拓郎の歌に「とんと御無沙汰」というのがあるのだけれど、何と作詞は「阿木耀子」。
1995年の発売だから今から27年前、拓郎46歳の時の歌。
当時オヤジはまだ37歳、ちょうど今の小僧や「ホリちゃん」や「ハマちゃん」と同じ年代。
それなのに、
「慌ただしい時に追われ 孤独にさえ気付かない夜
人は嘘を自分につき 歳のせいにしてみたりする
とんと御無沙汰 どうしてました 気にはしてても ついつい気後れ 臆病風」
という老成したようなしんみりした歌詞と曲調、でも結構好きだ。
その「とんと御無沙汰」が、「LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP」を見終わってからずっと頭の中でリフレーンしている。
テレビを見ている時に仙台の「バーバーくん」から久しぶりに電話をもらい、近況を話し彼のお姉ちゃんとも話しができて、二人してホロっと泣いてしまったからかも知れない。
過去のブログではもう何度も書いたことだが、20数年前店をオープンして間もなく、毎週日曜日の夜にやって来る若者がいて、翌日の仕事に差し支えるんじゃないかと心配してしまうほど酒を飲み帰っていった。
スーツで仕事にいくサラリーマンとも見えず、ひょっとして月曜日が休みの仕事をしているんじゃないかと想像して、ひそかに「バーバーくん」とあだ名を付けた。
「バーバーくん」はほぼ毎週連れの若者(岩=「シゲちゃん」とのちに判明)とやって来ては、当時から何十種類も置いていた本格焼酎を片っ端から飲んだ。
しかしその飲み方たるや、焼酎のことを全くわかっていないデタラメな飲み方だったので、お節介かも知れないが「こういう順番で飲んだ方がいいよ」と声をかけた。
すると翌週、もうオレは免罪符を受けたとばかりに、いつもの隅のテーブル席ではなくデンとカウンターの真ん中に座り、すでに何年も通っている常連さんのことく振る舞い話しをするようになり、それから濃〜い付き合いが始まったのだった。
それにオヤジの想像どおり、彼は浅草でチョキチョキをしている「バーバーくん」だったので、以降このジャガイモみたいな床屋難民の頭は彼に刈ってもらうようになった。
当時の彼の調子コキ大魔王ぶりは過去の記事を参照いただければと思うけど、今でもあの頃のことは
「ah-面白かった」
と笑えるし泣けるし、呆れるし、かけがえのない時間だったと言える。
あれからもう20数年、「バーバーくん」は故郷仙台で自分の店を開業し、
311も乗り越え、あんなことやこんなことも経て父親になった。
彼のご家族ともお付き合いさせていただき、とりわけお姉ちゃんは我が家に一時いたこともあり、このコロナ禍とオヤジの絶不調ですっかり御無沙汰してしまって、どうしているかと気になっていた。
しかしこのほとんどビョーキのオヤジが、「どう、元気?」などと電話するのも憚られ、
「気にはしてても ついつい気後れ 臆病風」だったのだ。
昨夜の彼からの電話は嬉しく、お姉ちゃんの元気な声も聞けて、箸が転んでも泣いちまうお年頃なので、涙と鼻水を拭いながら話しをした。
「バーバーくん」とは息子ほども歳が離れてはいるが、これまでのオヤジの人生で出会わなかったタイプの調子コキで、実に豪快かと思えば繊細で教えられることも多々あって、かあちゃんも小僧も彼が大好きだったから、ほんとうに息子のように気がかりだったのだ。
近頃またぞろコロナの陽性者が増えてきて行動制限が言われだしたけれど、店の改装に目鼻がついた再開前に、オヤジも小僧も無事だったら、きっと家族で仙台に伺うつもりだ。
とんと御無沙汰して申し訳なかったけれど、元気で、
きっとまた会おう、友よ( ^_^)/~~~