庭と花の物語*西原村

小さな村の小さな庭やそこで育った花々を紹介します。季節の移り変わりとともに。

熊本空港上空の絶景    クマモン、マンガの色紙もありました

2017年09月09日 | 旅行

8月の後半、急きょ熊本をはなれました。

熊本空港に行くと

ロビーに漫画作家の色紙が飾ってありました。

 

熊本を応援してくれていました。ありがとう。

 

クマモンは、ここ熊本空港にもいっぱい。

乗る前にはいつものカフェでお茶をします。

カフェの前では「球磨焼酎」の販売の催しをやっていました。

球磨焼酎はいもではありません。

米で作られます。

父は焼酎をあまり飲みませんでしたが、球磨焼酎だけはおいしいと言っていました。

 

この日は午前中雨。

東に向かう空は雲で真っ白。

地上800メートル付近に雲が残っていました。

阿蘇の外輪山は1000メートルの高原。

雲より高いので、外輪山の稜線がくっきりと見えています。

写真では翼の上に見えています。

雲の海に山々が島のように。

外輪山の中に見えるのが阿蘇の五岳。

奥に見えるのが九重連山。

写真の下方は南です。

阿蘇谷の立野口から西に雲が流れています。

雲は阿蘇の外輪山のすそ野である台地に沿っています。。

雲のはしに白川が流れています。

 

1万年前のカルデラ湖の決壊の後に、活断層が動いたのでしょう。

 白川と平行に何本もの断層地形が見えます。

素人の私の見方ですが。

 

幾多の災害を人々は乗り越えて今があると思いませんか。

そんなことを思いながら眺める

熊本空港上空からの絶景はすごいです。


修理、修復の終わりがみえてきました          あれから1年4か月    

2017年09月08日 | 熊本地震

 

家の裏側に夕焼け(西側)

反対側(東)は山です。

西原村は、山西村と河原村が合併してできました。

ここは山西村、名の通り、俵山の西側に村はあります。

中空に黒っぽい雲があります。

周りを見たかぎりではここだけです。かなり低い位置でした。

数百メートル西、布田川断層のあたりです。

低い空にどうして周りと違った雲がわくのでしょうか。

上の写真は阿蘇に向かう道です。

白川は右手の低地を流れています。

西原村はその白川のさらに奥になります。

俵山が見えています。

西原村から白川を渡ったこのあたりは全壊の家は見当たりません。

昨年の地震の時にはこの付近のコンビニのトイレを借りに来ました。

道路が応急工事でやっと通れるようになった時に。

 

西原はインフラが全部ストップしていました。

道路はアスファルトがめくれ上がって、いたるところで陥没していたのです。

今でも300世帯以上が家を失って、仮設住宅に暮らしています。

 

 我が家の現在の玄関。

土台が動くほど揺れたのです。

修理しましたが、家のずれは戻せませんでした。

まだまだ

片づけが残っています。

でも

いろいろな修理、修復もいよいよ最終段階でしょうか。

地震が持ち去ったものはたくさんありましたが、残ったものもたくさんあったとも思います。

 

 

 

 

 


夏の庭は草刈りが決めて    やっと歩けるようになりました

2017年09月07日 | 

下草を刈ってもらいました。

歩けるようになりました。

大事な花も一緒に刈り取られてしまいます。

白のヒガンバナが咲く前に草刈りは必要。

目立つ花は多少の草とともに残すこともできますが。

母が植えたギボウシが花をつけています。

草に埋もれていましたが、やっと姿が見えました。

ムクゲは優しい花ですね。

 

一番華やかに咲いていたのはサルスベリ

下草が刈られるので、最近ノカンゾウの花を見ていません。

 

種が黒いつやつやの粒のヒオウギアヤメ。阿蘇の草原の花です。

ぬばたまとは、この種のことらしいです。

 

ユウゼンギク

しろ、ピンク、赤、どの花も控えめ。

 

夏藤

濃い赤紫の花色が個性的でしょう。

我が家に訪れる人は必ず足を止めていますよ。

 

梅雨の名残のアナベルが残っていました。

 

 

枝落しをする前のアジサイ。

草刈りが終ったのでアジサイの近くにも行くことができるから

半分くらいに切ってしまいましょう。

 

とんでもない藪になっていたのです。

すっきりすると、気持ちいいですね。

しかし

心なしか、忘れ物をしたような気分もないわけではありません。

 


夏の花は背丈が高い      その1        

2017年09月06日 | 山野草

サワギキョウ

夏の花は夏草の中に咲くので背丈が高くなるのかな。

支えがないと倒れてしまいます。

 

紫のサワギキョウ

 

ヒオウギアヤメ

この花はちょっと背の低いダルマヒオウギアヤメです。

 

ギボウシ

サギソウ

 

ユウスゲ

8月になると阿蘇の草原に咲きます。

 

 

ミソハギ

母が好きだった花。もっと増やしてみたい花。

 

女郎花

植える場所を考えてしまいます。

 

チクシトラノオ

次のルリトラノオとほとんど同じに見えます。。

我が家の庭に咲いた夏の花を半分ほど紹介しました。

 

 

 


縄文遺跡!我が家の庭!     西原村の昔は?

