嗚呼 定年退職生活の悲哀

東京から千葉の田舎に移住。
いろんなことを天秤にかけても、移住してよかったと思います。

天からの贈り物

2020年09月18日 23時39分25秒 | トイプードルとの暮らし
9月2日に我が家の愛犬トイプードルが14歳の誕生日を迎えました。
これまで大きな病気もせずに、平均寿命といわれる年齢になりました。
人間でいうと72歳くらい、シニア犬から高齢犬の仲間入り。

我が家に来たのは板橋時代でしたが、荒川の河川敷が主な散歩場所で、あの頃の写真を見るとほとんどが空中浮遊しています。
4本の足が地に着いていないんですね。

それほど走るのが好きでした。
その姿を見ていた近所の人が「プーちゃん、弾丸のように走っていたね」とよく言われたものです。

今はすっかり老齢な顔になってしまいましたが、小さい頃から最近までとても美男子でした。
「盗まれるんじゃないか」ということ「いつか骨折するんじゃないか」といつも心配していました。

人間に向かって吠えたことはただの一度もなく、すべての人に愛嬌をふりまきます。
その様は耳が聞こえなくなってしまった今も同じで「おいで」と手を差し伸べる人には、ちぎれるほど尻尾を振ってご挨拶に行きます。

白い毛なみなので目立ちませんが、たぶん今は白髪がたくさんあるのでしょう。
出会いは本当に偶然。
いつか犬を飼いたい、と思っていましたがその日は突然やってきた、という出会いでした。

いつものスーパーに買い物に行った時のことです。
併設されているペットショップに彼はいました。




女子高生の「きゃー、可愛い!」の声に反応してスカートの下に潜り込むの図。羨ましいと思ったのは勿論のことです。うちの愛犬は特に若い女子が大のお気に入りです。


当時15万前後していたトイプードルですが、5万円のプライスカードがケージにぶら下がっていました。

「特別提供品」とは書いてありませんでしたが。
その当時は白いトイプードルは人気がなくて、明らかに売れ残りの「ワゴンセール」のように通路に設置したケージに入れられていたのです。

この時は1月下旬で、産まれてからすでに5か月になろうかとしていた頃です。
嘆かわしいことですが、商品としての「旬」は過ぎていました。
クリスマスにはサンタのコスチュームを着て、愛嬌を振りまいていたそうです。

今が旬のワンコたちは2階建てのマンションのようなところに入っていて、店員さんに声をかけないと触れることはできません。
でも彼は違いました。

ペットショップにやってきた人が、触りたければ自由にケージに手を入れて触れることができました。
中には持ち上げて抱きしめるお客さんもたくさんいたでしょう。
我々夫婦もその中の二人でした。

この「通路のケージ」の特売セールが彼の性格を決定づけたと思っています。
つまり不特定多数の人たちに可愛がられたので「人間って全部の人が優しい」と彼のDNAに書き込まれたんじゃないかと思っています。

お昼頃に行ったスーパーですが、屋上に止めたクルマなかで「どうしようか、買っちゃおうか」「いや待てよ、もう一度確認しよう」と家族会議。
妻は「売れ残った犬は、動物園の猛獣の餌になるという話を聞いた」といいます。
(のちにテレビで放映していましたが、悪徳ブリーダーが扱っている犬たちはそういう運命になることもあるらしいです)

1階のペットショップと、屋上の駐車場を何回往復したでしょう。
そしていよいよ21時の閉店時刻が近づいてきました。

最後の決断。
「よし、売れ残っていたら我が家に連れ帰ろう」
と決心したのでした。

ケージやらご飯やらリード数種類、おもちゃの類。
そしてペット保険。
なんやかんやで12万円ほどかかりましたが「犬を買った」という意識はあまりありませんでした。
これは妻も一緒だったらしく、どちらかというと「授かった」とか「やって来た」といった方がぴったりくる感じでした。

それからの人生は彼がいたから、充実していたような気がします。
精神的にずいぶん助けられたことも多々あります。
まさに「天からの贈り物」でした。

犬や猫を飼っている方は誰でも同じだと思いますが「寝顔」や「しぐさ」に癒されたり、穏やかな気持ちになったり。
犬は小さいころから時間がたつにつれて、子供から友人、そして親友に変化します。
そして今は「同志」的な感覚ですね。

言葉を交わさなくてもお互いに何を考えているかわかる、と言ったら言い過ぎでしょうか?
人間の毎日のルーティーンを全部把握していますので、ソファから立ち上がっただけで彼は私の次に行う動作を予測します。

