縄文人の志葉楽さんのブログ

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●国歌「君が代」・国旗「日の丸」について

2020年10月31日 07時54分31秒 | ●日本
●国歌「君が代」・国旗「日の丸」について
★国歌 君が代
http://www5a.biglobe.ne.jp/~jisso/
「君が代」の成り立ちや
歌詞の解説が詳しく載っています。
不明(読人しらず)(905年初出)

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
汝(なんじ)の治世が幸せな数千年であるように
われらが主よ、治めつづけたまえ、今は小石であるものが
時代を経て、あつまりて大いなる岩となり
神さびたその側面に苔が生(は)える日まで

君が代(きみがよ)とは、日本の国歌である。
明治維新後の1880年(明治13年)に曲がつけられ、
以後は国歌として扱われるようになった。
1999年(平成11年)に国旗及び国歌に関する法律で正式に国歌に制定された。
元は平安時代に詠まれた和歌である。
1880年(明治13年)、法律では定められなかったが、
日本の国歌として「君が代」が採用された。
この国歌のテーマは皇統の永続性であり、歌詞は10世紀に
編纂された『古今和歌集』に収録されている短歌の一つである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/君が代
現在、公式に演奏されている管弦楽版の「君が代」は、
近衛秀麿編曲版だソウです。
2番があった時代の君が代のメロディはいまと別物です。
管楽器編曲版もあり幾度か正式に演奏されたようですが、間延びして
抑揚もないつまらないメロディであったため演奏されなくなりました。
譜面を見ましたが、これは確かに味気ないです。
今のものは雅楽師の合作と言われています。
雅楽の陽旋法(上り:レミソラドレ、下り:レシラソミレ)に基づいて
作られており、それを管弦楽編曲にあたってドイツ人音楽家が
四声体に編曲したそうです。
最初「君が代は」と最後「すまで」を和音にせず斉唱
(全員で同じメロディを歌う)にしたのはおそらく苦肉の策で
あったと思われますが、かえって厳かな雰囲気を出すことに
成功していると考えられます

作曲を担当した雅楽師は、奥好義/林廣守の2氏です。
ドイツ人の名前はエッケルトでした。
2番まである君が代についてはこのページに記載があります。
もう一つの君が代...(02/6/12作成・6/26改訂)
http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/talk/kimigayo.htm
今の日本の音楽シーンでは、好んで聴かれる曲というものは、世代によって見事に差別化されています。
60を越えた人がヒップ・ホップを聴くことなど考えられませんし、10代で浪花節などを嗜もうものなら、間違いなく変人扱いされてしまうでしょう。
そんな中で、「君が代」という曲は、どんな世代の人でも間違いなく聴いたことがあるし、場合によっては「歌った」こともあるという、極めて稀な存在になっています。
特に、「2002FIFAワールドカップ」という全国民を巻き込んだ一大イベントでのヘビーローテーションのおかげで、この曲の認知度は格段にアップすることになったのです。
この曲の音楽的な稚拙さを論じるのは簡単なことです。
しかし、多くのヒット曲の例を引き合いに出すまでもなく、その曲がヒットするか否かは、音楽性ではなく露出の多寡にかかっています。
まして、この曲の場合、100年以上という時間的なスパン、学校教育をフルに活用したプロモーションと、売り出しの手間といったらハンパではありません。かくして、日本で唯一、聴き手(歌い手)を選ばないヒット曲が誕生したのです。

「君が代」の歴史的変遷 :: 同志社女子大学.   2019/07/05.
https://www.dwc.doshisha.ac.jp/research/faculty_column/11583
吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授).
日本の国歌に制定されている「君が代」について、
みなさんはどの程度のことをご存じですか。
ここでその歴史を少しばかりたどってみましょう。
まず出典ですが、一番近いのは『古今集』賀の巻頭にある、
我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで(343番)です。
これは題知らず・読人知らずの歌ですが、
年賀に天皇の長寿を讃美・祝福したものと考えてよさそうです。
なお初句は「我が君は」とあり、「君が代」という本文異同は認められません。

