ある牧師から

ハンドルネームは「司祭」です。

韓国旅行⑰原州

2006年10月06日 | 韓国&中国旅行


ウォンジュと読みます。地図の赤丸つけたところです。江原道でも内陸の街です。9月8日に旅行の事書いた江陵と、9月16日に冬季オリンピック立候補の事を書いた平昌の延長線上になります。

この街に何があるのかという事ほとんど知りません。ただ私自身には大変思い出深い街なのです。

この街に行ったのは、私の人生でコンディション最悪だった時です。仕事をやめて、とりあえず韓国に行ってみようと思って行ったのです。なぜここに行ったかなんて何にも覚えていません。気がついたらこの街にいたというだけです。12月だったので雪のちらつく原州の街角で、縁石にポツンと腰掛けてボーっとしていました。何を考えていたのかもよく覚えていません。人間って、ものすごく辛い時の事とか、ものすごく恥ずかしい事って、想い出そうとしても想い出せないのかもしれません。

精神的にも最悪でしたが身体的にも最悪でした。どこかで連動していたのかもしれません。泊まっていた旅館で夜ふらふらと倒れてしまいました。立っている事が出来なかったのです。朝になったら起きられたからよかったのですが、そのまま日本に帰って入院する事になってしまいました。

おかげさまで身体の方はまもなく回復し、精神的にはその後1年以上かけて仕事にも復帰できるようにもなりましたが、自分の人生をチャートにするならば、最底値を打ったのがこの街だったわけです。まあその意味では文字どおり再起の「原」となった街なのです。

韓国旅行のシリーズ、江原道はこれで終わりにします。次回は京畿(キョンギ)道に行きます。
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中国旅行⑬延吉の街

2006年09月17日 | 韓国&中国旅行
9月4日の投稿では、延吉の街に着いて、ホテルをとったところまで書きました。結局このホテルには4泊する事になります。途中で一日かけて北朝鮮との国境の街・図門に行くのですが、その事は別に書きます。

私が今まで行ってみた国は9カ国になりますが、ある国に行くと他の国とは違う、その国独特の雰囲気を感じます。しかしその同じ国内であれば、どこに行ってもだいたい似た雰囲気があるものです。以前に韓国のウルルン島のことを書きましたが、あのような離島でも、雰囲気は韓国そのものでした。

しかしこと中国に関しては、行く場所行く場所で随分違うものを感じるわけです。私の旅行のそれまででも、大連と長春は全然雰囲気が違いました。そういうのは一つには国が広いという事によるでしょう。でも延吉の場合は、人口の半分が朝鮮族であるという民族的な事を理由としてでしょうか、なんか韓国にも近いような独特なものを感じました。



長春から列車で何時間もかかって、その間には街らしい街があるようにも思えなかったのですが、この延吉は都会で、大変洗練された街でした。人々の活気もあります。少なくとも市の中心部は、とても裕福な感じがいたしました。韓国や日本への留学の案内の看板が出ています。車やオートバイも結構いいものがはしっています。韓国の資本も相当入っているのではないでしょうか。

トップの写真は延辺大学という、相当大きな大学です(写真は延辺大学HPのもの)。広いキャンパスを持っていました。近くには広い公園があったりして、憩いの場所になっているようです。

日曜日は朝鮮族の教会に行ってみました。ここは説教からお祈りの仕方にいたるまで、もう全く韓国の教会そのものです。たくさんの人が集っていました。一つびっくりしたのは、礼拝が終って外に出ると、タクシーがたくさん並んで待っていたという事。こういう光景は韓国でも見た事がありません。



入口の縦の看板をよく見ると、向かって左は漢字で、右はハングルで書かれている事がわかります。

もうあと一回ぐらい延吉の街の事書いてみますね。 つづく
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韓国旅行⑯江陵(カンヌン)

2006年09月08日 | 韓国&中国旅行
韓国旅行の話、いま江原(カンウォン)道の事書いてます。前回は軍事境界線を越えて北に行っちゃいました。再び韓国側に戻ります。

ところで、「江原道の力」という韓国映画があります(トップの写真がビデオのパッケージ)。日本の映画館でも上映された事がある映画です。女性が主人公の前半と男性が主人公の後半とに分かれていて、一見別の映画をを見ているような感じなのですが、実はこの女性と男性は最近別れてしまった男女で、二つのストーリーを通して、過去に二人の間に起こった「出来事」を浮かび上がらせるというものです。

そしてその舞台が江原道になっているわけです。自分的にはあまり好きな映画ではないのですが、ただ前半のお話の最初(つまり映画の最初)に、主人公の女性がソウルから夜行列車で終点の江陵に向かい、朝方到着した江陵駅で洗面をしている場面があって、私もその路線で江陵に行った事があるため、なつかしく思ったりはした訳です。

まあそういうことで、ヨンドン線という路線の終着の駅なのですが、とっても小っちゃな駅でした。映画で見たのも同じです。でも最近、韓国の国鉄では駅をどんどん新しくしていますので、今はどうなっているかわかりません。



高速道路もこの街までは通っていて、ソラク山など江原道にある山岳地への、表の玄関口というところなのかも知れません。



街を一巡りしてみました。江陵は郊外には見どころが多いようなのですが、街なかには特段に変わったものはなかったと思います。私の勉強不足かもしれませんが。ただ、このあたりはイカのおいしいところで、食堂でイカの炒め物を食べたら、ボリュームたっぷりで、味も甘辛くておいしかったです。せっかくなので☆マーク出しておきますね。

