルが握られていたが、開く必要はなかった。
二人一緒に空を見上げて、笑顔になった。
石畳へと軽快に、一歩を踏み出した。
続く。
明日は『ミモザの日』。
ミモザが好きなので、継国兄弟を絡めましたw サイトにはホワイトデー前後にUPします。
短い話なので、ブログにて先にUP。良かったら息抜きにどうぞ~。連載します(思いがけず新作UPすることになったので、scheduleを後日修正します~;;; 申し訳m(*_ _)m)。
***
『継国さん。』番外編
ミモザとアップルティー
・壱・
彼女を見かけたのは、放課後。丈が倍ほどもあろうかという、黄色いアカシアの樹――ミモザの花霞の中だった。
俯いていた。
左手は胸元に、右手は目尻を拭っていたように思う。
肩まである髪と揃えられた前髪が顔に色濃い影を落として、暫くその場から動かなかった。
ミモザが風に揺れて芳醇な色香を漂わせる度、彼女のそれかと紛うほどだった。両手の力が抜けて、焼却炉にゴミ出しに来ていたはずの荷物が、
ガタン。
地に当たり、大きな音を立てた。
はっとしたように彼女が振り返った。耳朶まで真っ赤になって走り去る彼女に、「あ」と声が漏れた。
だが、追い駆けることもなければ、呼び止めることもできない。
名を知らなかったのだ。
微かに見えた胸元のネームプレートの色から、学年が二つ下だと言うことが分かったのみだった。
「継国(つぎくに)~!」
途方に暮れて、どんどん小さくなる彼女の背中をただ見送った。
その、自分の背の方に、声が届く。
「おい! ――ったら!」
二度目は多少怒りが混ざっていた。
仕方なく振り返り、
「…神々廻(ししば)」
落ちたゴミ箱を抱え直す。
「何やってんだよ、部活始まるぞ!」
「あ。ん」
返事は漫ろになった。
親友が焼却炉の扉を開いてくれ、持ち上げたゴミ箱の中身を放る。へばりついた底のゴミをも手を伸ばして取ると炎に投げ入れ、小さな溜息が出た。
「…大丈夫か?」
「え? あ。大丈夫。これ戻したらすぐ行くよ、道場」
「分かった! 早く来いよ! 今日こそ決着を付けたる!」
「ははっ!」
笑顔で駆けていく友を見送って、ゴミ箱を抱えた。
意識せず、彼女が走り去った方をもう一度見た。当然、姿はもうない。風が吹いて、ミモザの花がまた、豊かな香りを散らした。
「今週も、また…来るかな」
髪をギャツボーでぎちぎちに固める。オールバックだった。
白い着物に水色の袴を履くと、帯を締めた。衣擦れの音が軽快に響き、顔が綻ぶ。全体が引き締まるこの瞬間が、とても好きだった。
この様で社務所に向かうと、入ったばかりのアルバイトの巫女達は目をひん剥く。
とは言え、どうせ一月もすれば、この姿にも皆、見慣れるのだ。
『いいんだよ、烏帽子被るんだからさ』
面倒くさくて、いつからか、そんな言い訳もしなくなった。
あれからどれだけの月日が経ったろう。
彼女が、自分ら一族(継国家)が護るお社に熱心に通ってくる一人だったとは、それまで気付かなかった。
境内を清々しい顔で歩く彼女。人混みをすり抜ける様はとても優雅で、まるで麗しい小鳥のようだ。捕まえられない。すぐに、飛び立ってしまう。
拝殿や渡殿から見る自分とは、目が合うこともない。ただ、週末の楽しみができて、それが何より嬉しかった。
『あの日は確か、バレンタインの翌日だったんだよな…』
だが、折に触れて放課後あの場所へ行ってみれば、果たして。
彼女はよく、そこへ来ていたのだった。
『またあそこで、本読んでる…。好きなのかな、あの花』
道場へ行く前に、ミモザの庭を覗くのも、日課になっていた。
「!!」
拝殿へ向かう足取りが、急に止まった。
