いいとこに行ってますなあ。わたしはちょこっとオキナワ熱持ちなので、地名に反応してしまう。
しかしニャーって!リグスの持ちネタを奪っちゃいけませんよ。
……彼、今年は活躍してくれるといいけど。2番でホームラン打ちまくっていた頃の
印象が強いので、どうしても期待してしまうんだけどなあ。
古田さんも、なかなかいい番組……かどうかは実際に見ないとわからないので、
見てからの話にしておきましょう。が、テーマとしては真面目で良さそうですね。
面白いチョイスだと思います。
でも実はわたしはこういう類の番組は苦手です。なぜかというと、現在の状況を知れば知るほど、
烏合の衆の無力さと愚かさを感じるから。
だってどんなに祈っても戦争はなくならないし、温暖化は止まらないし、砂漠化は進んでいくし、
貧富の差は拡大し貧しい場所の人々は死んで行く。
わたしは一足飛びに結論に至りたい方なので、何を考えても「でも結局人間の愚かさでは何も
出来ないんだよね」と言いがちです。ならばわざわざ心を痛めて物事を考えるより、
せめて美しいものを見て、ささやかな人生の満足を得た方がなんぼか利口ではないかと……
まあ、こんなことを言っているから、人類総刹那的、になってしまうんですけどね。
千里の道も一歩から。小さな小さな一歩を踏み出さないことには始まらないのだが。
しかし千里というと……里が現在の何キロにあたるかは時代と場所によって違うけれど、
日本里で計算して4キロ、千里で4000キロ。歩幅80センチとして、50000歩。
五万回同じ動作を繰り返さなければ到達しないんですねえ。
五万回ゴミ拾いを出来るか。いや、それよりそもそも最終的な目標が千里なのか。
もしかしたら一万里あるかもしれないのに。
こう考えると、ほんとにその「一歩」は意味があるのか。無力感に襲われる。
が、こういうことは絶対成果主義で考えてはいけませんよね。
東京から京都へ行くとして、「京都へ辿りつかなければ意味がない」ではなく、
「とにかく浜松辺りまででも行ってみた方が良い」と考える。
その方が東京でひたすら、京都行きたいよー、と負け犬の遠吠え的に叫んでいるよりはいい。
頭で考えている分には京都のみがクローズアップされますが、途中の旅程にも意味があるはずなんです。
力及ばずとも浜松まで行けば行ったなりに、その分だけ京都との距離は縮まる。
さらに副産物として、東京-浜松間の経験値は得られる。
番組は、見てみます。お雛祭りの日ですね。
※※※※※※※※※※※※
ちょっと話は違いますが、こないだこんな本を読みましてねえ。
この本を読むと、つくづくアメリカが嫌いになります。
読み手がこういう感想になってしまうのは、池澤夏樹の本意ではないでしょう。
ただ、わたしのような元々のアメリカ嫌いが読むと、本当にため息しか出ない。
わたしはアメリカを憎みました。
国連を無視してイラク侵攻した時に。
もちろん国連なんて、根本的には無力なものでしょう。力とは一に武力、二に財力です。
それ以外に力と呼べるものなんてない。どちらも持たない国連は、だから力はない。
それでも国連は、第一次大戦と第二次大戦を経験した世界が、ささやかにともした良識の灯です。
そりゃ国連も各論で見れば、多分問題は山積している。善意のみで構成されているわけではない。
ただ、その存在は「国際間の問題は武力ではなく話し合いで解決しましょう」という意思表示です。
それが建前に過ぎないとしても。
建前でも多少の拘束力はあります。人間は言葉に影響を受ける存在ですから。
単に嘘をつくのと、「嘘はつかない」と言ってから嘘をつくのとでは心理的負担が違う。
そう信じて、すがるような思いで建前の存在価値を信じたかった人間にとって、
アメリカのしたことは、その願いを踏みにじることでした。
わたしはもっと世界が大人になっていると信じたかった。良識を少しずつ身に着け、
ルールに従うことが出来るようになっていると。
子供の時には取っ組み合いの喧嘩をしても、大人になったらやりません。暴力に訴えるような人は
愚か者として軽蔑される。先進国の面目にかけて、「頭の悪い人」と思われるようなことは
やらないだろう……と思いたかったのに。
甘い。んでしょうね。でもその甘さが通用するようにならなければ、人類は永遠に力を追い求める
だけの生き方しか選択できない。
わたしは自衛隊は違憲だと思っていますし、軍隊はない方が良いと思っている。
が、アメリカが実力を行使したことで、そうは言えなくなってしまった。
良識が書き割りでしかないと、思いたくなかったのに。
だからアメリカを恨みます。
ブッシュに第二期を務めさせない選択も、ある時点でアメリカ人は出来たはずなのですが、
しかし大統領に選ばれたのは僅差にせよブッシュでした。
パクス・アメリカーナ。
アメリカの巨大な軍事力が、抑止力としてあるうちは世界にとっても意味がありました。
行使されてしまった今は、もうパクス・アメリカーナという言葉は使えません。
いつ暴力をふるうかわからないガキ大将の回りでは、子分だろうが無関係な人間であろうが、
安心できるわけはないのだから。
しかしニャーって!リグスの持ちネタを奪っちゃいけませんよ。
……彼、今年は活躍してくれるといいけど。2番でホームラン打ちまくっていた頃の
印象が強いので、どうしても期待してしまうんだけどなあ。
古田さんも、なかなかいい番組……かどうかは実際に見ないとわからないので、
見てからの話にしておきましょう。が、テーマとしては真面目で良さそうですね。
面白いチョイスだと思います。
でも実はわたしはこういう類の番組は苦手です。なぜかというと、現在の状況を知れば知るほど、
