ファーブルが書いたファーブル昆虫記。みなさんご存じですね。
が、わたしはそんなに馴染みはなくて。
子供の頃に家に1冊あったんだけど、本の虫だったわたしにしてはほとんど読まなかった。
1回か2回読んだきり。それも小学校高学年になってからだから、ほんとに敬遠してた。
それはひとえに、虫が嫌いだったからです。
虫が嫌いだとね。昆虫記のハードルは高いよね。
実際読んだ時も、内容はすごく面白かったんだけど、幼虫とかさなぎとか
なんか生々しくて読んでてコワかったのよ。
それから長い時が過ぎて、今回ようやく全巻読破へのトビラが開きました。
なぜ今さら昆虫記なのかといえば、それは訳者が奥本大三郎だからです。
彼のエッセイをここ数年ツブしていて、2016年まで発行のものは大概読み終わった。
その仕上げとして彼が完訳した「ファーブル昆虫記」。
虫好きのフランス語の先生が訳すというのは、作品の内容からしてぴったりですね!
読み始めは素人くさい翻訳に感じたが、そもそもファーブルの原文が素朴というのはありそう。
奥本大三郎本人のエッセイとも似通った、平易でいい意味でおじさんっぽい雰囲気。
読みやすくてさくさく。
大きめの単行本で350ページ。そのボリュームにちょっとぎょっとしたが、
実際に読んでみると予想の3分の2くらいの時間で読めた。
装丁が妙にロマンチックというか、可愛いのよね。
スカラベが紋章のようにど真ん中に小さく書かれている以外は、
イギリス・ヴィクトリアンな壁紙風。バラと小鳥。
なんでこのデザイン?と思ったが、実は虫がどーん!と描かれているよりははるかに
とっつきやすくて助かった。
ファーブルは。……アヴィニョンに行った時に、たしかファーブルが教えていた
中学校の跡地に建てられた公園でパンを食べたという程度の接点しかないが、
それこそ奥本大三郎の各著作から察するに、ほんとに地道に虫を見ていた人なんだなと。
もちろん本作も虫についてのじっくりした観察の賜物なのだが、
その観察が本当に何時間も何日も、何回も地道に積み重ねたものなんだと
実感できる文章が出て来て、そのたびに彼の姿を想像する。
やせ型の。麦わら帽子をかぶった。あまり手入れの行き届いてないぼさぼさの銀髪で、
道端にずっと座り込んで一心に地面を見つめていたりもしただろう。
その苦労については本人も作中に書いていて、警官には疑われるし、
通行人が観察中の虫の巣を長靴で(気づかずに)踏みつぶしていくこともあるし、
近所の女性たちには正気を失っていると思われて憐れみを受けたりする。
なかなか安心して観察が出来ない。
――その気持ちはドラクエウォーカーのわたしにはよくわかる。
知らないだけで、虫の世界もなんと精緻なことだろう。
餌を狩って、それを麻痺させて、ここしかないという天啓ともいうべき場所に
卵を産み付ける。
餌になった方のことを考えるとグロテスクだが、それは仕方がないこと。
世界は積み重ねられた本能によってわたしの思ってもみないほどにうまく回っているのだ。
――そしてこれを読み終わった直後に。
阿川佐和子の「きりきりかんかん」を最後まで読み上げてしまおうと思って続けて読んでたら、
「奥本大三郎さんの出版記念パーティに行ってきた」って話が出て来て。
本を読んでいると本のカミサマのお導きということは多々あるのだが、
それにしてもこれかい!とはほとほと思ったことよ。
「ファーブル昆虫記」は全10巻だそうですね。そして日本語版だと1巻上下巻に
分かれるそうです。なので20冊読まなければなりません。
まあ2年はかかるかなー。もっとかなー。のんびり読んでいきましょう。
が、わたしはそんなに馴染みはなくて。
子供の頃に家に1冊あったんだけど、本の虫だったわたしにしてはほとんど読まなかった。
1回か2回読んだきり。それも小学校高学年になってからだから、ほんとに敬遠してた。
それはひとえに、虫が嫌いだったからです。
虫が嫌いだとね。昆虫記のハードルは高いよね。
実際読んだ時も、内容はすごく面白かったんだけど、幼虫とかさなぎとか
なんか生々しくて読んでてコワかったのよ。
それから長い時が過ぎて、今回ようやく全巻読破へのトビラが開きました。
なぜ今さら昆虫記なのかといえば、それは訳者が奥本大三郎だからです。
彼のエッセイをここ数年ツブしていて、2016年まで発行のものは大概読み終わった。
その仕上げとして彼が完訳した「ファーブル昆虫記」。
虫好きのフランス語の先生が訳すというのは、作品の内容からしてぴったりですね!
読み始めは素人くさい翻訳に感じたが、そもそもファーブルの原文が素朴というのはありそう。
奥本大三郎本人のエッセイとも似通った、平易でいい意味でおじさんっぽい雰囲気。
読みやすくてさくさく。
大きめの単行本で350ページ。そのボリュームにちょっとぎょっとしたが、
実際に読んでみると予想の3分の2くらいの時間で読めた。
装丁が妙にロマンチックというか、可愛いのよね。
スカラベが紋章のようにど真ん中に小さく書かれている以外は、
イギリス・ヴィクトリアンな壁紙風。バラと小鳥。
なんでこのデザイン?と思ったが、実は虫がどーん!と描かれているよりははるかに
とっつきやすくて助かった。
ファーブルは。……アヴィニョンに行った時に、たしかファーブルが教えていた
中学校の跡地に建てられた公園でパンを食べたという程度の接点しかないが、
それこそ奥本大三郎の各著作から察するに、ほんとに地道に虫を見ていた人なんだなと。
もちろん本作も虫についてのじっくりした観察の賜物なのだが、
その観察が本当に何時間も何日も、何回も地道に積み重ねたものなんだと
実感できる文章が出て来て、そのたびに彼の姿を想像する。
やせ型の。麦わら帽子をかぶった。あまり手入れの行き届いてないぼさぼさの銀髪で、
道端にずっと座り込んで一心に地面を見つめていたりもしただろう。
その苦労については本人も作中に書いていて、警官には疑われるし、
通行人が観察中の虫の巣を長靴で(気づかずに)踏みつぶしていくこともあるし、
近所の女性たちには正気を失っていると思われて憐れみを受けたりする。
なかなか安心して観察が出来ない。
――その気持ちはドラクエウォーカーのわたしにはよくわかる。
知らないだけで、虫の世界もなんと精緻なことだろう。
餌を狩って、それを麻痺させて、ここしかないという天啓ともいうべき場所に
卵を産み付ける。
餌になった方のことを考えるとグロテスクだが、それは仕方がないこと。
世界は積み重ねられた本能によってわたしの思ってもみないほどにうまく回っているのだ。
――そしてこれを読み終わった直後に。
阿川佐和子の「きりきりかんかん」を最後まで読み上げてしまおうと思って続けて読んでたら、
「奥本大三郎さんの出版記念パーティに行ってきた」って話が出て来て。
本を読んでいると本のカミサマのお導きということは多々あるのだが、
それにしてもこれかい!とはほとほと思ったことよ。
「ファーブル昆虫記」は全10巻だそうですね。そして日本語版だと1巻上下巻に
分かれるそうです。なので20冊読まなければなりません。
まあ2年はかかるかなー。もっとかなー。のんびり読んでいきましょう。
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