ある牧師から

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峯野牧師が書いた陳述書

2024年12月03日 | 法律

甲第50号証
陳述書
令和6年6月21日
東京高等裁判所第22民事部ニ2係 御中
峯野龍弘

第1はじめに

私は昭和48年から現在まで、宗教法人ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会(以下「淀橋教会」といいます。)の主管牧師を務めております。また、現在、キリスト教精神に基づき飢餓、疫病、極貧、災害、戦禍等にあえぐ人々を援助することを目的とする特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパンの理事を務めているほか、平成18年から平成20年までは、日本福音同盟において、理事長を務めておりました。日本福音同盟は、日本の福音的諸教会の交流・協力機関であり、現在、教団・教派・教会、伝道団体から約100団体が加盟しております。

なお、私は、平成23年から令和元年まで、約9年間にわたり、株式会社クリスチャントゥデイ(以下「クリスチャントゥデイ」といいます。)の取締役会長を務めていました。これは、平成23年ころ、クリスチャントゥデイに所属する矢田喬大氏(以下「矢田氏」といいます。)らから依頼を受け、その趣旨、目的、有益性などに鑑み、自分が少しでも役に立つならとして引き受けたものです。もっとも、クリスチャントゥデイの事業の細かなところについては、当時から私は関与しておりませんでした。
 
その後、クリスチャントゥデイ◇◇◇◇氏、根田祥一氏(以下「根田氏」といいます。)や氏をはじめとする人々から様々な批判があり、私や淀橋教会に対しても事実に基づかない批判が加速し、多くの善意の関係者、淀橋教会の教徒・信徒たちに多大な困惑と痛み、不安と大きな悲しみを引き起こしました。そのため、私は、より中立的な立場で自己責任を貫徹するために、令和元年にクリスチャントゥデイの一切の役職を離任しました。
 
今般、クリスチャントゥデイが根田氏を名誉毀損で訴えている件(以下「本件」といいます。)について、令和6年4月22日に東京地方裁判所から判決(以下「原判決」といいます。)が下されたと聞き及んでおります。その原判決の内容を聞く限り、私の認識とは大きく齟齬があるようですので、以下のとおり、私の認識を述べます。

第2 クリスチャントゥデイの構成員が、自己の利益のために私を騙し、模範的なキリスト教徒を装ったとの指摘(原判決「侵害部分4」)について
 
原判決は、平成16年(2004年)頃に、東京ソフィア教会に通っていたクリスチャントゥデイの従業員2名が、張在亨牧師(以下「張牧師」といいます。)の進言で淀橋教会に通い、東京ソフィア教会への所属を隠していたと認定しています。また、矢田氏や高柳泉氏(以下「高柳氏」といいます。)が、淀橋教会に出入りしていた頃に張牧師の宗教的影響下にあり、その活動の便宜のため、私に対し、張牧師が「再臨のキリスト」であるとの信仰を秘し、淀橋教会又はその所属団体の宗教上の理念に従順である態度を示して、私にその旨を信じさせていたと認定しています(原判決25~26頁)。
 
しかし、原判決におけるこれらの認定は、私の認識とは大きな齟齬があります。

1 クリスチャントゥデイの従業員2名が東京ソフィア教会への所属を隠していたとの点について
(1)原判決が平成16年頃に淀橋教会に通っていたとする「クリスチャントゥデイの従業員2名」とは、○○〇子氏(以下「○○氏」といいます。)と北村宗範氏(以下「北村氏」といいます。)のことであると控訴人代理人弁護士から聞きました。
 
しかし、もしそのお二人のことだとすれば、おそらく彼らは淀橋教会に籍を移そうとしたのではなく、単に礼拝に通っていただけと思いますので、そもそも私に東京ソフィア教会への所属を明かす必要もありませんし、もちろん「隠す」必要もありません。

(2)原判決は、「教会に籍を置く」ことと、「教会の礼拝に通う」ことの意味の違いをご存知ないために、このような誤解をしてしまったのではないかと思います。
 
キリスト教において、信者は教会に教会籍というものを置きます。これはいわば戸籍のようなもので、一般的には洗礼を受けた教会に教会籍を置くことになります。基本的に、教会籍を二箇所の教会に置くことはなく、教会籍を新しい教会に移す場合には、転会という手続をとることになります。淀橋教会においても、他の教会から転会を希望される信者の方には、元々教会籍を置いていた教会の牧師や役員会の同意書を提出していただき、淀橋教会の教師会や役員会での審議を経たうえで、転会を認めることになります。教会によっては、比較的容易に転会を認めるところもあるようですが、淀橋教会では、少なくとも半年から1年程度は教徒・信徒の皆様と交わりをもっていただき、その日々の積み重ねによって信頼を得た方でなければ、転会は認められません。
 
平成16年当時の〇〇氏や北村氏については、大変申し訳ないのですが、私の記憶には残っておりません。そういった方々が淀橋教会への転会を申請したこともありません。○○氏は、淀橋教会の礼拝に参加されたことがあるとおっしゃっているようですが、転会するなどという話はなかったと思います。また、他に、□□□枝氏(以下「□□氏」といいます。)という方も、淀橋教会に一度礼拝をしに来たとおっしゃっているそうですが、この方も同様に私の記憶にはなく、淀橋教会に転会するなどといった話はなかったと思います。

(3)「教会の礼拝に通う」ということは、転会(教会籍を移すこと)とは全く意味が違います。各教会の方針によりますが、淀橋教会は、日本でも最大級の歴史のある開かれた教会であり、日常的に、他の教会に教会籍を置いている方や、それどころかノンクリスチャンの方であっても、絶えず礼拝に出入りしてくださっており、淀橋教会はこれを広く受け入れています。したがって、○○氏、北村氏、□□氏などが、淀橋教会に通ううえで、東京ソフィア教会へ所属していることを明かす必要などありませんし、「隠す」必要も全くありません。仮に、それらの方々が東京ソフィア教会へ所属していることが分かったとしても、淀橋教会の礼拝に参加していただくことは全く問題ありません。

