「そんなことはやめたほうがいいね」
そう医者は言った。
やめる気はないし、今の自分の体に良くないとは思わない。
現に、短期間で改善された数値に 医者は首を傾げたのだから。
しかし、なんでもない人からみたら馬鹿な行為だろう。
若い頃に戻りたいとは思わないが、あの頃の健康は取り戻したい。
青空文庫に「山頭火」の著作がたくさんあることを知って、もはや古書店を探さなけりゃ読めないものばかりだし、なんたって無料だから迷わずダウンロードした。
若い人は「山頭火」なんて知らないかもしれないけど、ラーメン屋の名前ではないのだよ。
明治から戦前まで生きた自由律俳句の漂泊の俳人。
心が弱く、酒に溺れ、どん底の赤貧を舐め尽くし、さすらい、病み、それでも句に生き、遠い時代を経ても胸を打つ言葉をのこした「山頭火」。
二十歳そこそこの小僧の時にはわからなかった悲哀が、いま身に沁みる。
たとえば、こんな句を残している。
うしろすがたのしぐれてゆくか
どうしようもない私が歩いている
けふもいちにち風を歩いてきた
分け入つても分け入つても青い山
おちついて死ねそうな草萌ゆる
そして
まっすぐな道でさみしい
まだまだ珠玉の句がたくさんあるけれど、死にゆくために生きようとしているこのオヤジには、痛いし、優しいし、響く。
終焉の地となった「一草庵」での、「一草庵日記」の8月3日にこんな事を書いている。
「絶食、私は絶食しなければならない、食物がないといふ訳ばかりでなく、身心清掃のためにも。
せめて今日一日だけでもすなほにつつましく正しく暮らしたいと思ふ、
その日その日 その時その時を充実してゆくことが一生を充実することである」
と。
貧乏に哲学があるとすれば、それは微笑みだと「山頭火」は言いきった。
「山頭火」のように生きられるわけもなく、「山頭火」のように死ねもしない。
けっして見上げた人生ではなく、悲しみに満ち満ちているのに、どこかあっけらかんとして間抜けで、可笑しみが漂う。
享年59歳、戦争が終わる前にこの世を去って、ある意味幸せだったかもしれない。
なぜか、なぜかしみじみと「山頭火」を思ふ夜更け過ぎ。
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