草津線で終点の柘植まで乗車します。
駅に着く手前、左側の森林に目を向けると転車台が見えました。
駅舎を出て線路と反対側の道へぐるっと回り、山道のようなところを抜けると
御覧のように転車台が目の前に広がります。
車窓からだと土に還ってそうな感じでしたが、思いのほか形をとどめています。
この転車台は上路式のバランスト型、枕木締結式で長さは18m級です。
製造銘板から1911年(明治44年)の文字が読み取れます。今年で100歳を迎えます。
夏目漱石が生きていた時代の建造物です。かなり歴史的価値がありますね。
ロック機構は上ノック式ですが、ピット側の受けは残っていませんでした。
桁の両端には補助レールが設置されています。
枕木の腐食が激しく、数えるほどしか残っていません。
レバー台は今にも落ちそうな勢いです。
また、電動式だった頃の名残でしょう。ヤグラの取り付け痕があります。
周囲は森林が伐採されているのは転車台を守るためでしょうか?
いっそのこと復元してくれたら嬉しいですね。
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以前より見させていただいています。
柘植の転車台は伊勢のものと同じようで製造銘板
も同じ形です。以前にすごい草を掻き分けて見に
行ったのですが、転車台がどうなるのか心配です。
伊勢の転車台は現役ですが製造銘板が剥がされて
います。ただし、破片から柘植と同じかそれ以前の
ものである事は間違いないようです。
このサイズは大型機が入らない線区でよく見られたようですね。銘板はなるべくチェックするようにしていましたが、伊勢は剥されていましたか。可動するのにちょっと残念ですね。
楠本様ご無沙汰しております。ちびちび活動
しております。
製造銘板の端っこが残っていて、その部分に
汽車製造会社のものである事、明治の明の月
の半分が残っています。明治44年以前の製造
なのは間違いないです。
4年後に伊勢車両区の移転を検討しているという
情報があり、転車台のほうもどうするかという
話もあるそうです。しかし、現場の有志がまだ
残す努力をされているそうです。
今の柘植駅は民家も少なく寂しいような感じがしました。転車台も使われなくなってから、かれこれ数十年経つんですね。