2017年09月04日 | 西原村の昔

石斧2個は、45年くらい前に私が見つけたもの。

我が家の敷地で。

当時、父母が西原に家を建てたのでした。

 

緩やかな傾斜地だった土地を、ブルトーザーで押し開いて平らにしたのです。

ある日、土器のかけらが点々と庭に落ちているのを見つけてびっくり。

我が家に考古学の大ブームが起こりました。

 

雨が降った翌日は、庭を隅々まで歩き土器のかけらを探しました。

探す範囲は広がって。

近くの桑畑など、土が見えているところに、じっと目を凝らすのです。

必ず数個は拾いました。

実は拾った場所ごとに分けて父が並べていました。

しかし

地震でケースは壊れ、石器も、土器も床に投げ出されたのです。

19年間、父が並べた状態のままにしておいたのに。

地震は思い出を持ち去っていきました。

 

壊れた家具の中から、姉妹が拾い集めてくれたのがこれです。

改めて家族の思い出になみだしたのです。

 

この遺物を大学の研究室に出そうと考えています。

明日。

新しい思い出の一ページを開きます。

私はその場にいませんが姉妹たちが引き渡してくれます。

 

50年近く私達家族に夢とロマンをありがとう!

このささやかな出会いに感謝!

 

 


白川   阿蘇から熊本市まで流れる   

2017年09月04日 | 西原村の昔

大豆の畑。草が刈られた土手きれいですね。

私が子供のころ小豆、大豆は田んぼの畔に植えてありました。

最近は見たことがありません。

 

8月のある日西原村に帰る途中、立ち止まったのは。

いつもの川のほとり。

東の阿蘇から流れてきた白川。

白川は、ほぼまっすぐ西の有明海にそそいでいます。

地震後初めて、川のそばに立って立野方面を眺めました。

立野は阿蘇大橋が崩落したところ。

地震に詳しい人がこの風景を見たら、断層地形を見つけるのでしょうね。

 

迂回路として西原村の道が使われるようになって、

写真を撮るために、橋の上で車を止めることが不可能になりました。

交通量が増えました。

正面のU字の谷は1万年前に地震でカルデラ湖が決壊した時できたもの。

中腹に見える丘の上のドーム型の白い建物は地震研究所です。

大きなエネルギーが直撃したでしょうね。

活断層の亀裂が多く見つかった場所でもあります。

 

山が適度に隠していますが、正面の立野や南阿蘇村の長陽あたりは、ずたずたに崩れています。

熊本空港に降りる飛行機からは数十カ所のがけ崩れが見えます。

その真ん中に、谷深くに白川が流れています。

白川にかかった橋。

西原村に向かうには必ず渡ります。

1年以上たっているのに、まだ杉の木が橋に架かっていました。

この橋も昭和29年の水害の時に流されたのでした。

あれから60年以上たち、橋は老朽化しています。

数年前にはこの橋の近くの護岸が水害で崩れ、修復したばかりだったのでした。

 

この橋を渡る時、いくつもの物語と情景が浮かんできます。

橋が流されて、新しい橋が完成するまで渡し船がありました。

大きな石の間を船が行き来していたと記憶しています。

今では小石ばかり、昔の大石はどこに行ったのでしょう。

夏の暑い日船の時間を待って入るあいだ、母と「ところてん」を食べたのでした。

母は思い出しては「おいしかった」と言っていました。

たぶん汗だくでここまで歩いてきたのです。

その店がどこだったのか、跡形もありません。

 

大石も船もところてんも私の記憶の中から消えてはいないのに。

 


2017「萌の里」の夏祭り   復興感謝の催し

2017年09月02日 | 萌の里

西原村に夏が来ました。

俵山の草原はみどりに満ちています。

2017年8月13日   草原の前の駐車場に車がどんどん止まっていました。

「俵山交流館・萌の里」で復興感謝の夏祭りがあったからです。

昨年は地震のため店舗は休業。

夏祭りもありませんでした。

地震から約1年後

3月15日に「萌の里」の店舗は再開しました。

おおくのお客さんが再開の「萌の里」に来てくれていました。

 

