プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

◇ 藤森照信「近代日本の洋風建築 開花篇」

2023年11月07日 | ◇読んだ本の感想。
藤森さんの著作はほぼカバーしていると思う。多分9割は。
そしてこのタイミングで出たこのタイトルの著作は、今までの集大成だと思った。
「さすがちゃんと書くとちゃんとしてるなあ」と感心しながら読んでいったんだが、
――これっていろんなところで掲載したのの寄せ集め!?

いや、寄せ集めは語弊があるか。まあでもとにかく折々に書いて来たものを
集めてきたものですよね。集めて来たものは、通常テンションが不揃いだったり、
濃度に違いがあったりしてちぐはぐな印象があるものだと思っているのだが、
それがこう読み応えがあるとは。ちゃんとしてるなあ。

この人は若い頃、だいぶ停滞して文学作品を読んだらしいんですよね。
やっぱり読んだ人は読んだだけのことはある。面白い、読ませる文章を書く。
常にそこまでかというとそこまでではない軽いものも多いけど、
ノッって書いてる文章は(ちょっぴり自己陶酔を含んだ)読ませる文章。

内容はもちろん文句はないですよ。
明治の都市形成。というよりもいかに都市形成に不自由したか。
ウォートルスの仕事とその限界。
コンドルの立場とその弟子たち。
辰野金吾。

それぞれ啓蒙されながら読んだが、強い印象を受けたのが2点。

一つは、最初期の日本人建築家たちは、江戸時代に生まれ、
明治維新を経験した人々だったこと。
若いうちに見た明治維新は人格形成に何らかの影響を与えずにはおかないだろう。

片山東熊は長州藩士13歳、銃士隊として会津に攻め込む。
曾禰達蔵は16歳、唐津藩佐幕派の一人であり会津から江戸へと落ち延びる。
辰野金吾は同じ唐津藩ながら、在地にあって武功を夢見る。


もう一つはコンドルが黎明の日本建築へ向けて「建築は芸術である」と強く
主張したのは、とにかく現利を求める日本政権側への牽制としての側面があること。

わたしは常々、現代建築のコンセプト重視はなんとかならんかと思っていて、
このコンドルの主張によってこの偏重が生まれたのではないかと恨んでいたが、
コンドルはコンドルで理念も(ある意味での)歴史もない日本建築に対する
焦りもあっただろう。いわば「かまさないと」いけない立場。
しかしそういう背景を知った上じゃないと、建築は芸術であるという主張が強すぎて。
洗脳されてしまったのではないだろうか、後世の建築家は。


あと面白かったのは、辰野金吾のデザインをけっこうやっつけていること。
わたしはクラシカルなデザインが好きだから、レンガで作ってくれる
辰野金吾なんかは大変ありがたいが、細部の納まり方とか、藤森さんは評価してない。
へー、これがバランス悪いとかいうんだ。
と、好きな建築史家だけにそれこそ洗脳されてしまうね。

続編である「栄華篇」はさらに絢爛豪華たる名作が紹介されるんだろうなあ。
大好物なので大変に楽しみ。早く読みたいねえ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« < ハヤブサ消防団 > | トップ | ◇ 稲見一良「セント・メリー... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

◇読んだ本の感想。」カテゴリの最新記事