2003年に発表された論文によると、自尊心が高いだけでは成績も対人関係も生産効率も上がらないらしい。
場合によっては「自分は才能がある優秀な人間だ」と信じ込みすぎるあまり、逆に対人関係や仕事でやらかす可能性が上がるとも。
ただし、自尊心が低すぎても歪んだ劣等感が間接的に生産効率を下げる可能性もあるという。
この論文で言及された『自尊心と生産効率』、ひいては『自尊心と成功』というような、よく取り上げられる組み合わせについてチョットダケ喋りたい。
断定口調ではなく曖昧であることも認める口調にしよう、という「ラショナルビリーフ」であっても。
自分の才能は生まれつきのものであるという考えよりも、自分は努力すれば成長できるという考えにしよう、という「成長マインドセット」であっても。
そして、自分を卑下する行動ではなく自分を尊ぶ習慣をつけよう、という「自尊心」であっても同じ事だが。
これらは単なる一個人の意見でしかない。それらが崇高な意見であっても、「ボクはこう思いました」程度の感想にとどまってしまう。
つまりその意見が充分に発揮される、または補強できる環境が整っていなければ、自分ですら、自分の崇高な意見通りに事が進まないこともある。
崇高な意見が成功に導くかどうかと言われれば、ノーだ。それに従い行動すれば間接的な変化は望めるかなぁ、といったところ。
また、崇高な意見が、事実と何ら関係のない妄想と逃避と保身を理由に作り上げた屁理屈である可能性も高いのだ。それらはたいてい『ナルシスト』や『完璧主義』と言われている。
『ナルシスト』も『完璧主義』も、生活に支障をきたす障害に発展することがあるのだ。大体は「決まった時間に眠れなくて、いつも睡魔に襲われる」という方向で現れるが。
だが。
「生産効率を上げないのであれば、自尊心は蔑ろにしてもいいな」というわけでもない。
慢性的で継続した自尊心への軽視は、かなり早い段階から生産効率云々以前の問題へと発展するだろう。或いは、間接的な生産効率の低下を招く。対象の存在意義が喪失し、働かなくなるからだ。
そして「そういった考えを抱かなくても、考え方を変えなくてもいい」というわけでもない。
幸福や自分の存在意義、対人関係など様々な理由はあるが。もっと単純に、自分を蔑ろにすることで自身の心身が壊れるのだ。大体は「おいしいものが食べられない」という方向で現れるが。
自尊心は高すぎても徳はない。
自尊心は低すぎても損しかない。
そして、自尊心は自分の存在意義を固める、自分が幸福で在れるための強い基盤として存在している。
だから『自尊心と生産効率』は、『自尊心と成功』は、そもそもが相容れない議題なのだ。
混在しがちだし、極論になりがちだが。
どうか、頭の片隅にとどめておいてほしい。