縄文人の志葉楽さんのブログ

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◆荒瀬ダムの撤去 ◆現在の球磨川

2020年07月12日 10時10分35秒 | 生活
◆荒瀬ダムの撤去 30分版(一部専門家向け)
498,958 回視聴 2018/09/30 https://youtu.be/MDjsu2wFQjY
熊本県企業局
チャンネル登録者数 1450人
全国初の本格的なコンクリートダム撤去工事である荒瀬ダム撤去工事を、30分にまとめた記録映像です。30分版は15分版に一部専門的な工事内容を加えたものです。
 
◆全国初!前例のないコンクリートダム撤去はどう行われたのか
https://newswitch.jp/p/3835
2016/03/06 - 熊本県荒瀬ダム、鮎の棲む川を守る
大きくて美味しい鮎が釣れることで有名な川が熊本県にある。球磨川(くまがわ)だ。春先、球磨川には10センチほどに育った鮎が遡上する。鮎釣りの愛好家らの間では有名な球磨川だが、2010年ごろから、別の側面でも注目を集めるようになった。この川に建設された荒瀬ダムが撤去されることになったのだ。国内のダムは2700基を超えるが、本格的なコンクリートダムの撤去工事は初めて。国内では前例のない方針決定に対し、熊本県荒瀬ダム撤去室は、さまざまな関係先と連携し、工事完了まで最善を尽くしている。
 
◆荒瀬ダム - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/荒瀬ダム
荒瀬ダム(あらせダム)は、かつて熊本県八代市坂本町葉木荒瀬、一級河川・球磨川水系球磨川に存在したダムである。 2018年3月に撤去作業を完了した。
地域興しの一環として漕艇場が整備され、日本漕艇協会公認コースとなった。国民体育大会の会場ともなった。また、1993年に、旧建設省が「魚が上りやすい川づくり推進モデル河川」として球磨川を指定したことにより、1999年に、観察室を併設する魚道が整備された。
 
◆全国初!前例のないコンクリートダム撤去はどう行われたのか 熊本県・球磨川の荒瀬ダムの撤去
http://suigenren.jp/news/2016/03/07/8260/
2016/03/07
熊本県・球磨川の荒瀬ダムの撤去工事に関する記事を掲載します。経過が詳しく述べられていて、大変参考になります。
全国初!前例のないコンクリートダム撤去はどう行われたのか
(ニュースイッチ 2016年3月6日(日)9時14分配信) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160306-00010001-newswitch-bus_all&p=1
(写真)撤去風景 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160306-00010001-newswitch-bus_all.view-000
熊本県荒瀬ダム、鮎の棲む川を守る
 
◆球磨川 - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/球磨川
球磨川(くまがわ)は、熊本県南部の人吉盆地を貫流し、川辺川をはじめとする支流を併せながら、八代平野に至り八代海(不知火海)に注ぐ一級河川で、球磨川水系の本流である。熊本県内最大の川であり、最上川・富士川と並ぶ日本三大急流の一つでもある。
日本二十五勝にも選定されている。
 
◆日本の未来に魚はあるか?―持続可能な水産資源管理に向けて
第21回  荒瀬ダムの撤去は球磨川と八代海の漁業にどのような影響を与えたか
https://www.gef.or.jp/globalnet202001/globalnet202001-9/
2020年01月15日グローバルネット2020年1月号
豊かな球磨川をとりもどす会事務局長
つる 詳子(つる しょうこ)
●荒瀬ダム撤去後の球磨川・八代海の変化
球磨川流域の住民が、荒瀬ダム撤去を求めた一番の理由は、ダム建設後、度々甚大な被害を起こしてきた水害である。2番目が漁獲量の減少を含む環境の悪化である。地元にとって「百害あって一利なし」のダムに、「われわれはもう50年我慢した。もう球磨川を私たちに返してくれ」と広がった撤去運動は世論や政治を変え、撤去が決定。2012年3月31日に水利権が失効した荒瀬ダムは、2年間の準備期間をおいて、2012年4月から撤去工事に入った。実際の現場での工事となったのは9月1日からのことである。工事期間は6年間で2018年3月31日に終了。しかし、大きく河川や河口干潟の環境が変化し始めたのは、2002年に前知事が撤去を決定した後、撤去に備えてその年の11月から約2ヵ月冬季ゲートを全開した後からである。
 