復興感謝の夏祭り

午後3時。屋台の準備が着々と。

お祭りは準備を見るだけでもウキウキします。

村の子供たちかな。

楽しそうでした。

 

6時過ぎにお祭りに行ってみました。

ビール、焼きそば、ローストビーフを買い求めて。

集まってきたカメムシを払いのけながら楽しんだのはこれです。

 

カラオケ。

お年を召した方ですが、びっくりするほど上手なのです。

社交ダンスを披露する人。曲は「パイレーツオブカルビアン」。

踊る人。

フラダンス、10年近く習っていると聞きました。

20年近くグループを組んでいるバンド。ドラムを叩く彼は現在役場の職員だそうです。

 

この舞台、じつはトラックの荷台。

みんな元気ですよ。

司会の女性も数時間巧みなおしゃべりで盛り上げてくれました。

もちろん地元の人です。

私は笑って泣いて、一番前の椅子に掛けて声援を送りました。

西原村は何とかやっていくんだろうなあと思いながら。

花火が祭りの終わりの合図。

実は夏の終わりの合図でもあります。

このころから秋の風が吹き始めますから。

そろそろ秋の花が咲きます。

 

 

 


コチの谷の山ん神さんと 猿返しと馬返しの狐 (二) 

2017年07月22日 | 西原百話

 

 


コチの谷の山ん神さんと 猿返しと馬返しの狐

2017年07月20日 | 西原百話

西原百話を紹介します。

八月には熊本の西原村に行きます。

今西原村を離れています。西原の話題ちょっと待ってくださいね。

(こちの谷)

 

(次回に続きます。)


日比谷を散歩      いろいろ遊べる界隈です

2017年07月18日 | 広場と公園

日比谷公園の大噴水

 

噴水の広場は様々なイベントの会場にもなります。

イベントの時はとってもにぎやかですよ。

 

この日は森の奥から音楽が響いてきていました。

音の出ている方向に歩いてみると

少年少女が列を作っていました。

野外音楽堂でコンサートをやっていたのです。

 

さらに歩いてみました。

梅雨明けはしていると思います。

気象庁の発表はまだですが。

池は、昔入り江だった名残とか。

 

公園は広いです。

カフェでやすんで、、レストランで食事もできますよ、数カ所あります。

すべて歩くとかなり時間がかかります。

 

 

 

 日比谷門の脇に花店があります。

今日はベコニヤが並んでいました。

この店のシクラメンは素晴らしいですよ。冬にどうぞ。

店内のレイアウトも素敵です。

 外から見てもおしゃれです。

日比谷門の向かいは帝国ホテルです。

 

日生劇場、東京宝塚劇場が並んでいます。

 宝塚劇場の前はいつも女性たちでいっぱいです。

 その中に

 佐藤忠良のブロンズ像が立っています。

じっくり見てほしい作品。

 

東京宝塚劇場は7月23日まで早霧せいなと、娘役咲妃みゆのさよなら公演。

「幕末太陽伝」「Dramatic ”S”」をやっています。

 

雨が少なく、真夏日の続く7月です。

アジサイも精彩がありません。

ここから、JR有楽町の駅まで5分。

日比谷界隈は年配者でも大丈夫ですよ。

楽しめます。

 


首賭けイチョウ       江戸の古木の今

2017年07月18日 | 広場と公園

地下鉄千代田線の日比谷駅の階段60段を上ると、日比谷公園の東側入口に着きます。

ちなみに霞が関の階段を上がると西側の日比谷公園入口に着きます。

公園には「松本楼」というレストランがあります。

日比谷公園は明治36年、日本で初めての西洋式公園として誕生しました。

森の中にたたずむレストランは、明治36年日比谷公園と同時に開業しました。

おしゃれな三階建て洋風木造建築でした。

以来多くの文人、芸術家に愛されたそうです。

実は

昭和46年秋、放火により炎上焼失した松本楼。

当時沖縄デーの混乱のさなかでした。

しかし

昭和48年9月25日、全国からの励ましや寄付によって再オープンしたのでした。

 

松本楼のわきに「首かけ銀杏」の木はあります。

松本楼炎上焼失のとき、このイチョウの木も黒こげになりました。

しかし翌春、

力強く若葉を芽吹かせたのでした。

樹齢400年といわれています。

首賭けイチョウの由来が記されています。

明治32年ごろ

道路拡張の際、伐採されそうになったとき、日比谷公園の設計者の本多静六博士が

「首に賭けても移植させる」と当時の東京市議会の議長に進言して移植された古木です。

現在の日比谷交差点付近にあった木でした。

江戸時代の初めから生き残ってきた木。

その前のいわれもあったことでしょう。

 