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中国旅行⑫延吉に着く

2006年09月04日 | 韓国&中国旅行
8月14日の続きです。列車はいよいよ延吉(日本読み=えんきち、中国読み=イェンチー)に到着しました。 

       

延吉駅は改築中で、仮駅舎でした。駅前の建物を見ると、どこもトップの写真のように、ハングルと漢字が併記されています。駅前広場には、小型バスがひっきりなしに発着しています。まあともかくどこでも行ってやれと思って、それのうちの一つに乗りました。運賃は一元(15円くらい)。「地球の歩き方」の地図を見ながらいたのですが、運良く市の中心の方角に向かっています。

ところで、ここでインターネットで中国の地図のHPを探してみました。非常に精度の良い地図のHPがいくつかありました。そのうちの一つhttp://map.baidu.com/#で、延吉市の地図をダウンロードする事が出来ました。ところが著作権の関係でしょう。画像の保存はおろか、印刷さえもすることが出来ません。それでやむなくPCの画面をカメラで撮しました。



ちょっと見づらいけれど、左下に「延吉站」ってあるでしょう。そこが延吉駅です。駅前の道を北に行って、川を渡って右の方に行くと碁盤目のようになっているところがあるでしょう。そのあたりが一番にぎわっているところです。私もその一角の、「地球の歩き方」に載っていた朝鮮族経営のホテルに行き、とりあえず宿を取りました。対応に出てきたのは高校生ぐらいの女性でした。自分が日本人である事を言うと、「朝鮮語お上手ですねえ」「いえいえ、とんでもない。それより皆さん中国語も話せるんですか。」「ええ、もちろんです。小さい頃から学習していますから。」「「学校では英語も習うでしょう。」「ええ、だから英語も話せます。日本語と4つ話す人もいます。」 ホント朝鮮族の人たちの語学力には脱帽です。

ともかく宿を取る事が出来ました。一泊朝食つきで二百元(3000円ぐらい)です。まあこんなところじゃないでしょうか。 つづく
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韓国旅行⑮軍事境界線の向こう・元山

2006年08月19日 | 韓国&中国旅行
              元山金日成像 PIKS blogより

江原道は春川束草のこと書きました。ところで江原道というのは北朝鮮側と韓国側に分かれちゃっています。まあ悲しい現実といえばそうではあるわけですが・・・。北側の代表的な都市といえば元山(ウォンサン)です。下の地図江原道全体の地図なんですけれど、一番上の方にWonsanってあるでしょう。そこです。束草は海岸沿いの真ん中あたり、束草の北の赤い点線が軍事境界線です。



それはそうと、私は3年前に北朝鮮に行った事があります。但しこの時の事をこのブログに書くべきかどうかは、いろいろな意味でちょっと迷っています。その理由の一つは、この事は趣味や旅行で行ったのではないので、このブログのテーマからはちょっとはずれるということです。

でも今回ちょっとだけ覗いてもらっちゃいます。せっかく江原道の事書いているんだから、束草からずっと北行って、ここも江原道だぜってアピールしたいという事で、元山に行った事書いちゃおうと思うのです。という事で韓国旅行の話、今回は番外編として軍事境界線を越えて北朝鮮に入っちゃいます。もっとも北朝鮮を韓国とは別国家と見るのは外国だけのはなしであって、韓国にしてみれば北の政府は単なる非合法組織に過ぎないのですが・・・。

元山には平壌から陸路で行きました。新潟から例のマンギョンボン号でここに行くっていう手もあるんですけれど、政治的な理由で止まっていた時だったので、ウラジオストク経由で飛行機で行ったのです。

平壌から元山に行く途中で見たもの、それは貧しさそのものでした。たまにしか目に入らないのですが、家は粗末なものばかりでした。子供たちは汚い服に裸足です。元山に着いて少しほっとしたかなというところです。

平壌には有名な金日成像があります。私たちはそこに連れて行ってもらうことはできませんでした。理由は簡単。「偉大な金日成主席の像は見学に行くところではありません。拝みに行くところなのです。」という事。もっともバカデカすぎて、近いところまで行った時、頭が見えちゃいましたけれど。けれど元山の金日成像のところには行く事ができました。規模的にはずっと小さいものでしたけれどね。確かに花輪とかがたくさん献げられていました。

街を歩いている人なんてほとんどいません。本当に重苦しい感じの街でしたね。でもまあホテルだけは別でした。夕食も終った夜の事でしたが、私たちは上の方の階のカウンターバーのようなところで時間を過ごしました。従業員トンム(北朝鮮ではこのように呼ぶ)の若い女性が、平壌の大学に行ってた事とか楽しそうに話してくれました。私は以前にお話した北朝鮮歌謡というCDのカードを持っていたので、「これ知ってる?」ってチョ・グムファの“まだ言えない”という歌を指すと、「もちろんです」という事だったので一緒に歌っちゃいました。まあこういう女性はある特別の階層なのかも知れません。
        
朝ホテルの近くを散歩したのですが、釣りをしている人が結構いました。楽しみというよりは食料という事だったのかもしれません。下の写真は朝のホテル近くの風景です。クリックすると大きくなります。ちなみに写真の真ん中あたりの、停泊している白い建物のような船はマンギョンボン号です。

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