耳が聞こえなくなったのは、もしかしたら彼にとって幸せかもしれません。
嫌いな花火や雷、「緊急地震速報」のメロディーに慄かなくて済みます。
小さい頃は少しの揺れでも慌てていたのに、感覚が少し鈍ってきたのか地震そのものにも動じなくなりました。

人間同様、ある程度の歳になると「今が一番いい」と感じているかもしれません。

目も白くなってきて、時として目の前の「おやつ」も見つからないこともあるし、数年前から咳もするようになりました。
一日のほとんどの時間を「ぜーぜー」言いながら寝て過ごしています。

あれだけ走るのが好きだったのに、今は歩くことにさえ精いっぱいです。

あとどのくらい一緒にいられるかもしれないけど、できる限り一緒の時間を共有したいと思っています。

キャンプ用品とは防災用品とイコールである

2020年09月18日 22時57分25秒 | 災害に備える
2011年正月明け。
何故か急に思い立って、それまで乗っていた初代プリウスに代わって、ボンゴフレンディという中古車を購入しました。
5歳になった愛犬のトイプードルと一緒に、今で言う車中泊に出かけたくなったからです。



その頃は東京のマンション暮らしでしたが、1階で庭がありクルマもその庭に止められるというマンションでした。
自分だけの秘密基地的な欲求もあったと思います。

キャンプにも行けるように、タープやテーブル類、2口のコンロ、ウォータージャグなど少しづつ買いそろえて行きました。
どちらかといえば出不精の妻はキャンプなど反対で、通販で購入したキャンプ用品が配達されるたびに、無言の圧力をかけてきます。

その後も、サブバッテリーやインバーターなど高額商品も買いそろえました。
まあ、この辺の価格はいくらでも騙せましたが、インバーターだけで10万近くすると知ったら、とんでもないことになります。

記念すべき最初のキャンプは3月19日と決めて、予約も済ませました。
ポータブルトイレも買い、最後に購入したのがポータブル石油ストーブで3月9日に配達されました。



そして3月11日のあの日。
住んでいたマンションでは被害はありませんでしたが、まったく予期しないことが。

それは生活に必要な商品が、店頭からほとんど消えてしまったということです。
電池やカセットコンロ、ガスボンベなど防災用品といえるものは勿論のこと、トイレットペーパー、食器用洗剤、いつも愛飲しているウーロン茶、菓子パンでさえ暫くの間、店頭から姿を消しました。

あの頃はテレビや携帯電話からは、緊急地震速報のあの嫌なメロディが何回も鳴りました。
愛犬でさえあのメロディに身構えてしまいます。

この時の教訓は、自分の住んでいる地域以外で大きな災害が発生した場合でも、思いもしないも物がなくなり生活に困る、ということでした。
あの年の8月頃だったか、古い給湯器が壊れて修理不能という状態になりました。

10年ほど使っていた給湯器で、故障は覚悟していましたので業者に新品の取り付けを依頼しました。
でも在庫が無い、というではないか。
被災地に優先的に割り当てているとのこと。

幸い、最寄り駅の3つほど手前の駅に銭湯がありましたので、会社帰りにさっぱりできましたが。
給湯器が故障した日は確か日曜日で、翌日の仕事のためヤカンや鍋で何回もお湯を沸かして浴槽に入れたのを覚えています。



マンション時代はスペースの関係で、水と食料くらいの備蓄しかできませんでした。
こちら千葉の田舎に移住してからは、物置にできる部屋も準備できるので、トイレットペーパーやペットシーツなど、常に10個くらいは備蓄できるようになりました。

3月頃でしたか、新型コロナの影響でマスク不足になり、そのマスクを増産するために紙が必要。
だからトイレットペーパーがなくなる、という噂が立ちました。
その日のうちに、店頭からトイレットペーパーが消えてなくなったのは、まだ記憶に新しいですね。

まさか給湯器までは備蓄できないでしょうが、それぞれの生活シーンをシュミレーションして必要なものは備えておきたいものです。
先にそろえたキャンプ用品ですが、同時に防災(災害発生時)用品にもなります。

あの地震の直後、あれだけ冷たい視線を浴びせていた妻の口から「さすが」という言葉が出るとは思いもよらないことでした。
あの日以来、いざという事態に備えることに関しては何も文句は言いません。

千葉の田舎に移住して災害の避難については、東京よりかなり恵まれています。
何しろ空き地だらけですから、避難民で混乱ということはありません。
でも避難場所、ということになると話はまた別です。
こちらに来て愛犬も3匹に増えました。

残念ながら犬を3匹も連れていける避難場所というのは、皆さんそれほど寛容ではないのです。
そこで着々と独自に準備を進めています。

河野太郎 くしゃくしゃおじさん 早っ!

