あの日の朝 まだ暗かった
近所の会社のトラックのドアを閉める音で目がさめる
早朝に荷物を運搬しているので日常だった
と...ほぼ同時に 「ドォ-ン ドォ-ン」と
地面を叩くような音がするとすぐに 大きく
家が揺れはじめました 寝室の壁が 波打つようにゆれて
家が潰れるんじゃないかと 怖くなり
すぐ横にねていた 当時 1歳半の次男の布団の上に
覆いかぶさった
それから 家族がみんな起きて テレビをつけてみた
本当に 怖かった...
京都は 震度5だった
みんな無事.....良かった
時間を追うごとに 被害の状況や 亡くなった人
色んな情報が 伝わってきた テレビの前から 動けなくなった
長女は小学校 長男は保育所
朝の準備をして子供を送った
家の被害は...
台所の食器棚の扉が開いていた
あと ケ-スに入った人形が倒れてた それくらい
でも テレビが伝える状況は すごかった...
ずっと 胸がざわざわして 何をするにも落ち着かない
余震が時々あり 余計に怖くなってきました
長女が学校から帰り 登校途中の車の展示場のショ-ウインドウが
割れてしまってた....と 学校で先生から色んな情報を聞いたようで
ちょっと興奮してた様子
それからも ずっと テレビにくぎ付けだった
家が倒壊して避難してる人たちの様子
街の様子
昔 遊びに行った 素敵な町 神戸が....
悲しい状況になってた
毎日 地震の特別番組が続きました
支援物資の事が取り上げられてた
大人用の衣類は送られてくるらしく
子供用のモノの不足しているとかで
1月の寒い時期に
素足で避難所で生活してる様子が可哀そうで
同じ年ごろの子供がいるので身につまされる思いだった
数日後に 子供用品のお店で 靴下 衣類をダンボ-ル一杯
購入してすぐに 支援物資として送りました
私自身の気持ちも なんだかこの行動で落ち着いてきた
これぐらいの事しかできないけど 誰かのお役にたてればと
祈るような思いでした
あれから25年....もう25年... 今も覚えています
数年前に 美しく整備された神戸の街へでかけました
あんな悲惨な震災があったとは 思えないよ
復興したんだ.....
あの日の思いは まだ私の記憶にずっと残っています
沢山の星になった方々は 美しくなった神戸の街を
見ていらっしゃるんじゃないかと 思います
これからも ずっと 美しい街 神戸であってほしいです