天神橋筋商店街を端から端まで歩いて買い物をしたり、事前にチェックしたお好み焼屋を食べ歩いたりして、千日前の商店街を抜けて宿へ向かう途中で、突然胸の痛みに襲われ足が止まりフリーズした。
意志の力で足を動かすことができず、心臓の辺りを押さえて呻いた。
刺すような胸の痛み、とくに思い当たることはなかったが肋骨にヒビが入ったときはこんな痛みだったと、とりあえず薬局で湿布薬を買ってきてほしいとかあちゃんに頼んで、道路脇まで抱えられるようにしてなんとか移動して座り込んで待った。
湿布を貼ってしばらくするとウソのように痛みが治まりケロッとしてしまい、そのまま歩いて宿に帰った。
翌日、昨日のことはどこ吹く風、帰りの新幹線でビールを飲んでご機嫌ちゃん。
後日近所の整形外科で診てもらい肋骨は異常なし、だが今考えると、いやどう考えても、一時的な心筋梗塞だったに違いないと思うのだ。
間一髪だったかもしれず、ただ運が良かったというほかない。
あの時ちゃんと検査していたら・・・。
その後、やはりと言うべきか、ほらねということか、内装工事のトラブルやら何やらで体調不良になり病院通い、
「アンタは棺桶に片足突っ込んでる」
と医者から吐き捨てるように言われて一念発起、毎日ただひたすら歩き続けた結果走れるようになり、2011年「第1回大阪マラソン」に当選してチームモグランポとして6人で走った。
そのことを今さらながらに思い出したのは、テレビで大阪マラソンと琵琶湖毎日マラソンが統合した大会を見たからだ。
この大会はMGCの選考会を兼ねているので当然エリートランナーだけが走れるわけで、制限時間7時間などという市民マラソンはコロナの酷い今の大阪では到底実現不可能だろう。
しかし2011年の第1回大会は鳴り物入りのお祭り騒ぎ、このオヤジは頭にムービーカメラを付けて撮影しながら、背中には4枚羽根のプロペラをつけてスタートしたが、低空飛行で空撮するヘリの風圧でプロペラをもぎ取られ、最後は羽根2枚になってなんとか完走した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/aa/01cedb6d361586192f00d508cac121be.jpg)
大阪城公園前からスタートして森ノ宮の交差点を右折して玉造筋に入ってすぐ、取り巻きに囲まれて走っている「橋下徹」を抜かし、御堂筋で芸人のナントカを抜かし、京セラドームのあたりで「秋野陽子」を抜かし、通天閣が見えたあたりで足がつって歩いていると、缶ビール片手のオッチャンから
「走らんかい、ボケ‼️」
とはっぱをかけられた。
大阪はおもろいねん🤣
調子に乗って翌年の第2回目もエントリーしたがハズレ。
当たったのは今より7、8㎏は痩せていたかあちゃんと「マミちゃん」、チャレンジラン8㎞の小僧とフルの「タカちゃん」の4人。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/7f/94d3331dc22d9bd5c90154c0304735c7.jpg)
小僧大満足!!
いいなぁと思いながら第3回もエントリーしたのだが、なんと運悪く真っ赤なバラ事件のあと尿路結石で入院して退院したばかりだったので、棄権して「投げちゃん」と応援にまわったのだった。
そしたらチームモグランポの面々、密かにオヤジのお面を作って後ろ向きに付けて遊びながら走ってやがんの😑
いいも〜んだ、ワシは「投げちゃん」とデートみたいにコースをブラブラ回って楽しんだもんね😆
嗚呼、今はむかし・・・。
バランスボールでボヨンボヨンしながらテレビで2時間ちょっと観戦し、ふとそんなことを想った。
しかし「川内優輝」みたいにべらぼうにマラソンを走っているランナーはともかくとして、現役復帰宣言した「大迫傑」でもマラソンは10回に満たないとなると、ま、レベルは天と地ほどの差があるにしても、このポンコツが18回マラソンを走ったということは相当腎臓ちゃんに負担をかけたことになるわけで、今考えるとかなり無謀だったのかもしれないな。
でもさ、適度な運動は推奨されるわけだし、昨年12月の退院から2ヶ月過ぎてかなり歩けるようになってきて、市民マラソンも少しづつ戻りつつある昨今、また走りたい気持ちはフツフツと高まるのだな。
小僧もその気持ちは同じで、いろいろ面倒がひと段落して体力が問題なくなったら、またどこかの大会にエントリーしたいと考えている。
そして大阪、今度は走らなくていいからまた行ってみたい。
嗚呼、大阪の海は悲しい色やねん♪