ウォーキングがてら「渋沢栄一」巡り。
島田くんに教えてもらったので
南予護国神社
『大正2年藩主4柱を祀り、鶴島神社と称して県社に列格する。
昭和20年7月に空襲で全焼したが、
復興に際して戦没英霊7000余柱を合祀し、
昭和30年南予護国神社と改称した。』
久々だな~~。
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神社祭主:伊達秀宗公(だてひでむねこう)
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というこの神社ですが・・・。
神職常駐でない神社ですけれど、それにしても・・
荒廃感がすごい・・・
「鈴」の「ひも」もないまま・・
スズメバチの巣まで・・・
ま、だけど、お賽銭をあげ、手を合わせる。
これですね。
大正3年(1914)渋沢栄一によって寄進されたもの。
渋沢ブーム(?)で、もしかしたら今後宇和島に訪れる人も増えるかも?
もう少し、整備しようよ・・・
その後、伊達博物館へ。
令和3年度宇和島伊達家コレクション展①
武家の手習ひ 宇和島伊達家の武・遊・美
そして、第4展示室は、
ダテハク企画展①
渋沢栄一をめぐる宇和島の人々
『明治2年(1869)渋沢栄一は明治政府に出仕し、
民部省租税司となるが、その時大蔵卿兼民部卿だったのが伊達宗城であった。
翌年、民部省と大蔵省は分離し、
宗城は大蔵卿専任、栄一は大蔵少丞となっている』
明治維新の頃、宇和島伊達の藩主はじめ、宇和島にゆかりのある人たち。
日本の中でも優秀な人々が宇和島にいたんだなぁ。
それから、私たちが興味津々だった家系図。
まだ13代目と夫人で最終のままだった。
どのように書き加えられるんだろう・・・。
芝不器男の句碑もあり
渋沢栄一を招いた伊達宗城の像
なんだかんだ、おば3で宗城さんの偉業を話しながら、
家系図のことを話しながら、
さ!お腹すいた!!
宗城さんや、渋沢さんたちと時代をともにした、大和田建樹の生家跡や
小島 惟謙の銅像を見ながら商店街まで歩く。
何か月ぶりかのランチ
とうふや三和さんへ
ウォーキングの消費カロリーなんぞチャラ
ま、いいのいいの
残念な事に彼は卒業後 確か S ガスに就職して何年か後に若死に(病死)して 仲間から本当に惜しまれたものでした(涙)"(-""-)"
この神社にはその頃 中段の広場横に 旧い古代の丸木舟が ありました。( ゚Д゚) 年代不詳・・・?
同期会などで 集まった仲間の野球部連中との会話では いつも彼の話が話題として出てきます!(';')
とても大人しい柔和な顔の同級生だった彼の顔が想い出されます!
昨日はなかったです。
確か佳孝くんが、それについてコメントくれたような・・・・・。
とにかく、様々ところが朽ちたりしているし、草は生えてるし・・
どうにかしてあげられないのかな‥と思いました。