無宗教で50年以上生きてきた私は陰謀論に出会ったことがきっかけで、突然クリスチャンになりました。
その陰謀論のブロガーさんがクリスチャンで、御言葉(神様の啓示)を伝えておられたのです。
信仰を持ち4年以上たちましたが、最近、「神様に向かって罪を悔い改める祈り」がいかに自分の心を正常に保つことに有効なことであるかということを実感しました。
カウンセリングやスピリチュアル、ヒーリングなど心を整える方法は様々ですが、神様との対話、つまり「祈り」こそが不安をやわらげ心配を取り除き心を安定させる一番の方法なのだと思います。
私は夫が息子に対して暴力を振るうことを、見て見ぬ振りをしてきました。
虚言癖のある息子に夫は厳しくしつけをし、しばしば暴力を振るっていたのですが、それを制止することができず傍観していたことを、信仰を持ってから来る日も来る日も神様の前で悔い改めてきました。
大学2年生の時に、息子の精神は破綻、パニック障害に下痢、頭髪が抜けるという苦しみが襲いました。
なぜ息子への虐待を傍観し見て見ぬ振りをしてしまったのか、ここ最近私は、傍観するに至った根本的な原因を神様に祈りながら探し始めました。
そして結婚当初から今に至る自分の人生を振り返る中で、自分の欠点や短所が鮮明に思い出され、息子への虐待を阻止することができなかった原因が見えてきたのです。
私は経済的に苦しい家庭で育ったため、女性であってもフルタイムの仕事を続けたいと考えていました。
そして、周りの影響で「結婚こそが幸福」と疑いなく信じていたので20代で結婚すると決めていました。
そして当然子どもを産みたいと思っていました。
このような人生こそが大人として一人前であると考えていたのです。
今思うと、これら全てを完璧にこなせると思っていた当時の私は浅はかで身の程知らずでした。
私は人の目を気にする自意識過剰な性格で、それは結婚しても変わりませんでした。
体型維持のため食べる量を制限し、その結果いつもエネルギー不足の状態、仕事は続けていたものの家事や子育ては気力が持続せず億劫になりがちで、両立しているとは言い難い状況でした。
エネルギー不足は脳の正常な働きも妨げます。
砂糖も塩も肉もたっぷりと食べて健康になる(十二弟子・ミナさんの証)
仕事以外のことで頭を使いたくない、自由な時間が欲しい、煩わされたくないという思いがいつもあり、家に関することは夫が決め、それに従っていました。
次第に世の中の情報に疎くなり、また、何か実力を身に付けようとか知識を得て役立てようといった意欲も湧かず、無知で怠惰な人間でした。
しかし、息子の障害のことに関しては夫に相談もせずにいつも独断で進めていました。
息子は発達障害(ADD)と診断されています。
小学校の頃から忘れ物が多く、できないことも多く、平気で嘘を付き、考え方も風変り、なぜこんなに育てにくいのだろうと悩んでいた私は、もしかすると息子は発達障害ではないかと思い至った時にホッと安堵したのを覚えています。
一方、夫は息子は発達障害などではないと反論しました。
障害を理由にやるべきことをやらない癖を付けてしまうと彼自身が困ると考えていたのです。
私たち夫婦は、息子の障害に関してお互いの認識にズレがあり、子育てに統一性がなかったのです。
夫はたとえ発達障害であったとしても、息子を社会で活躍できるような秀でた人間に育てたいと考え、成長に必要なものは惜しまず与え、教え、経験させるなど常に将来を見据えた子育てをしていました。
一方私は、医師から発達障害の診断書をもらうことで高校受験を有利に進めようとし、せめて高校は卒業してもらわなければというような体裁を整えることに終始していたのです。
そして、過去を振り返りながら祈っているときにハッと自覚しました。
夫が必要以上に息子に対して厳しかったのは、息子の可能性を信じずに何でも発達障害と結び付けて考える私への反論も含まれていたからなのではないかと。
私が制止しようとすると決まって夫の怒りは更に増し加わり、手が付けられなくなることがよくありました。
これ以上エスカレートさせないためには、黙って見ているしかない、私は介入するのをやめました。
暴力行為を傍観し息子の人生を破壊してしまったことを神様の前で告白し悔い改めてきましたが、その暴力を助長させた原因は私にあったこと、その過ちも含めて悔い改めることが心の底から反省することになるのだと悟りました。
