案ずるより産むが易し、20日の昼ごろから降り出した雨は夜半 に暴風のような叫びをあげていたが、翌21日の朝町内放送の「メリーさんの羊」が流れる時にはおさまり晴れ間が出ていた。
ビニール傘を買ったことで自信喪失していた晴れ男は、テレビの天気予報を見て目を丸くした。
熊本はほぼ雨、長崎・鹿児島もほぼ雨で海沿いは高波に注意してくださいというのに、
天草だけは晴れ‼
だが念のためフェリー乗り場に電話して状況を聞くと、ぜんぜん問題なく運航しているとのこと。
フン、どんなもんだい😤 晴れ男ナメんなよ💪
ということで予定通り行動することにして、親子3人ばあちゃんとハグして涙、な~みだの別れ。
今度いつ来れるやら、マイルをしっかり貯めなくては。
レンタカーを返却し、向かいのバス停から鬼池港行きのバスに乗車、またしても我ら親子3人で貸切り。
2年前の天草マラソンで、先行する「ホリちゃん」に追いつき抜かしたのがこの鬼池港のあたり。
この鬼池港が天草から長崎への最短ルート、ただ長崎市内には遠く雲仙・普賢岳のある島原半島の突端だ。
この鬼池~口之津間のフェリーに 乗るのも初。
天気晴朗なれど波高し、かと思いきやスムーズに揺れもなく出港して約30分の船旅は快適、何の問題もなく口之津港到着。
さて島原といえば島原の乱の主戦場「原城」があった地、キリシタンの聖地でもあり島原そうめんが名物。
キリシタンはそうめんを「アーメン、ソーメン、ヒヤソーメン」と食したとかしないとか・・・・🙄
口之津港から路線バスに乗り南島原駅に一番近いバス停「湊広馬場」まで1時間ちょっと 、途中「原城」跡で下車して見学するかとも思ったが思い直してよかった。
車窓から見て、海に面した城跡らしき草で覆われた丘があるだけで何にもない。
別に観光地じゃないし、車で移動している人はいいが、ひとたびバスを降りたら次に乗れるまでえらい待たなきゃならないから。
「原城」を通過して対岸に天草が見える海岸沿いにバスは走り、熊本からの船が着く島原港もやり過ごし「湊広馬場」で下車。
親切なおばあさんに道案内され南島原駅を目指す路上に普通に飲泉できる温泉があった。
う~ん、さすが火山地帯、湧水じゃなくて温泉です。
そこから目と鼻の先にあるのが本日の最初の目的地。
時は1864年 ( 元治元 ) 風雲急を告げる幕末、英・仏・米・蘭の四カ国連合艦隊が長州を攻撃。
これを阻止するための調停役として幕府軍艦奉行並「勝海舟」は、当時30歳で神戸海軍操練所の塾頭だった「坂本龍馬」を随行し熊本から有明海を渡り島原湊へ上陸した。
一行は陸路を長崎へ向けて島原街道を進んだのだった。
今から153年前のことだ。
その時海舟と龍馬の師弟が上った階段が今も残っている。
言っときますがぜんぜん観光地じゃなく、階段もホントかなぁというほどで石碑と案内板があるだけで何もない。
対面の駐在所に「龍馬館」の看板があるが、それは「福山雅治」のNHK大河「龍馬伝」の時に掲げられたものだと道案内してくれた親切なおばあさんが教えてくれた。
ドラマが終わったあとは・・・、まあそんなもんさ。
でも龍馬が幕末の動乱の中で大きく飛躍する長崎への第一歩をしるした地であることは「海舟日記」でも明らか、この地を見れたことは良かったぜよ👍
そこからまたまた目と鼻の先に南島原駅がある。
島鉄の2両編成のワンマン「幸せの黄色い電車」が何台か停まっていた。
券売機など無く、駅員さんに行き先を告げて
紙の切符を切ってもらう‼
かあちゃんと同時に
「懐かしい~‼」
と叫んでしまった。
これ記念に欲しいという人多いんじゃないかと尋ねたら、運転手にその旨伝えておくので処理しましょうと気さくに「無効」のハンコを押してくれた。
それがこちら ↓
聞けば南島原駅ともうひと駅だけがこの昔ながらのスタイルだそうな。
こりゃ鉄ちゃんにはたまらんぜ島鉄、グッズもたくだん売っているし、休日にはそこそこ人手があるんだろうか。
じつはここへ来た理由はもう一つあって、駅から4㎞ほどのところにある島原市総合運動公園の10メートルの巨大な「サムライブルー龍馬像」を見たかったのだ。
なんでここに巨大な龍馬⁉と思ったら、2010年の南アフリカワールドカップの時に国立代々木体育館に設置された像が島原市へ寄贈されたんだそうな。
しかし残念なことに電車の時間が迫っていたので、今回は断念した。
上陸の地が見れただけで良しとするぜよ。
次回はコイの町島原ぜよ~。
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