(4)淀橋教会の礼拝は、淀橋教会のウェブサイトにも「どなたでも参加できます」と記載しているように、広く一般に開かれたものであり、多数の参加者が参加するものです。私は、毎週日曜日の早天礼拝と本礼拝を執り行っていますが、これらの礼拝には、コロナ禍の前には平均して約350人ほどの方がいらっしゃり、コロナ禍を経た現在でも約200人以上の方がいらっしゃっています。そのため、淀橋教会にいらっしゃる方ひとりひとりに私が直接お話する時間は残念ながらなかなか取れず、礼拝が終わった後に玄関のところでご挨拶をしたり、握手をするくらいが精いっぱいです。
 
したがって、○○氏、北村氏、□□氏などのクリスチャントゥデイの関係者が、平成16年頃に淀橋教会の礼拝に参加していたとしても、それは、多数の参加者の一人として、神様を礼拝する大切な時間を共に過ごしたことがあったということに尽きるものであり、彼らの神への信仰を深める一助となったということであればそれは嬉しく思いますが、それ以上の意味はありません。彼らが淀橋教会の礼拝に参加したからといって、クリスチャントゥデイの活動の便宜となることは考えられませんし、東京ソフィア教会に教会籍を置く方が、淀橋教会に「入り込む」などという話にはなりません。

2 矢田氏及び高柳氏が信仰を秘して私を騙したとの点について
 原判決は、矢田氏及び高柳氏が淀橋教会に出入りしていた際に、本当は張牧師が「再臨のキリスト」であるとの信仰を有していたのに、私に対してその信仰を秘して、私を騙していたと認定しています。しかし、そのようなことはありません。
 
まず、私は牧師であり、これまでも非常に多くの人を見てきました。その私からすれば、ある人物が異端的な教義を信奉しているか否かは、その人物の日々の営み、他の教徒・信徒との交流状況、教理的なところについての日々の発言内容などを長年見ていれば、真に信用できる人であるか否かを自分で判断することはできます。

本件で、根田氏は、矢田氏や高柳氏らクリスチャントゥデイの人たちが、張牧師が「再臨のキリスト」であるとの異端的教義を信奉していると堅く信じており、矢田氏らはこれを否定しているようですが、もし双方からあれやこれやと資料を示されたりしても、そのようなものは間接的なものにすぎません。クリスチャントゥデイに限らず、こういった異端に関する非難というのは時に起こるものなのですが、そういった場合に、私は牧師として軽々に動くことはしません。資料に何か書いてあるといった表層的な話よりも、その人物の日々の営みの積み重ねの中にこそ、真実があると考えております。
 
実際に、クリスチャントゥデイを異端とする疑惑は、これまでも私の耳に届いておりました。そのため、こういう言い方は好きではないですが、正直に申し上げると、私が矢田氏や高柳氏と関わりを持つようになった後も、彼らの発言内容や日々の教徒・信徒との交流状況は、かなり注意を払って見ていました。しかし、彼らからキリスト教の教義に反するような言動や行動が見られたことは、これまでに一度もありません。

特に矢田氏については、平成17年に淀橋教会に教会籍を置いてから現在に至るまで、約20年もの間、その日々の振舞いを見てきました。キリスト教の教義に反するような異端的な言動や行動が見られたことがないことはもちろん、長年にわたって淀橋教会に貢献してくれており、家族ができた後や、クリスチャントゥデイが経済的に困窮していた時期においても、忙しい中で奉仕活動にも積極的に参加し、他の信徒に対しても温かく親身に接してくれており、そのような信頼の下で淀橋教会の信徒役員にも推薦されています。
 
こういうことを言っても、それこそがクリスチャントゥデイの手段であり、まさに私を騙して淀橋教会に入り込もうとしているのだ、などと言われるのだろうな、と思います。しかし、仮にキリスト教の教義に反する異端的な信仰、張牧師が「再臨のキリスト」であるなどという異常な信仰を持っているようなことがあれば、日々の言動の中にそれが20年間にわたって一切出ないということは、あり得ないと思います。短期的に「模範的なクリスチャンを装う」ことはできるかもしれませんが、20年間にもわたって装い続けることは無理ですし、そこまでする意味があるとも思えません。
 
55年以上も淀橋教会の主管牧師をしている私の目から見て、約20年にわたる矢田氏らの日々の営みと、他の教徒・信徒らとの交流の積み重ねを見たときに、彼らが張牧師の宗教的影響下にあるとか、張牧師が「再臨のキリスト」であるとの信仰を秘していたなどということは、ありえないと判断しております。

第3 クリスチャントゥデイが「嘘で固めて淀橋教会に入り込んだ」との指摘(原判決「侵害部分5(4)」)について
 
原判決は、クリスチャントゥデイが「嘘で固めて淀橋教会に入り込んだ」との表現について、クリスチャントゥデイの複数の従業員がその信仰を秘して淀橋教会に通ったから真実であると判断しています(原判決27~29頁)。
 
しかし、すでに述べたとおりの理由から、そのようなことはなかったと認識しております。

第4 結語
 
以上のとおり、原判決の御判断は、私の認識とはかけ離れているものです。特に、私自身が騙されて淀橋教会に入り込まれたなどという事実を、淀橋教会の関係者の話を聞くこともなく、20年も前に礼拝に何度か参加したという方の言のみによって認定されるというのは、さすがにどうかと思うところがあり、私の認識するところを説明させていただきました。
以上

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