2020年09月18日 15時21分33秒 | 日記
特に自民党支持というわけでもないが、かといって嫌いでもないが、少し前から河野太郎氏が気になっていました。

場面場面で直球勝負の彼は、特別な存在に感じたからです。
個人的には小泉純一郎氏が好きでしたが、それに通じるものがあります。
政治をわかりにくくしているのは、腹の中で何を考えているがかわからない政治家が多いこともあると思います。

お父さんの洋平氏は、自民党総裁になった時に目が話題になりました。
杉良太郎か河野洋平かというくらい、目からくる説得力がありましたね。

それに比べて太郎氏といえば誰かに似ているかと感じていたのですが・・・
そう「くしゃくしゃおじさん」に似ていませんか?
くちゃくちゃおじさん、じゃないですよ。
「くしゃくしゃおじさん」を知らない方は、ネットで画像検索してみてください。

その河野太郎氏。
就任あいさつの時もそうだし、目安箱の設置も電光石火でした。
やること早っ!ですね。
あの強面の顔に似合わず、そうとう懐も深いようで、記者の皆さんも好感を持っているとか。

政改革担当相って権限の及ぶ範囲がどこまでかは良く知りませんが、少々勇み足くらいの動きをしてほしいと思います。

なんとなくイメージ戦略の感が強かった安倍さんと違って、ものすごく具体性のあるのが菅内閣だという印象。
今日もPCR検査の減額化(無症状者)や、携帯料金の引き下げに向けた検討を進めるよう指示した、とか今までの内閣とちょっと違うぞという臭いがします。

リーダーが動けば国民も動きます。
先が明確に見えるなら、多少の辛さは我慢はできます。
他の閣僚たちも、それぞれの立場で即行動をお願いしたいものです。

まだまだ台風には注意が必要

2020年09月18日 09時31分07秒 | 災害に備える
今年はなかなか涼しくなりませんね。
房総半島に引っ付いていたピンク色の海水温は少し南下したようですが、まだまだ台風に対する油断はできません。


ここ数年の台風は発生してから短時間で上陸、しかも上陸時に強力な台風が多いので、最近は「台風のタマゴ」といわれている、雲の塊ができるサイトにアンテナを張っています。
これはやっぱり去年の台風15号の教訓から。

個人サイトですがこちらを毎日チェックしています。
https://typhoon.hatenadiary.com/

教訓というより恐怖からです。
昨年もここ房総半島に上陸した台風15号は、もの凄い「風台風」でした。
暴風は強弱を繰り返しますが、「強」の時は家が飛ばされるんじゃないかくらいに揺れます。
進路から少し外れた外房でさえこんな感じでしたので、内房地域は想像を絶するといった感じだったかもしれません。

今でもはっきり気象予報士の言葉が耳に残っています。
「今はこんな穏やかな状態ですが、数時間後には目を疑うような光景が広がっていると思います」



この天気予報は確か上陸する前日の夕方聞いたんだと思いますが、その時の外の様子はそよ風が吹いている程度で、時折風が強くなるといった感じでした。
台風が近づいていることは知っていても、大きさも大したことがないし、眼はあるものの、輪郭がしっかりくっきりしていないし・・・なんて感じで、たぶん私も含めてたくさんの人が油断していたと思います。

気象予報士の人も「もしかしたら予想が外れるかもしれない・・・、ちょっと控えめに言っておこう」くらいの気持ちだったと思います。

確かに普通の日とは少し違っていて、湿度も高く台風接近が近いことが肌では感じられる程度でしたが、まさかあんな超猛烈な台風だとは全く想像はできませんでした。

穏やかな状態はその日の日付が変わってもそんなに変化はしませんでした。
でも深夜2時頃からでしょうか。
突然強風が吹き始めました。
30分もしないうちに強風はいきなり暴風に変わりました。

後はニュースで報じられた通り。
ゴルフ練習場の支柱が倒れたり、電柱が軒並み倒れたり、特に内房地域で大きな被害が出ました。

停電は最長16日続き、幸い我が家は免れましたが、道路1本隔てた家では数日間停電していました。

本日現在は、まだ台風12号のタマゴは発生していませんが、まだまだ気を緩めないでいたいと思っています。