今を遡ること37、8年前、浅草には映画館がいくつもあった。
ロードーショー館もあったけれど、20歳前の小僧が手軽に行けるのは2本立て3本立ての名画座というやつで、コンビニなんかない時代だから自分でお弁当を作って、朝から深夜のオールナイトまでドップリ映画に浸っていた。
今みたいにビデオもDVDもないし、見逃したら今度いつ観られるかもわからなかったので、食い入るようにシーンやセリフを脳裏に焼き付けながら銀幕を見上げていた。
劇場にはトイレと呑んだくれの饐えた臭いが漂い、音響は良くないうえ、フィルムは傷だらけでスクリーンには雨が降っているような状態の中、グサッと胸を抉るセリフが館内を支配した。
「親分さんにはなんの恨みもございませんが、渡世の義理で、死んでもらいます」
途端に館内のあちこちから親父たちの
「よおっ、健さん、男の中の男‼️」 「まってましたぁ‼️」
なんて声が飛ぶ。
「昭和残挟伝 」の決めゼリフ「死んでもらいます」だ。
耐えに耐え抜いた末に爆発する不器用で無口な漢の気迫と、止むに止まれぬ暴力は美学へと昇華するのだった。
秀二郎と重吉の相合い傘の道行きに、静かに舞う雪だけが漢達の挽歌を奏でるという、毎回ワンパターンの様式美に酔って劇場を出たただの男たちは、あたかも着流しのごとくコートの襟を立てタバコに火をつけ、辛い渡世を流れていくように街に消えるのだった。
その無口で不器用な漢の背中の「唐獅子牡丹」を彫りたいとは思わなかったが、浅草の仲見世で売られているイミテーションの長ドスを欲しいと思ってしまったバカな小僧でござんした。
ショックであります。
無口で不器用な漢は、「武田信玄」のごとく死を秘して、映画スタアのまま逝ってしまった。
「三船敏郎」も「勝新太郎」も「石原裕次郎」も「渥美清」も、みんなみんな逝ってしまって、日本の映画スタアの座はもはやガラガラだ。
「健さん」はもっともっと活躍してくれると思っていたのに・・・・。
『いい風に吹かれたいですよ。
きつい風ばかりに吹かれていると、人に優しくなれないんです。
待っていてもいい風は吹いてきません。
旅をしないと』
無口で不器用な漢は詩人だ。
「高倉健」さんの映画をヤクザ映画というのはちょっと違うと思う。
それは「任侠映画」なのであって、「仁義なき戦い」以降の暴力団の抗争を描いたバイオレンス映画とは一線を画す。
人を殺す定めの「健さん」ではあるが、前述のように
「親分さんにはなんの恨みもございませんが、渡世の義理で、死んでもらいます」
と殺す相手にも敬語なのだ。
他の「健さん」の映画を見ても、たとえば「網走番外地」シリーズでも、目上の者や女性や子供にはきちんとした言葉を使う「健さん」がいる。
「タケシ」の映画やVシネのように、汚い言葉や脅しのセリフなんてものは吐かない。
そういう姿勢は食べるシーンにも表れていて、ヤクザ者や無頼の徒はとかくだらしない姿勢でいぎたなく飲食をするのに、「健さん」はとても真摯で旨そうに食べかつ飲む。
任侠映画のヒーローから、無口で不器用なお務めをすませた漢として新たな一面を見せてくれた「幸せの黄色いハンカチ」の、何でもない食堂で万感の思いでビールを飲みカツ丼をかっ込むシーンの、あの背中の哀愁。
う~ん、神戸が終わったら瓶ビールにカツ丼、これやるっきゃないでしょう(ラーメンまでは食べられないが・・・)
当分「健さん」映画を見直し続けることになるだろうな。
任侠映画も黄色いハンカチもいいが、「ゴルゴ13」とか「野生の証明」、「居酒屋兆治」もいいし、「君よ憤怒の川を渡れ」や「新幹線大爆破」と「八甲田山」も、「ブラック・レイン」も「あ・うん」だって、「夜叉」も「ザ・ヤクザ」も「荒野の渡世人」も「ジャコ万と鉄」ももう一度見なきゃ。
「健さん」の「金田一耕助」もどっかにあったら見たいなぁ。
もしできたら、「寅さん」と「健さん」が何処かの旅の空の下で出会うロードムービーなんて見たかったなぁ。
いろいろ教えて頂きありがとうございました。
貴方のようにはまったくできませんが、何の取り柄もない不器用なただの男は、それでも明日も生きていきます。
「高倉健」さんは不滅です、合掌。
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橘真一
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