烏合の衆の無力さと愚かさを感じるから。
だってどんなに祈っても戦争はなくならないし、温暖化は止まらないし、砂漠化は進んでいくし、
貧富の差は拡大し貧しい場所の人々は死んで行く。
わたしは一足飛びに結論に至りたい方なので、何を考えても「でも結局人間の愚かさでは何も
出来ないんだよね」と言いがちです。ならばわざわざ心を痛めて物事を考えるより、
せめて美しいものを見て、ささやかな人生の満足を得た方がなんぼか利口ではないかと……
まあ、こんなことを言っているから、人類総刹那的、になってしまうんですけどね。
千里の道も一歩から。小さな小さな一歩を踏み出さないことには始まらないのだが。
しかし千里というと……里が現在の何キロにあたるかは時代と場所によって違うけれど、
日本里で計算して4キロ、千里で4000キロ。歩幅80センチとして、50000歩。
五万回同じ動作を繰り返さなければ到達しないんですねえ。
五万回ゴミ拾いを出来るか。いや、それよりそもそも最終的な目標が千里なのか。
もしかしたら一万里あるかもしれないのに。
こう考えると、ほんとにその「一歩」は意味があるのか。無力感に襲われる。
が、こういうことは絶対成果主義で考えてはいけませんよね。
東京から京都へ行くとして、「京都へ辿りつかなければ意味がない」ではなく、
「とにかく浜松辺りまででも行ってみた方が良い」と考える。
その方が東京でひたすら、京都行きたいよー、と負け犬の遠吠え的に叫んでいるよりはいい。
頭で考えている分には京都のみがクローズアップされますが、途中の旅程にも意味があるはずなんです。
力及ばずとも浜松まで行けば行ったなりに、その分だけ京都との距離は縮まる。
さらに副産物として、東京-浜松間の経験値は得られる。
番組は、見てみます。お雛祭りの日ですね。
※※※※※※※※※※※※
ちょっと話は違いますが、こないだこんな本を読みましてねえ。
世界のために涙せよ-新世紀へようこそ2
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池澤 夏樹 光文社 (2003/06/20)売り上げランキング: 250600
この本を読むと、つくづくアメリカが嫌いになります。
読み手がこういう感想になってしまうのは、池澤夏樹の本意ではないでしょう。
ただ、わたしのような元々のアメリカ嫌いが読むと、本当にため息しか出ない。
わたしはアメリカを憎みました。
国連を無視してイラク侵攻した時に。
もちろん国連なんて、根本的には無力なものでしょう。力とは一に武力、二に財力です。
それ以外に力と呼べるものなんてない。どちらも持たない国連は、だから力はない。
それでも国連は、第一次大戦と第二次大戦を経験した世界が、ささやかにともした良識の灯です。
そりゃ国連も各論で見れば、多分問題は山積している。善意のみで構成されているわけではない。
ただ、その存在は「国際間の問題は武力ではなく話し合いで解決しましょう」という意思表示です。
それが建前に過ぎないとしても。
建前でも多少の拘束力はあります。人間は言葉に影響を受ける存在ですから。
単に嘘をつくのと、「嘘はつかない」と言ってから嘘をつくのとでは心理的負担が違う。
そう信じて、すがるような思いで建前の存在価値を信じたかった人間にとって、
アメリカのしたことは、その願いを踏みにじることでした。
わたしはもっと世界が大人になっていると信じたかった。良識を少しずつ身に着け、
ルールに従うことが出来るようになっていると。
子供の時には取っ組み合いの喧嘩をしても、大人になったらやりません。暴力に訴えるような人は
愚か者として軽蔑される。先進国の面目にかけて、「頭の悪い人」と思われるようなことは
やらないだろう……と思いたかったのに。
甘い。んでしょうね。でもその甘さが通用するようにならなければ、人類は永遠に力を追い求める
だけの生き方しか選択できない。
わたしは自衛隊は違憲だと思っていますし、軍隊はない方が良いと思っている。
が、アメリカが実力を行使したことで、そうは言えなくなってしまった。
良識が書き割りでしかないと、思いたくなかったのに。
だからアメリカを恨みます。
ブッシュに第二期を務めさせない選択も、ある時点でアメリカ人は出来たはずなのですが、
しかし大統領に選ばれたのは僅差にせよブッシュでした。
パクス・アメリカーナ。
アメリカの巨大な軍事力が、抑止力としてあるうちは世界にとっても意味がありました。
行使されてしまった今は、もうパクス・アメリカーナという言葉は使えません。
いつ暴力をふるうかわからないガキ大将の回りでは、子分だろうが無関係な人間であろうが、
安心できるわけはないのだから。
パクスアメリカーナの時代は、そうは長くは続かないでしょう。
私は、変わって、パックスマリーナという考え方をブログに掲載しました。ブログのタイトルは「オーストラリアはなぜ捕鯨に反対するか(5)」という、ネガティブなタイトルですが、締めくくりは「パクスマリーナ」という新たな考え方による、人類の明るい未来を示唆しました。是非ご覧になって下さい。このパクスマリーナという考え、いずれブログに独立した記事として書くつもりです。
ブログ拝見しました。ずっと以前に、何かのテレビ番組で
「深海について人間が知っていることは、月についての知識よりもずっと少ないかもしれない」
ということを言っていたのを覚えていますから、
今後調査が進み、活用出来る何かが見つかるかもしれませんね。
ただし、手近にあるからと言って、見通しもないまま消費してしまうようなやり方では、
結局は陸地の状態と同じになってしまうという危惧はぬぐえませんが……