元山金日成像 PIKS blogより
江原道は
春川と
束草のこと書きました。ところで江原道というのは北朝鮮側と韓国側に分かれちゃっています。まあ悲しい現実といえばそうではあるわけですが・・・。北側の代表的な都市といえば元山(ウォンサン)です。下の地図江原道全体の地図なんですけれど、一番上の方にWonsanってあるでしょう。そこです。束草は海岸沿いの真ん中あたり、束草の北の赤い点線が軍事境界線です。
それはそうと、私は3年前に北朝鮮に行った事があります。但しこの時の事をこのブログに書くべきかどうかは、いろいろな意味でちょっと迷っています。その理由の一つは、この事は趣味や旅行で行ったのではないので、このブログのテーマからはちょっとはずれるということです。
でも今回ちょっとだけ覗いてもらっちゃいます。せっかく江原道の事書いているんだから、束草からずっと北行って、ここも江原道だぜってアピールしたいという事で、元山に行った事書いちゃおうと思うのです。という事で韓国旅行の話、今回は番外編として軍事境界線を越えて北朝鮮に入っちゃいます。もっとも北朝鮮を韓国とは別国家と見るのは外国だけのはなしであって、韓国にしてみれば北の政府は単なる非合法組織に過ぎないのですが・・・。
元山には平壌から陸路で行きました。新潟から例のマンギョンボン号でここに行くっていう手もあるんですけれど、政治的な理由で止まっていた時だったので、ウラジオストク経由で飛行機で行ったのです。
平壌から元山に行く途中で見たもの、それは貧しさそのものでした。たまにしか目に入らないのですが、家は粗末なものばかりでした。子供たちは汚い服に裸足です。元山に着いて少しほっとしたかなというところです。
平壌には有名な金日成像があります。私たちはそこに連れて行ってもらうことはできませんでした。理由は簡単。「偉大な金日成主席の像は見学に行くところではありません。拝みに行くところなのです。」という事。もっともバカデカすぎて、近いところまで行った時、頭が見えちゃいましたけれど。けれど元山の金日成像のところには行く事ができました。規模的にはずっと小さいものでしたけれどね。確かに花輪とかがたくさん献げられていました。
街を歩いている人なんてほとんどいません。本当に重苦しい感じの街でしたね。でもまあホテルだけは別でした。夕食も終った夜の事でしたが、私たちは上の方の階のカウンターバーのようなところで時間を過ごしました。従業員トンム(北朝鮮ではこのように呼ぶ)の若い女性が、平壌の大学に行ってた事とか楽しそうに話してくれました。私は以前にお話した
北朝鮮歌謡というCDのカードを持っていたので、「これ知ってる?」ってチョ・グムファの“まだ言えない”という歌を指すと、「もちろんです」という事だったので一緒に歌っちゃいました。まあこういう女性はある特別の階層なのかも知れません。
朝ホテルの近くを散歩したのですが、釣りをしている人が結構いました。楽しみというよりは食料という事だったのかもしれません。下の写真は朝のホテル近くの風景です。クリックすると大きくなります。ちなみに写真の真ん中あたりの、停泊している白い建物のような船はマンギョンボン号です。