趣味人Tの伝言

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柘植の転車台

2011-05-09 16:15:20 | 転車台訪問

草津線で終点の柘植まで乗車します。

駅に着く手前、左側の森林に目を向けると転車台が見えました。

駅舎を出て線路と反対側の道へぐるっと回り、山道のようなところを抜けると

御覧のように転車台が目の前に広がります。

車窓からだと土に還ってそうな感じでしたが、思いのほか形をとどめています。

この転車台は上路式のバランスト型、枕木締結式で長さは18m級です。

製造銘板から1911年(明治44年)の文字が読み取れます。今年で100歳を迎えます。

夏目漱石が生きていた時代の建造物です。かなり歴史的価値がありますね。

ロック機構は上ノック式ですが、ピット側の受けは残っていませんでした。

桁の両端には補助レールが設置されています。

枕木の腐食が激しく、数えるほどしか残っていません。

レバー台は今にも落ちそうな勢いです。

また、電動式だった頃の名残でしょう。ヤグラの取り付け痕があります。

周囲は森林が伐採されているのは転車台を守るためでしょうか?

いっそのこと復元してくれたら嬉しいですね。

 

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
各地で (カケス)
2011-05-13 12:20:37
最近、新幹線の開業や駅前開発などで旧機関区の移転という話をよく耳にします。移転するにしてもせめて保存して欲しいと思います。
返信する
お久しぶりです (カケス)
2011-05-13 12:16:41
やはり歴史ある転車台のようですね。
今の柘植駅は民家も少なく寂しいような感じがしました。転車台も使われなくなってから、かれこれ数十年経つんですね。
返信する
Unknown ()
2011-05-11 23:39:10
カケス様お返事ありがとうございます。
楠本様ご無沙汰しております。ちびちび活動
しております。
製造銘板の端っこが残っていて、その部分に
汽車製造会社のものである事、明治の明の月
の半分が残っています。明治44年以前の製造
なのは間違いないです。
4年後に伊勢車両区の移転を検討しているという
情報があり、転車台のほうもどうするかという
話もあるそうです。しかし、現場の有志がまだ
残す努力をされているそうです。
返信する
懐かしい! (楠本茂貴)
2011-05-11 22:29:16
カケス様、巽様、ご無沙汰です。懐かしい柘植の転車台です。昭和30年代、40年代にはC51、D51、C58を転向していたやつです。草津線は関西本線より開通が早く、乙線規格で本来、幹線に位置づけられていました。姫路発の参宮快速があり、姫路のC51がロングランしていました。戦前は伊勢神宮への参拝が多くありましたので、このテーブルも大活躍だったでしょうね。
返信する
G3型 (カケス)
2011-05-11 16:33:00
コメントありがとうございます。
このサイズは大型機が入らない線区でよく見られたようですね。銘板はなるべくチェックするようにしていましたが、伊勢は剥されていましたか。可動するのにちょっと残念ですね。
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Unknown (伊勢参宮鐵道 巽)
2011-05-11 08:47:11
こんにちは
以前より見させていただいています。
柘植の転車台は伊勢のものと同じようで製造銘板
も同じ形です。以前にすごい草を掻き分けて見に
行ったのですが、転車台がどうなるのか心配です。
伊勢の転車台は現役ですが製造銘板が剥がされて
います。ただし、破片から柘植と同じかそれ以前の
ものである事は間違いないようです。
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