前回の続きです。
仁川港から大連までの船の事については省略します。2年前と同じ船だったし。一晩をその船で過ごし、翌朝大連港について、路面電車に乗ってともかく大連駅に行ったのです。
私が以前から行きたいと考えていたところに延吉という街がありました。
北朝鮮との国境近くで、ロシアよりにある街です。人口の半分が朝鮮族だと聞いていました。大連駅で時刻表を見ると、延吉行きの列車は一日一本で朝の出発です。もうすでに出た後でした。それでその日の夜発の列車で、まずは途中の長春まで行って、そこで乗り継いで延吉に行ってみようと考えたのです。
中国の長距離列車の座席は4通りだと「地球の歩き方」に書いてありました。硬座・軟座・硬(臣ト=この二文字で一文字)・軟(臣ト)です。硬座は木のボックスシート、軟座はリクライニングシート、硬(臣ト)は3段ベッド、軟(臣ト)は個室の2段ベッドらしいです。並べた順に良いクラスになります。別にどれでも良かったのですが、電光掲示板を見ると軟(臣ト)しか空きがなかったのでそれで行く事にしました。長春まで170元ですから3000円弱くらいでしょうか。ファーストクラスでこの値段ですから、日本に比べれば格安である事は言うまでもありません。
あとは窓口で筆談です。応対の女性の駅員(たまたま女性だったという事-悪しからず)の愛想のないことといったら・・・。キップを投げつけるように渡して何も言いません。別に外国人だからということではなく、どの客に対しても同じです。この事は、この旅でこの後どこへ行ってもほとんど同じでした。
まあとにかくキップを買う事が出来たので、昼ご飯を食べる事にしました。駅前の食堂で餃子を頼んでみました。大きな皿に山のように盛られてきます。日本で進化した餃子のようにパリッとした皮ではなく、ほとんどお饅頭状態です。旅のそのあとを通しても感じた事なのですが、どうも中国では餃子はご飯代わりになっているのではないでしょうか。
夜まで大連の街をぶらぶらしたりして、いよいよ列車に乗る時がきました。30分ぐらい前に改札が始まると、たくさんの人がホームに向かいます。キップに記されている車両に乗ると、写真のように通路の片側に個室があり、中は2段ベッドが向かい合っています。(冒頭の写真)
続く
仁川港から大連までの船の事については省略します。2年前と同じ船だったし。一晩をその船で過ごし、翌朝大連港について、路面電車に乗ってともかく大連駅に行ったのです。
私が以前から行きたいと考えていたところに延吉という街がありました。
北朝鮮との国境近くで、ロシアよりにある街です。人口の半分が朝鮮族だと聞いていました。大連駅で時刻表を見ると、延吉行きの列車は一日一本で朝の出発です。もうすでに出た後でした。それでその日の夜発の列車で、まずは途中の長春まで行って、そこで乗り継いで延吉に行ってみようと考えたのです。
中国の長距離列車の座席は4通りだと「地球の歩き方」に書いてありました。硬座・軟座・硬(臣ト=この二文字で一文字)・軟(臣ト)です。硬座は木のボックスシート、軟座はリクライニングシート、硬(臣ト)は3段ベッド、軟(臣ト)は個室の2段ベッドらしいです。並べた順に良いクラスになります。別にどれでも良かったのですが、電光掲示板を見ると軟(臣ト)しか空きがなかったのでそれで行く事にしました。長春まで170元ですから3000円弱くらいでしょうか。ファーストクラスでこの値段ですから、日本に比べれば格安である事は言うまでもありません。
あとは窓口で筆談です。応対の女性の駅員(たまたま女性だったという事-悪しからず)の愛想のないことといったら・・・。キップを投げつけるように渡して何も言いません。別に外国人だからということではなく、どの客に対しても同じです。この事は、この旅でこの後どこへ行ってもほとんど同じでした。
まあとにかくキップを買う事が出来たので、昼ご飯を食べる事にしました。駅前の食堂で餃子を頼んでみました。大きな皿に山のように盛られてきます。日本で進化した餃子のようにパリッとした皮ではなく、ほとんどお饅頭状態です。旅のそのあとを通しても感じた事なのですが、どうも中国では餃子はご飯代わりになっているのではないでしょうか。
夜まで大連の街をぶらぶらしたりして、いよいよ列車に乗る時がきました。30分ぐらい前に改札が始まると、たくさんの人がホームに向かいます。キップに記されている車両に乗ると、写真のように通路の片側に個室があり、中は2段ベッドが向かい合っています。(冒頭の写真)
続く
国境を見てから、ヨンギルに戻り白頭山に登りました。
この日のために何年もかけて両国語を勉強しました。列車の中では朝鮮語が通じました。