もちろん息子がどんな大胆な嘘をついたとしても、暴力は絶対にいけません(息子は私たちから怒られることを恐れるあまり、警察や大学を巻き込むような大胆な嘘を付くことがありました)。
どうすれば一人前に育てられるのか、夫婦で真剣に本音で話し合っていれば、息子が精神を患うような最悪の事態は防げたかもしれない、そう考えると心頑なだった自分を後悔せずにはいられません。
結婚も仕事も子どももと身の程をわきまえずに欲張った結果、自分の役割を果たさなかった自分
自意識過剰・自己承認欲求による食事制限が招いた無気力の無さと怠惰を放置した自分
夫との話し合いをスルーして息子のことを独善的に決めるなど自己中心の塊だった自分
これら全ての短所や欠点を洗いざらい丸ごと認識した上で神様に向かって悔い改めることで、ようやく心の底から自らの罪を清めることができ、息を吹き返したような晴れ晴れとした気分を味わうことができました。
もし信仰を持つことなく「祈り」の習慣もなかったら、私は過去を振り返ることもなく、一生自分の過ちを認識しないまま実りのない人生を歩むしかなかったと思います。
息子に暴力を振るっていない自分は悪くない、虐待の責任は全て夫にあるとし、息子に対して真心から謝罪することもなかったかもしれません。
寧ろ、夫から引き離すことで親としての責任を果たしたと自分を正当化していたと思います(精神症状が切羽詰まり、物理的に距離を置くため「家出した」と夫に嘘を付いて息子に一人暮らしをさせたのです)。
私は50を過ぎて聖書に出会い、どのようなことが人間にとって罪にあたるのかを知りました。
当初は、罪と聞いて警察に捕まるような行為、つまり法律を犯すことだと思っていましたが、聖書でいう罪はそれだけではありません。
悪口、嫉妬心、利己心、偽善、無知、怠惰、不倫等その他まだまだあります。
これらは法律で罰せられる行為ではありませんが、神様は明らかに人間にとっての罪と定めています。
私は友人や同僚に対する嫉妬心や自己中心の生き方を特に悪いと考えずに生きてきました。
信仰を持ってから日々悔い改めていますが、50年という歳月に積み重なった罪はそう簡単に自分の中から無くなることはありません。
しかし、罪を犯さないように自らの言動に注意を払うことはできるようになりました。
それだけでも私の心の在り方や考え方に大きな影響を与えており、今では、原因不明の不安や心配、自分を責める気持ち、ネガティブ思考などから解放され、常に平常心を保って過ごせるようになりました。
普段は意識しないけれど確実に存在するもう一人の自分(霊魂)が息を吹き返したのだと思います。
RAPT | RAPT有料記事284(2018年6月11日)我々人間がこの世に生まれてきた目的は、霊魂の救いと成長のためだ。
今、私は息子とともに信仰生活をしています。
息子は発達障害の特性である 忘れ物が多い、不注意などの症状は今ではすっかり影を潜め、生活面をはじめ全てにおいて、大雑把な性格の私よりもはるかに慎重に確認しながら行う青年です。
一緒に暮らすようになってからは、大胆な嘘はもちろん小さな嘘についても、私に対して嘘を付いたことはありません。
息子のパニック障害の症状も今はほぼ完治したといえる状況で、発作が起こる度に息子が苦しむ姿を見て居たたまれない思いをした私の苦しみは、今ではすっかり過去の出来事になりつつあります。
これらは全てお祈りして神様に叶えていただいたおかげです。
RAPT | RAPT有料記事772(2023年9月4日)真理を知って実践する者の祈りは必ず叶えられる。
ほとんどの日本人にとって祈る時というのは、初詣や合格祈願のときなど限られており、祈りの言葉も二言三言くらいだと思います。
キリスト教の神様は「祈りは対話、あなたの切実な願いを洗いざらい私に聞かせてほしい」とおっしゃっています。
この世の中は、不安や悩みを持つことが当たり前となり、健康に関すること、家族のこと、経済的なこと、私たちの心配はいつまでも尽きることがありません。
人生には限界があります。
人間的な考えで解決できる問題も確かにありますが、全ての問題を最も最適な方法で解決できる方は他でもない、天地万物と人類を創造した神様です。
神様に祈り全てをゆだねてみてください。きっと心の平安が訪れます。
ぜひ、御言葉に触れてみてください。
あなたの求めている答えが必ずあると思います。
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