彼女は確かに、今日も来ていた。
だが隣には、見知らぬ男性がいた。
彼女より、頭一つ分以上背の高い、端整な顔立ちの大人びた男。
「…」
見上げては見下ろして、二人の視線が噛み合う。
腕を組み時に肩を揺らして、微笑み合う。
綺麗だった。彼女は。とても。今までの、どの表情の彼女よりも。
目映くて、そして。痛かった。胸奥が一気に、砂漠化してはひび割れた。
『次は~ 白亜の堂前~ 白亜の堂前~』
巌勝(みちかつ)ははっとして、座席窓枠にあるボタンを押した。
軽快な機械音が車内に響く。
ぼんやりと外を眺めていた瞳には確かな光が戻った。スーツの内ポケットからスマートフォンを取り出すと、電子マネーを起動させる。
バス停の名は、今度は運転手の口から発せられた。
緩やかに停車した車体の揺れが収まりきらないうちに、巌勝は席を立つと、最前へと大股で闊歩していった。
もう片手首には、傘の柄が引っかかっている。
女物だろうか。
白い傘はパラソルのようだ。縁にはフリルが付いており、スーツを着た大柄な男と小柄な傘が、通り過ぎる席に座す者の視線を奪った。
決済音が響くと同時に、
「どうも」
運転手に礼を言い、返礼を受け、ステップを降りる。
扉の閉まる音とエンジン音を背後に聞きながら、巌勝は、白いレースの傘を差した。
途端、踊る雨だれが耳に入ってくる。
割と大仰に弾ける音に、巌勝の顔が綻んだ。
通りには誰もいない。石畳の続く街路は、家並みも基本白磁のそれだ。まるでここだけ西洋に紛れ込んだかのように、アパートメントが左右に軒を連ね、窓には所々、鉢植えの花が彩りを添えているのが見えた。
巌勝の靴音だけが、雨だれと連弾し始めた。
白亜通りにしばらく、控え目な音が響く。
やがて通りは、登り坂になった。
少し登ったところで、巌勝の足が止まる。
左手に、花屋があった。
傘を畳み雫を払うと、複雑に入り交じった香りの花屋に身を滑らせた。色とりどりの花が、どれもバケツ一杯に生けられ所狭しと飾られている。溢れる花々の姿は、まるでカラフルなブロッコリーのようだ。手作りのポップも見た目に楽しく、ついつい、目移りするようだった。
「あ! 継国さん! いらっしゃい~」
奥からエプロン姿の女性が出てきた。店主だ。
リボンや剪定鋏など、必要な物が大きなポケットに詰め込まれている。無造作に束ねられた髪は少し乱暴な気がしたが、笑顔と傷だらけの手指が、どれだけ熱心に花たちを愛しているのか、教えてくれるようだった。
「予定より少し早くなった」
「大丈夫ですよ。できてます。…栞ちゃ~ん!」
「はいは~い!」
二つ返事のそれも、明るい声だ。
奥からもう一人――栞は彼女の愛娘だった――高校生と思しき少女が出てくる。きめ細やかな黄色い花が、栞の両腕から零れるように咲き乱れていた。
ミモザのブーケだ。
「…だいぶ量が多いようだが」
『頼んだのは、その半分ほどだったと思ったが…』
呆気に取られて見つめていると、店主が笑った。
「今年は例年より、多くがとても綺麗に咲いたみたいで。単価がね。安くなったのよ~」
おまけ。
と言わない辺りが、彼女らしいと思った。それなら気兼ねなく、受け取れる。
「そうか。…きっと喜ぶ」
「良かった!」
受け取ると、所々、かすみ草の白い花が、控え目程度に顔を覗かせているのが分かった。彩りよく葉も添えてくれて、気遣いに、ミモザの花の喩えが心に宿るようだ。
「ありがとう」
胸に広がる温もりを言葉に添えて、巌勝は微笑んだ。
「お母様によろしく」
「ああ。来年も。また頼む」
「はい!」
軽く頷き返して店を後にすると、巌勝は、鼻を擽るミモザの香りに少し瞼を伏せてのち、抱えて白い傘を差した。
