昨日は、午後より那智勝浦町下里へ立ち寄りました。
この建物は、佐藤春夫の実家で「懸泉堂(けんせんどう)」です。
(下里町で六代つづいた懸泉堂という医家で、佐藤春夫の父の代になって新宮に移り、
外科病院を開業する。)
この「懸泉堂」は、この地において、教育の振興と人材の育成に最も功績のあった私塾でもあったのです。
現在、建物は私有となっているので、老朽化が激しく手もはいっていないようです。
子供の頃から、この赤い建物が、佐藤春夫の家だったという事だけは知っていました。
お隣の新宮市には、佐藤春夫記念館が、熊野速玉神社境内にあります。
ツワブキの花の黄色がこの懸泉堂によく合っていました。
帰りは湯川のゆかし潟を通ります。
ゆかし潟は、汽水湖で、海水と淡水が入り交じっている鹹湖。
佐藤春夫が、「なかなかに、名告(なの)らざることゆかしけれ、ゆかし潟とも呼ばば呼ばまし」と、唄ったことから名付けられました。
たくさんのカモが泳いでいます。
一番遠くの方で泳いでいたので間近には撮れなかったのですが、
気持ちよさそうに遊んでいます。