ある牧師から

ハンドルネームは「司祭」です。

コラム第41回

2021年06月04日 | コラム「パウロとフィレモンとオネシモ」

コラム第41回を掲載していただきました。

コロサイ書にはフィレモン書以外のパウロ書簡の影響は見られないのですが、エフェソ書にはローマ書やガラテヤ書の影響が見られます。エフェソ書の著者がパウロ書簡を蒐集したオネシモであるならば、それは当然だと思えます。



今回はエフェソ書1章7~10節を読みます。ここは日本語訳では幾つかの文に分かれていますが、原文ではひとつながりの文になっています。

7 わたしたちはこの御子において、その血によって贖(あがな)われ、罪を赦(ゆる)されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。8 神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、9 秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。10 こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭(かしら)であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。

以下は
https://www.christiantoday.co.jp/articles/29559/20210603/paul-philemon-onesimus-41.htm

でお読み下さい。

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コラム第40回掲載

2021年05月21日 | コラム「パウロとフィレモンとオネシモ」

コラム第40回を掲載していただきました。今回からエフェソ書をお伝えします。第一回は、「聖徒」「祝福」といった言葉に目を向けてみました。



3回にわたって、エフェソ書の著者がオネシモであると考えていることをお伝えしてきました。しかし、本コラムはこのことを主張するのが目的ではなく、「フィレモン書・コロサイ書・エフェソ書」が「パウロ・フィレモン・オネシモ」というライン上にあり、そのつながりで3書を読むこと、すなわち、この3書を通して示されているメッセージは何なのかを見いだすことを目指しています。そういう観点で、これからはフィレモン書、コロサイ書に続き、エフェソ書を読んでまいりたいと思います。今回は1章1~6節についてお伝えします。

以下はクリスチャントゥデイサイトでお読み下さい。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/29499/20210520/paul-philemon-onesimus-40.htm

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コラム第39回掲載

2021年05月06日 | コラム「パウロとフィレモンとオネシモ」

コラムの第39回を掲載していただきました。今回はエフェソ書オネシモ著者説私の論点として、コロサイ書にティキコとオネシモが登場するのにエフェソ書ではティキコしか登場しないのはなぜか?フィレモン書に示されるパウロの弟子は?の観点からエフェソ書オネシモ節を論じています。外典ラオディキア人への手紙も掲載しています。ちなみに私はこれパウロの真筆のような気がしてます



こちらでお読み下さい。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/29440/20210506/paul-philemon-onesimus-39.htm?pc=1

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コラム第38回掲載

2021年04月15日 | コラム「パウロとフィレモンとオネシモ」

コラムの第38回を掲載していただきました。



エフェソ書オネシモ著者説の2回目です。今回は、グッドスピード、ノックス、ミトンらが、「オネシモがパウロ書簡集を編纂した」としていることと、タイセンがパウロ書簡集の編集者が自分でこの手紙を書いて、元からエフェソ地方で読まれていた、ローマ、コリント1、コリント2、ガラテヤの後に、第一の付録として付けられたエエソ、フィリピ、コロサイ、テサロニケ1、テサロニケ2、フィレモンの冒頭にエフェソ書を置いたと主張していることを関連付けて、「エフェソ書はオネシモが書いた」と解釈しています。

以後は、
https://www.christiantoday.co.jp/articles/29347/20210415/paul-philemon-onesimus-38.htm
でお読み下さい。

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コラム第33回掲載

2021年02月04日 | コラム「パウロとフィレモンとオネシモ」

コラム第33回です。「フィレモン書」「コロサイ書」「エフェソ書」「イグナティウスの手紙」という4つの時代として登場するオネシモ物語を、浦島太郎物語と比較してみました。お読みいただければ幸いです。



本文より

私は、初代教会の中に壮大なノンフィクションの「オネシモ物語」が存在していたと捉えています。それは、今日も4つの幕が残されています。第1幕は、フィレモン書における「召命を受けたオネシモ」です。第2幕は、今回お示ししたコロサイ書で伝えられている「宣教者となったオネシモ」です。第3幕は、今後本コラムでお伝えする「エフェソ書を記しパウロ書簡を蒐集(しゅうしゅう)したオネシモ」です。第4幕は、第8回でお伝えした「イグナティオスの手紙―エペソのキリスト者へ」に記されている「オネシモスは言い尽くせぬ愛の人」と、多くの人々から尊敬を集めた「エフェソ教会の老監督となったオネシモ」です。

リンクでお読み下さい。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/29079/20210204/paul-philemon-onesimus-33.htm

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