いよいよ九州2日間の旅も最終回です。長崎の車両基地は午前中に大体見終えたので、帰路に就く夕方までの時間を利用してちょろっと観光してきました。
まずは長崎市電の1系統に乗車します。築町で5系統に乗り換えて、大浦海岸通りで下車しました。ちょうど出発した対向列車は貸切列車だったようです。
この電停から終点の石橋電停までは単線区間になります。
そのためか分かりませんが、架線はカテナリーから直吊に変わります。
軌道は歩道のようにも見える専用線となり、大浦天主堂下電停へと続いています。
大浦海岸通りから少し歩くとグラバー園入口の停留所があるのでそこからバスで小菅町まで乗車しました。バスの行先は種類が多くてどれに乗車すればいいか分かりにくいため、長崎バスの時刻・運賃クイック検索を利用しました。本数は多いので助かります。
バス通りのすぐ下に目的地が見えてきました。
小菅修船場跡 1868年(明治元年)竣工
トーマス・グラバーと薩摩藩士の小松帯刀と五代才助が計画を進めて建設されました。
船架を用いて船を陸に引き揚げる西洋式のスリップ・ドックです。
国内では初めて採用された方式のドックで、国指定の史跡に登録されています。
軌道
船架は水中に続く軌道と、船台と呼ばれる台車で構成されています。
満潮時に船台を水中に潜り込ませ、船をその上に載せて引き揚げます。
建設当初の船台はもっと細長かったのでソロバンドックと呼ばれたそうです。
船台
日本の鉄道開業(1872年)より古い鉄路ですのでけっこう貴重だと思います。
さらに中央にはラックレールのようなものが設置されていました。
おそらく引揚げた船がずり落ちないようにするためのラチェットでしょう。
中央にある建屋が船を引き揚げるための巻上小屋で、動力はボイラーを使用した蒸気機関です。残念ながら内部は非公開ですが窓越しに覗くことは出来ます。巨大な歯車を使用しており、1000tクラスの船舶も引揚げ可能とのこと
左右の小さい建屋には船台を引き揚げるためのウインチが設置されています。
これは恐らく竣工後に追加されたものではないかと思います。
巻上小屋はレンガ造りです。
実はこの建屋こそ現存する国内最古のレンガ建造物であるというから驚きです。
全形レンガより薄くて扁平なこんにゃくレンガが採用されていることや、積み方がフランドル積みであることからもこの建屋が明治初期に建造されたことがわかります。
レンガの小口面には焼印が入っているものが多数見受けられました。
ラックレールの先端には船の引揚げ用と思われるチェーンがあり、小屋の中に繋がっています。ところで中央部は木製に見える引揚げ小屋ですが、実はハリボテでした!
室内を覗くとわかりますが内側にもちゃんとレンガが積まれています。
どうして下見板が張られているんでしょうね?
造船業・レンガ建築の両面から見ても大変歴史的価値のある建物ですが知名度が今一つなのが残念です。長崎駅から30分もあれば行けるので興味のある方は行かれてみてはいかがでしょうか。また、対岸にある三菱重工長崎造船所の史料館には小菅修船場の模型が展示されています。
再びバスで南下し小ケ倉で降車しました。少し歩いたところにある建物がこれ
国際海底ケーブル陸揚庫 1871年(明治4年)竣工
石碑には長崎-上海の海底に敷いた通信ケーブルを引揚げるための建物と書かれていました。レンガ造りと石造りが融合した不思議な造りをしていますね。
↓クリックで石碑の拡大写真
先の小菅修船場と同じくこんにゃくレンガが使用されていますが、積み方は長手積みでした。刻印は18種類もあるそうです。柵の中には入れないので確認はしませんでした。
中央には煙突も備わります。
国内最古の国際海底ケーブル陸揚庫とは言いますがちょっと素っ気ないですね。
せめて柵の中に入れるとか柵の外に案内板くらいは立てて欲しいところです。
栃木にあるKDDIの国際通信資料館にこの陸揚庫のレプリカがあるそうです。
しかも近代化産業遺産に認定されているとか。本物が現存するのにおかしな話ですな。
起伏の多い長崎の街並みは美しいです。
おわり
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