縄文人の志葉楽さんのブログ

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●言霊(ことだま)とは、

2020年11月12日 20時45分31秒 | ●日本
●言霊(ことだま)とは、
一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書く。清音の言霊(ことたま)は、森羅万象がそれによって成り立っているとされる五十音のコトタマの法則のこと。その法則についての学問を言霊学という。
https://ameblo.jp/zenigoke/theme-10104589696.html
 コトタマの法則の記事(391件)
声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。『万葉集』(『萬葉集』)に「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」(「志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具」 - 柿本人麻呂 3254)「…そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり…」(「…虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理…」 - 山上憶良 894)との歌がある。
これは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことによるものである。漢字が導入された当初も言と事は区別せずに用いられており、例えば事代主神が『古事記』では「言代主神」と書かれている箇所がある。
自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられた。例えば『古事記』において倭建命が伊吹山に登ったとき山の神の化身に出会ったが、倭建命はこれは神の使いだから帰りに退治しようと言挙げした。それが命の慢心によるものであったため、命は神の祟りに遭い亡くなってしまった。すなわち、言霊思想は、万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想というだけではなく、心の存り様をも示すものであった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アニミズム
 ことだま とは 
ことだま とは、前述のように、ことば に込められた「珠」「魂」の事。
本来、善良なものとして使用される。 邪悪な事象に関しては、ことかえ の儀式にて、転換・変換し、善良なるものへと移行させる。 きちっと正しい心を持って正確に使用する事によって、ことだま が自然発動的に、生きて、存在する総てのものを生かし、ことかえ が行われ、より善良で高度な精神性がもたらされ維持される。天孫降臨以来、脈々と受け継がれて来ている、日本古来の伝統である。


 「ことだま」:言葉の内容 
「事珠」 事象の、「珠(たま)」。これをつないだ状態を象徴的に表現したのが、数珠など。
「事魂」 事象の、「魂(たましい)」「心」「核Coreを成すもの」。
「言珠」 事象を表現する為の言葉の、「珠(たま)」。これをつないで表現したのが、文。
「言魂」 事象を表現する為の言葉の、「魂(たましい)」「心」「核Coreを成すもの」。
※ この場合の「事象」とは、「存在するもの自体=もの」も含む。(参照:色即是空 空即是色)
 ことだま の例 
「サキタマノニギハフクニ」 幸魂・先魂・端魂の賑ふ国。
「ことば」「ことのは」
「言の葉」「事の葉」: 事象に関することを表現する言葉を、大樹の葉に見立てている。
「言の端」「事の端」: 事象に関することを表現する言葉を、その一端として表現しているので、「端(は)」と表現する。
「ことわり」※ 区分割り・割り振りをする際に、「理」に従って行う。
「事割」: 事象を、表現し認識する為に、区分割りすること。
「言割」: 事象の表現・認識を、言葉へ割り振ること。言葉り(ことはり)。
「理(ことわり)」: 道理・法則・摂理・倫理・理由。事象の道(みち)。宇宙の摂理、自然の摂理、神の摂理、人の摂理のようなもの。ここから、倫理である神道・人道の精神が生じた。理路整然の「理」。(補足説明:神道=統治者側の道理。人道=人としての道理。)
「断り」: 本来、何かをする時に、入れる理・道理。そこから派生して、断る際に理由付をする事 となり、さらに転じて、最近では 断る行為のみ に使われている。 また、邪道・邪意・邪気・まがごと を断つ為に、理(ことわり)を入れる事もある。
「はれ」と「け」
「晴れ」: 秋空の快晴のように、晴れ渡っている様(さま)。
「け」: 穢・卦・懸・魁(その他、マイナスのイメージを持つケの音を持つ言葉)など。
「まがごと」
「魔が事・魔が言」: 妖術使いのやる邪道・邪意なこと。妖術を使った邪魔なこと。
「曲が事・曲が言」: 道理を外れて曲ったこと。
「禍事・禍言」 禍々しいこと。
「邪魔」
原因は、邪気・邪道・邪意の魔。邪(よこしま)な意を持って間に入り、邪道を通そうとする存在。また、その結果、発生した出来事やもの。
「わざわい」
「業歪(わざわい)」: 業(わざ、カルマ(=行為・行動))を、理から逸れて歪曲(わいきょく)して行うこと。その行為。また、その結果。
「くそ」
「苦祖」「苦素」: 苦の祖となっているもの。苦の出所。苦の元となる要素。糞も、適宜、排泄しない事には、苦の元(病気などの原因)となる要素をはらんでいる所から来る。

「ことかえ」
本来、「災い転じて福と成す」為、ことかえ を用いる。
まがごと を、言(言葉)をかえる(替える・変える・交える・換える・代える等)ことによって、事(こと)をかえ、改善の効果をもたらす。儀式は、ことかえ の効果を祈願して行い、それによって、より、ことかえ の効果を上げることができる。
俗には、都合が悪い事を揉み消す為にコトカエを行う、といった曲解も見られる。 本来は、「より善良な状態をもたらす為」にのみ、そして、危険時等の まがごと の ハネカエシ 等の為にのみ、使用される。


他の文化圏の言霊
他の文化圏でも、言霊と共通する思想が見られる。『旧約聖書』の「ヘブライ語:רוח הקודש」(ルーアハ)、『新約聖書』では「希: Πνεύμα」(プネウマ。動詞「吹く」(希: πνεω)を語源とし、息、大いなるものの息、といった意が込められる)というものがある。「風はいずこより来たりいずこに行くかを知らず。風の吹くところいのちが生まれる。」この「風」と表記されているものが「プネウマ」である。
一般に、音や言葉は、禍々しき魂や霊を追い払い、場を清める働きがあるとされる(例:拍手 (神道))。これは洋の東西を問わず、祭礼や祝い、悪霊払いで行われる。神事での太鼓、カーニバルでの笛や鐘、太鼓、中華圏での春節の時の爆竹などはその一例である。
言葉も、呪文や詔としてその霊的な力が利用される。ただし、その大本になる「こと」(事)が何であるかということには、さまざまな見解がある。たとえば「真理とは巌(いわお)のようなものであり、その上に教会を築くことができる」と考えたり、あるいは「真実を知りたければ鏡に汝自身を映してみよ、それですべてが明らかになる」といい、それは知りうるものであり、また実感として捉えられるものであるとみる意見や、「こと」自体はわれわれでは知りえないものであるという主張もある。これらはさまざまな文化により、時代により、また個人により大きく異なっている。
関連項目
言霊学
真理
神道
神道霊学
陰陽道
スピリチュアリティ
シャーマニズム
呪術
文字-文霊
忌み名

井沢元彦
岡田光興
水からの伝言
ヒュムノス語
ウィキペディアより

これは日本な独特の考えで
明治には言霊により雨を降らせたと言われている。
全国に当時 一万人とも二万人とも言われる
霊能者が居たとも言われている。
その中の何人かが言霊に精通していたとも言われている。
目に見える分野では無いので完全な証明は出来ない。
この項目も各自調べて見ると面白いのでは無いかな。

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