白亜通りの坂を登り切ったところは、ロータリーになっている。
それより先に道はなく、元来た道を下るしかないからだ。
ロータリーを囲むように丘の頂を彩るのは、個性的な店や建物ばかりだ。ドールハウスや教会、チョコレートの専門店。
巌勝は、迷うことなく時計と反対回りに歩を進め、二件目の喫茶店に向かった。
軒下で傘を畳み、扉を開く。
カランコロン。
出迎えの音はどこか懐かしく、傍の傘立てを一瞥しては、
「いらっしゃい」
声を掛けてくれたオーナーに目配せした。
カウンターでグラスを磨いていた髭面の紳士は、優しい笑みを浮かべて頷いてくれる。
ほっと一息漏らすと、巌勝は、概ね焦げ茶色の店内を、静かに歩んでいった。
「ありがとう、巌勝くん」
「いえ」
ミモザのブーケを渡すと、彼は一層穏やかな顔になった。
低く甘い声が、多くを語ることはない。カウンターに白いパラソルを掛けると、
「…」
オーナーの手が止まった。
『ん?』
つい、と視線をそちらに戻すと、彼の目が窓の方を見ている。誘われるようにそちらを見遣って、
「…縁壱」
二人用の小さな卓の一方に座した相手に、心底驚いた。
続く。
『山城の弓張月』
第七話:痣(あざ) ・肆・
UPしました♪
比叡編、完結しました。
いよいよ最終話に突入します(インターバル開けた後ね♪)。長かった物語も、ようやく…。あと一息、どうぞお付合い下さいませ。ぺこりんm(*_ _)m
継国兄弟、戦国時代のお話です。詳細は、以下をご覧下さい。
戦国時代のお話のため、登場人物の名前や難しい武器等装備、地名や特殊な呼称などには()でひらがな明記してあります。ルビ振りできない書式でありますこと、ご容赦下さい。
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『山城の弓張月』
目次をブックマークが一番楽だと思われます。
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『月の都 太陽の檻』
【粗筋】
那須与一(なすのよいち)公の再来と言わしめた弓の名手、三条春野宮天晴(さんじょうはるのみやたかはる)は、十三回目を数えたその年の秋、華々しく元服(げんぷく)を迎えるはずだった。
次期当主となるはずだった、武家(ぶけ)三条の名誉を捨て、鬼狩りの道を選んだ春野宮。
助けてくれた暁の侍・継国縁壱(つぎくによりいち)と共に、鬼狩り過去最強の柱達と栄光の一時代を築く。
全ては、
最愛の姉・昴(すばる)を奪った鬼の始祖(しそ)、鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)を討つために。
助けてくれた、暁の侍・継国縁壱がそれ以上、傷つくことのないように。
春野宮は、未来を、変える。
一陣の矢となり、『山城の弓張月』の、名にかけて――――。
【ご留意】
継国兄弟、戦国時代のお話です。
『暁闇に落つ:外伝』の位置づけではありますが、物語としては独立しています。
『暁闇に落つ』が八割方、風柱・貴船義政(きふねよしまさ)×宵柱(よいばしら)・継国巌勝(つぎくにみちかつ)の視点で紡がれていたのに対し(主人公は風柱・貴船義政)、
『山城の弓張月』は八割方、昇柱(のぼりばしら)・三条春野宮天晴×日柱(ひばしら)・継国縁壱の視点で進みます(主人公が昇柱・三条春野宮天晴)。
鬼殺隊、過去最強の、初代・柱達。
お付き合いいただける皆様へ、感謝を込めて。
継国兄弟へ、弛みない願いと愛を込めて。
どうか未来へ…、続きますように。
ご訪問、ありがとうございました!