「国旗・国歌」について - 内閣府
https://www8.cao.go.jp/chosei/kokkikokka/kokkikokka.html
国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律第127号)
(国旗)
第1条  国旗は、日章旗とする。
2 日章旗の制式は、別記第1のとおりとする。
(国歌)
第2条  国歌は、君が代とする。
   2     君が代の歌詞及び楽曲は、別記第2のとおりとする。
別記第2(第2条関係)
君が代の歌詞及び楽曲
    歌詞
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
      こけのむすまで
もう一つ国家があります。
もうひとつの君が代とは?君が代の歴史と背景《雑学》 2011/09/30
https://ameblo.jp/yarideikou/entry-11027727136.html
君が代とは?
明治維新後の明治13年(1880年)に曲がつけられ、以後は国歌として扱われるようになり、平成11年(1999年)に国旗及び国歌に関する法律で正式に国歌に制定された。

第1の君が代 - 1869年(明治2年)
イギリス公使間護衛隊歩兵大隊の軍楽隊隊長「ジョン=ウィリアム・フェントン」が日本の国歌が存在しないことを知り作曲。歌詞は薩摩琵琶の「蓬莱山」が採用された。

第2の君が代 - 1879年(明治12年)
フェントンの洋風の作曲は、当時の日本人にはあまり評価されず海軍省は宮内省にふさわしい軍楽曲を作ってほしいと要請。ドイツ人エッケルトが雅楽調をとり入れて新しく作曲。現在の国歌です。

第3の君が代 - 1880年(明治13年)
「第二の君が代」は天皇奉祝の歌にすぎないとし文部省が作曲。作曲者は不明。学校の唱歌でしたが西洋の音を日本の音に置き換えた為、メロディーが馴染まず広まることなく忘れ去られていったそうです。

桜井よしこ氏日の丸の由来を語る
https://youtu.be/8X09zffm7ko
日の丸の旗 ひのまる 歌詞 文部省唱歌 - 世界の民謡・童謡
http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/hinomaru.html
「白地に赤く 日の丸染めて」が歌い出しの『日の丸の旗』(ひのまるのはた)は、1911年(明治44年)発行の「尋常小学唱歌」第一学年用に掲載された日本の唱歌。作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一。
1941年刊行の「ウタノホン 上」ではカタカナ表記に改められ、歌詞の一部が「美しや」から「ウツクシイ」、「勇ましや」から「イサマシイ」と語尾が変更された。
歌詞:日の丸の旗
白地に赤く
日の丸染めて
ああ美しや
日本の旗は
朝日の昇る
勢ひ見せて
ああ勇ましや
日本の旗は
『ひのまる』(戦後改訂版)
白地に赤く
日の丸染めて
ああ美しい
日本の旗は
青空高く
日の丸揚げて
ああ美しい
日本の旗は

教科書で見る国旗Ⅰ – 日の丸の歌① | タディの国旗の世界  2013/01/02
http://www.worldflags.jp/blog/6673/
「日の丸」の歌って素朴でいい歌ですね。
「日の丸の歌」    作詞:高野辰之  作曲:岡野貞一
今では次の歌詞で教科書に載っています。
    白地に赤く 日の丸染めて ああ美しい 日本の旗は
    青空高く 日の丸揚げて ああ美しい 日本の旗は
しかし、この歌の1911(明治44)年の発表当時は
    白地に赤く 日の丸染めて ああ美しや 日本の旗は
    朝日に昇る 勢い見せて ああ勇ましや 日本の旗は
それの歌詞が私の生まれた1941(昭和16)年にこう改訂されました。
    青空高く 日の丸揚げて ああ美しい 日本の旗は
    朝日に昇る 勢い見せて ああ勇ましや 日本の旗は
時代とともにこうなるのかなという典型的な例かと思います。

色々と歪められて日の丸のうた一つこんな変革が有る。
色んなページで色んな解説がされている。
これも一つ探ってみるのも一考では無いかな。

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