なんとか体調も回復し、2度ほど軽く走り、グタグタの夜を打ち消すかのように毎晩飲んでいる。
おかしなもので、若者相手に調子こいて負傷した胸の痛みは、吐き気と眩暈でグタグタになって昏睡して目覚めたら、寝返りも打てないほどの痛みがウソのように和らいでいた。(それでもまだ両胸に湿布を張っているけれど・・・)
新たなダメージが古い痛みを打ち消すという、悪循環のような営みを改められないバカオヤジだ。
バッカスの神の戒めなのか、つねにどこかに痛みを抱えている。
これを「不健康」と云うのだろう。
さてさて、この「不健康」で運転不適格なオヤジに命を預けた妻子を乗せた車は、国道48号線・通称作並街道を山寺目指して進むのであった。
気分はイマイチだけど天気は上々、風もさわやかでドライブ日和。
作並温泉の手前にニッカの仙台工場を発見、見学が無料でできるとあったので立ち寄ることにした。
前夜にビールの一杯も飲めなかったオヤジだが、ここを素通りしてはさらにバッカスの神の怒りをかうかもしれん。
宮城峡と云うくらいで、清々しく緑に囲まれた抜群の環境。
受付をして、車なので飲めませんカードを首から下げ、案内のお姉さんの後について工場内を進む。
赤煉瓦と「パゴタ屋根」が特徴的なキルン塔(乾燥棟)で北海道の100年モノのビートを手に取り匂いを嗅いだのち、
しめ縄がされたポットスチル(単式蒸溜器)を見学。
このレトロ感のある造形がオヤジは大好き♡
飲めないながらもうれしくなっちゃいます。
宮城峡蒸溜所には新川川(ニッカワガワ)という清流が偶然にも流れ、柔らかな命の水が飲める。
この段階でモヤモヤした気分はだいぶ解消され、清々しい大気を胸一杯に吸い込み、漂うビートの薫りに誘われ貯蔵庫を見て、試飲の建物へ。
飲めないながらもせめて薫りだけ。う~ん、間違いなく気分は良くなっている。
創業者でマスターブレンダーでもある「竹鶴政孝」の、ウイスキー作りにかけた情熱と信念を感じ、ここでしか販売していないという「シングルカスク仙台宮城挟・原酒」の10年と15年のボトルを買った。
食欲はまだ湧かなかったが、酒は飲めそうな気分になって宮城挟をあとにし、再び国道48号線をひた走り、作並温泉を過ぎ初の山形県入りをし、さくらんぼで有名な東根市を過ぎ、将棋の駒で知られる天童市を通り、一路山寺へ。
当初の予定では、仙台に車を停め仙山線で山寺駅へ来ようと思っていたが、「バーバーくん」のお父さんのアドヴァイスに従って車を走らせてきて良かった。
平日なのに観光客でごった返す山寺の、登山口の近くの駐車場に車を停め、数十年ぶりの御開帳を見るために長蛇の列が出来ている脇を、スイスイと上に登る。
まったく不信心者のオヤジは御開帳には興味がなかったが、御朱印帳という大人のスタンプラリーみたいなものに凝っているかあちゃんはその列に並ぶ。
杖を付いたお年寄りも登る山寺の石段は1050段あるそうで、頂上まで長い列が続いているが、我らはその脇をすり抜けてスイスイ登る。
岩のあんな高いところに、どうやってコインを貼りつけたのだろう ?
その昔「松尾芭蕉」が「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」とよんだ時は、登るのもさぞや大変だったろうと忍ばれる。
情緒がなくて申し訳ないが、「リー・リンチェイ・李 連杰、」がアチョ~~ !!と叫んで飛び出してきそうな絶景。
先人たちはどうやってこんな山の上に寺院を建てたのか、「ヤッホー」と黄色い声で叫ぶ修学旅行の女子中学生に「アッホー」と返し、心地良い汗をかき若葉の緑に癒され、ほとんど気分は回復して、お腹もようやく減ってきた。
早足で階段を降り、土産屋が並ぶ参道を冷やかし、山形名物の芋煮と力コンニャク、蕎麦のセットを出している食堂へ。
もう素朴に旨かった。
これでパワーを充填、山寺を後にし、山形道を通って東北道に入り、東京までかっ飛ばした。
近いうちにまたぜったい、宮城・山形はリベンジだ !!
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