◆荒瀬ダム撤去が、教えてくれたこと – クリーネストライン
https://www.patagonia.jp/blog/2018/07/removed-the-arase-dam/
2018/07/07
2018年3月27日。この日に開催された荒瀬ダム撤去完了式典の日、私は式典には参加せず、対岸から流れる球磨川を眺めながら、2010年3月31日に荒瀬ダムの水利権が失効し、ゲートが全開された翌日から、その日までのことを思い出していた。
ゲートが開いて、それまでの減水区間を流れる、生きている水の音。工事がはじまる前日、最後に管理橋を皆で歩いたときの笑顔。工事がはじまり、分厚い鉄板を切るカッターの火花。発破で、スローモーションのように倒れる巨大な門柱。右岸部分がなくなり、昔の流れが戻って3日目に聞いたカジカガエルの声。蘇った支流に潜り、「魚を2000匹は見たよ」と上がってきたマット・シュテッカーさんの笑顔。カヌーではじめて下ったときの心地よさ。そして、川辺川ダム反対運動からはじまり、撤去開始までの長い活動期間をともに過ごしてきた、いまは亡き友人たちの顔。何よりも彼らにこの流れを見てほしかった。私はこの短いようで長い期間にダム撤去が私たちに見せてくれたものの意義、そしてダム建設によって失うものの大きさをあらためて実感として感じていた。
 
◆球磨川の荒瀬ダム撤去完了 国内初、清流生かし自然再生へ
https://yamba-net.org/41305/
 日本初の本格的なダム撤去となる熊本県・荒瀬ダムの撤去事業がまもなく終了します。
 わが国では残念ながら、荒瀬ダムに続くダム撤去の話がありません。荒瀬ダムの撤去は河川行政にとって画期的なことですが、熊本県外では殆ど知られていません。荒川の中流にある玉淀ダム(埼玉県寄居町)について、5年以上前にダム撤去を求める運動がありましたが、その後の情報がありません。
 熊本県では撤去された荒瀬ダムの10キロ上流に、電源開発の瀬戸石ダムがあります。球磨川の再生には瀬戸石ダムの撤去が不可欠として、運動が続いていますが、今のところ展望は開けていません。
 荒瀬ダムの撤去を決めたのは熊本県知事が潮谷義子さんだった時です。潮谷知事は国が進めようとした川辺川ダム建設中止においても決定的な役割を果たしました。現知事の蒲島郁夫現知事は荒瀬ダムの撤去を取りやめようとしましたが、潮谷前知事が漁協の同意なしでダムの存続ができないように路線を敷いていましたので、蒲島知事はやむなく、撤去を進めることになりました。
 瀬戸石ダムは2014年に水利権の更新が行われましたが、蒲島知事が同意し、ダムの存続を容認しました。また、蒲島知事は県営の路木ダム(天草市)の建設を強引に進めました。
 
◆「想定外の雨量」に対応できず 球磨川3市町村、行動計画生かせず
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/625169/
2020/7/11
記録的豪雨で甚大な被害が出た球磨川流域の自治体のうち、熊本県球磨村、人吉市、八代市は防災意識が高く、ゲリラ豪雨時に自治体が取るべき行動を時系列で事前に定めた「タイムライン」(TL)を県内で先行導入した先進地だった。それでも「想定外の雨量」に対応できず、早期に避難情報を出した球磨村でも多くの人が犠牲になった。発生から11日で1週間。自治体の対応だけでなく、住民の危機意識をどう高めるか、課題を突き付けている。
 
◆決壊仕組みに4パターン目「パイピング」 球磨川の堤防、13日に調査
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/625426/
2020/7/12 6:00  西日本新聞 総合面 横田 理美
球磨川が氾濫し、多くの民家などが被害を受けた熊本県人吉市=4日午後1時ごろ(本社ヘリから、撮影・帖地洸平)
堤防が決壊する四つのメカニズム
https://www.nishinippon.co.jp/image/207134/
「陸側から川へ流れた」例も
 熊本県南部を襲った豪雨では、同県人吉市を流れる球磨川の2カ所で堤防が決壊。流域に大きな被害をもたらした。球磨川では2012年に堤防や地盤の点検が行われ、決壊の危険性が判明した箇所が9カ所あった。ただ、今回の決壊はその9カ所とは別の場所で発生。そのとき、川で何が起きていたのか。原因を究明するため、専門家による現地調査が13日に開かれる。


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