4月24日から開催される、えひめ南予きずな博
の関連行事として行われた、
十本松峠の清掃ウォーク
~吉田町と三間町を結ぶ古い街道「十本松峠」を歩こう♪~
というものに誘われて、参加してきました。
三間町の毛利家の駐車場に集合。
十本松峠街道目指します。
街道については
1.8キロほど歩くと、街道入口へ到着。
受付をし、虫よけスプレーを振り、代表の方などのご挨拶。
三間町の女性消防団員さんたちによる、非常時のトイレの使い方の説明。
必ず訪れるであろう南海地震や、災害時には、食・睡眠・そして排泄が大切なこと。
今日は、災害時の簡易トイレの使い方を覚えて、
峠に設置しているトイレで体験をしてみてくださいとのこと。
「堀切道」
宇和島藩より分知され誕生した伊予吉田藩の、重要な街道であったこの尾根道。
そこを、延べ14000人が手掘りで山を削ってできたのが、この堀切。
当時は吉田から三間・鬼北間の往来で大変な賑わいだったそう。
しかし、藩成立以来214年にわたり財政を支え、踏み固められたこの峠道も
明治4年に廃藩置県となり次第に寂れていったそう。
「店屋」(てんや)と呼ばれるお店屋さん(うどん屋)がこの狭い場所に2軒もあったとか。
2軒目。
「ローソンとファミマみたいに狭いとこで張り合っとんたんかねぇ」
とは、島田くん
ここで、この堀切道の歴史などを説明してもらって、
その後、みんなで清掃ボランティア。
この街道を毎日のように整備されている方々のおかげでゴミはありません。
整備のために切っていた木をみんなで運んで谷に投げたり、
落ち葉を集めて捨てたりと。
きれいにした後は、堀切北山、南山へと。
真ん中あたりは、西日本豪雨で崩れた吉田公園の裏山
西予方面の風車
赤い屋根は喜佐方の選果場?
山つつじもきれいでした。
上から、堀切道を見下ろしました。
その後は、展望台まで歩き、つつじを眺めながらお弁当。
当初はみんなで一緒に行動の予定でしたが、
距離をとりながら各自自由行動に。
こちらからは、高島、遊子を望むことができました。
おいしいお弁当を食べ、美しい風景を眺め、さてと。
説明を受けていた災害用トイレを見ておきましょう。
なるほど~~。
できれば、使用する非常事態がきませんように。
そして、これ!
昭和の頃は、ここは遠足の聖地(?)だったそうですが、
だんだんと草木が生い茂ったままとなり・・。
それを、守る会のかたや、いろんなボランティア団体によって整備されて、
今年は、三間小学校の児童が遠足にきたと新聞にありました。
その子たちも楽しんだ、
「キンマ」滑り。
竹などで作られています。
もちろん、私たちも!!
友子さんも
私も
島田くんだけは、かたくなに拒否だった
小学生の頃、さかもっちゃんちに遊びに行って、
竹を半分に割ったものを足に付けて蜜柑山を滑って遊んだなぁ~。
大人になった今でもそのことはよ~く覚えてます。
怖いもの知らずだったよなぁ~二人ともお転婆だったなぁ・・。
さて。吉田までの道へは今日は行かず、毛利家まで戻りました。
歴史的なことも教えてもらったし、ちょっと清掃のお手伝いもできたし、
つつじは奇麗だったし、キンマもできたし、
段ボールトイレの使い方も教えてもらったし、、
いい日でした。
友子さん、誘ってくれてありがとう。
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