オリンピックも終わりましたが、メダルをゲットした選手の多くが支えてくれた人への感謝を口にしていましたよね。ほっとしたのは私だけ?
人間は他人を支え、又支えられ今の人類の繁栄が有ると思う。当然それは当たり前では無く支えられれば感謝する気持ちが必要なのだが、その気持ちは誰かに教えらえたり、強要されるものでは無く、飽くまでも自発的に備わるものと言うのが、暗黙の了解と言うか、コモンセンスなんだと思う。
人類は、他人に当たり前の様に感謝出来る人を成熟した人とみなす様な。
こんな事を書くのも、私がまだ慶應義塾大学附属高校生の頃、中学生の時お世話に成った学習塾で先生の後輩への授業のお手伝いをした時に、急遽後輩達の前でお手伝いの感想を求められたのですが、まだ若輩者だった私は、お手伝いは飽くまでも先生のお手伝いで有ったのですが、今では判りますが先生に助けられた感謝が伝えられず、その時に非常に気不味い雰囲気になったのだが、後々それが心の片隅に引っ掛っていました。よくよく考えますとそう言った感情は誰かに教わるのでは無く自ら気付く物であり、暗に社会はそう言った感情を当たり前のように求めているのではとの思うように至りました。
出来なくても若いうちは未熟者で済みます(心の中で蔑まされるかとは思いますが)が、年をくっていると痛いよね。
日々感謝。誰かに支えられ私は生きてると。
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