赤レンガの日比谷公会堂が正面。

西洋式庭園には薔薇が咲いていました。

 

 

 

木陰には、べんちで休む人も多くいました。

近くに来たら立ち寄ってはいかがでしょうか。


西洋美術館の白い花       世界遺産の美術館

2017年07月13日 | 広場と公園

東京上野の西洋美術館

ル・コルビジェの建築として世界遺産になっています。

アルチンボルトの展覧会をやっています。

16世紀の画家ののすごさが際立っていますよ。

前庭にはロダンやブルーデルの彫刻が展示してあります。

前庭の出入りはもちろん自由。

ロダンの「疑獄の門」のまえにはベンチが並んでいます。

待ちあわせに便利です。

この広場の花は   白花のキョウチクトウ

白花のムクゲ

白花のアジサイ

クチナシもちろん白い花です。花は終わっていましたが。

この季節はホワイトガーデン(!?)になっていますよ。

 

ショップやレストランは自由に入れます。

ル・コルビジェの庭を眺めながらレストランで食事はいかがですか。

リーズナブルなお値段です。

 

 

 


一の峰の竜どん     西南の役と村人の話

2017年07月11日 | 西原百話

 

 西原村のお話を紹介します。

母も亡くなる前にこの話を聞いて涙しました。

 

 

(一ノ峰と二ノ峰)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


オカトラノヲ・ネジバナの季節  身近なところにあります。

2017年07月03日 | 山野草

 オカトラノヲが咲きました。

 道路わきののりめんに群生しています。

 毎年咲いています。

 草刈りが早く実施されると、花を見ない年もあります。

多摩ニュータウンはいたるところに野の花が見られます。

里山だったころの名残でしょうね。

 白い花なので華やかさはありませんが。

庭に植えたいような美しい花です。

 団地の中の道路を歩くときは、探してみませんか。

同じころにネジバナも咲いています。

多摩市の道路の中央分離帯の芝生に今花盛りです。

車で通るときについつい眺めてしまいます。

危ないのでやめましょうね。    

実は

多摩ニュータウンの公園のほとんどの芝生で見ることができますよ。

花の付きかたがいろいろあります。

最近ストレートに花が咲いているのをよく見ます。

ネジバナに何かが起こっているのでしょうか。

横から見ると探しやすいですよ。

庭ゼキショウや アカバナもクローバーの間に咲いています。

歩いていると汗ばむ季節になりました。

熱中症に気を付けてくださいね。

 


プラタナスの古木   時代とともに移り変わった草地と中沢池   

2017年07月01日 | 樹木

ショウブの花を見に行きましたが

すでに花の時期は終わっていました。  わずかに残った花を写真に撮りました。

 

 

 ここは東京都多摩市の中沢池公園

ショウブ田があります。

 

 

 昔はちいさな田んぼの棚田があったところです。

今は、ほぼ昔の姿を残したまま公園になっています。

 

 

花が終って、雑草抜きと茎の剪定をしていました。

 

 水辺で遊べるように小川の流れを作ってありますが。

 横に自然のままの中沢川も流れています。

下の写真が中沢川。ちいさなせせらぎです。

この地域のたいせつな生活を支えた川でした。

 

中沢池からの流れです。   中沢池は湧水と雨水をためた池です。

 やはり自然の川のほうがきれいですよね。

 

ショウブ田を過ぎて、公園の一番奥に池はあります。

 

 この池は江戸時代(寛文年間 1665年)に作られたものです。

昭和9年に地元の有志9人によって現在の形に改修されました。

落合あたりまでの水田に水を送っていました。

多摩ニュータウンができてから田んぼはなくなりましたが。

 

池の奥の緑地は、今はゴルフ場になっています。

明治頃までは多摩村の草刈り場でした。

長い間草地として維持してきたので、明治以後には牧場となり、乳牛が飼われていました。

日本最初のアイスクリームはここの牛乳が横浜に運ばれてつくられたのでした。

牧場からゴルフ場に変わるのには、さほど手間はかからなかったことでしょうね。

戦後のことです。

 

わずかに文明開化時代の名残があります。

池の端にある「プラタナスの木」です、

樹齢100年を超える古木です。

日本に最初に持ち込まれたプラタナスの一本です。

 正面中央の木です。

 多摩村の歴史を伝える大切な木です。

草刈り場は入会地でした。池を作るには適当な場所でした。

ここに、プラタナスの木を植えたのですね。

どんな物語があったのでしょうか。

 

 冬に数百の実が枝先につくのが見事ですよ。