ウクレレとSwing(スヰング)音盤

George Formby (1970s) / George Formby

戦前・戦中に活躍した英国のコメディ銀幕スター、ジョージ・フォームビーのベスト盤を取り上げる。オリジナルは1966年リリースの「I'm The Ukelele Man ‎(MFP 1182)」で、発売年は不明だがカタログナンバーひとつ後の「Hear My Song/Josef Locke (MFP 50336)」が1977年リリースというから、本盤は恐らく70年代中頃のリイシュー盤(MFP 50335)。オリジナル盤とはジャケット違いだが内容は同じである。レーベルはMusic For Pleasure (大手レコード会社EMIと出版会社Hamlynの合弁会社)。

余談でこれはあくまで個人的な推測だが、90年代に大ヒットした映画「オースティン・パワーズ」シリーズでカナダ人俳優のマイク・マイヤーズが創造した英国人スパイのキャラクターには、どことなく英国が誇るコメディアンであるジョージ・フォームビーからの影響を思わせるものがあった。

ウクレレ・オーケストラにせよ、イアン・ウイットコムにせよ、時折エポック・メイキングなウクレレ音楽のアーチストが、何故だかウクレレの歴史とはおよそ縁のなさそうな英国から登場する理由はこの人、ジョージ・フォームビーにあると言っても良いだろう。生涯ウクレレの愛好家でもあったジョージ・ハリソンも少年時代に大ファンだったというし、ジョン・レノンが母から学んだ最初の楽器がバンジョーだったという有名なエピソードも、実はこのジョージ・フォームビーが弾いていたバンジョー・ウクレレではなかったかという説もあるくらい、ロック音楽到来以前の英国における国民的スターであった。トレードマークのバンジョー・ウクレレをかき鳴らし、とぼけた歌声とスインギーなリズムでコミック・ソングを歌うというスタイルで、やはり同時代にアメリカではウクレレ・アイクが銀幕で歌い人気を博していた時代に、英国にはジョージ・フォームビーがおり一世を風靡していた。どちらも達者なウクレレによるコード・ストラミングで弾き歌う、というスタイルも似ていた点が面白い。

ジョージ・フォームビーは父親が戦前のコメディ・スターとして劇場で活躍しており、本人はその父のおかげで裕福な家庭に生まれ育ち乗馬の騎手を目指していたが、父の急逝に伴い母親の売り込みもあり父の後継ぎとして急遽コメディ俳優の道に転じ、父から受け継いだコメディアンとしての才能を開花させる中で、父とは異なる自身の個性として身に着けたのが当時新しくイギリスに紹介されてきた南洋ハワイ諸島より伝来の楽器、ウクレレであった。バンジョー・ウクレレはそれを電気化することなく大きな音量を稼ぐためにバンジョーの楽器的な構造を取り入れたいわばハイブリッドで、劇場を主戦場とした彼にはうってつけの伴奏楽器であったろう。やがて成長するに従い母親の影響から独立すべく年上の女優と結婚するも、今度はその年上妻から強い精神的束縛と支配管理を生涯受けることになった。戦時下は兵隊さん役の戦意高揚コメディ映画に大量に出演し、銀幕でトレードマークのバンジョーウクレレをかき鳴らし歌って、ナチスドイツと戦っていたチャーチル戦時内閣の時代に英国民の支持を得て活躍した。

A1 Leaning On A Lamp-Post    
A2 Mother, What Will I Do Now?
A3 Auntie Maggie's Remedy
A4 Grandad's Flannelette Nightshirt
A5 In My Little Snapshot Album
A6 With My Little Stick Of Blackpool Rock

B1 The Window Cleaner
B2 The Window Cleaner (No. 2)
B3 Mr Wu's A Window Cleaner Now
B4 Our Sergeant Major
B5 The Lancashire Toreador
B6 I'm The Ukulele Man

イアン・ウイットコムの著書「Ukulele Heroes(洋書)」にもジョージ・フォームビーが英国娯楽界においていかに偉大な存在であったかと、彼から受けた大きな音楽的影響が綴られている。のちのモンティ・パイソンやミスター・ビーンにも連なる英国コメディ界の巨人であり、ユーモア精神を国是とする英国ウクレレ音楽における元祖であろう。


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