私達はみんな
戴きなおしている
生命なんだよ
生命とは何か。真理とは何か。生命も真理も
むずかしい哲学などではありません。
あたたかく、永遠に尽きることのない愛
なのです。
私達は、この愛の光を受けて生きているのです。
戴きなおしている
生命なんだよ
生命とは何か。真理とは何か。生命も真理も
むずかしい哲学などではありません。
あたたかく、永遠に尽きることのない愛
なのです。
私達は、この愛の光を受けて生きているのです。
私共の祈りの中にある最後に、守護霊さん守護神さんという
呼びかけがありますが、その守護霊さんというのはどういうものか。
よく個人相談の時にでも、あるいは講話が終わった後にでも、
「先生、私の後に誰がついているんでしょう?」と、こういうものは、
皆聞きたいものなんですね、それで、「あなた、おじさんがついて
いますよ」とか、「おじいさんがついていますよ」とか。まあ見える
限り、知らせていい限り、私は知らせて安心してもらうということを
言ってるわけですが。
守護霊さんというのは、これは先祖さんのたとえば悟った霊が
つくとか何とか今までずっと説明をして来ましたけれども、もっと
言うと、そのつながりというものを、人間のつながりというものは、
例えば、この世の中の肉体の生命の何十年というそんなつながりの
浅さではなくて、守護霊さんと我々のつながりというのは、実は
この世の中に出てくる以前からずっとある訳ですね、霊界の段階
からある。
だから、生まれる前から知っている。生まれる前からというと、
こういう世界に馴染みのない人は、じゃあ記憶のない前からかと
いうことになりますけれども。
記憶というのは、これはずっと前生、前々生とさかのぼって
行って、つまり、我々が肉体人間になって修行をずっと重ねて
行って、あらゆる天命そのもの光そのものの光明体になるまでの
その修行、その途中途中で、例えばこの世の中に五十回生まれて
くる人、百回生まれてくる人、いろいろある訳ですが、その中での
記憶を全部いちいち持ってたら、人間というものは苦しくってですね、
この世の中に生きていられないから、それを消してゆく訳ですね。
だけども、その中で、それぞれのかかわりの中で、この人が
ついた方がいいなあ、この人をこの一生を貫かせる為には、
こういう人が守護霊さんとしてついた方がいいなというのを、
霊界の方で決めて、そして、それが例えば、教師であるなら、
子供たちと一緒に遊べるような無邪気な、そうして霊性も高い、
そういう人の守護霊さんというものを、そうして、関わりの
ある人を連れてきてそこに付かせる訳ですね。
だから、よく私が申しますが、天才の仕事というものは、
あるいは天才でなくても秀才でも鈍才でも構いませんけれども、
我々の仕事というものは、守護霊さんに助けられてやっているんだと。
例えば、音楽家の仕事であっても、その音楽家ならずっと霊視して
ゆけば、バッハがついているとかベートーヴェンがついているとか
シューベルトがついてるとかね。あるいは滝廉太郎がついている
とかね。
そういう何か、その道ですごい仕事をした人の守護霊さんが
ついているという場合もありますし。
その守護霊さんというのは何かというと、愛念なんですね。
あなたならあなたの一生、その人ならその人の一生というものを
よく知り抜いていて、そしてしかも、愛し抜いていて、そうして
守り抜くと。
それは、この世の中へあなた方が出てくる前から、そして、
今度死んで肉体がなくなって向こうの世界へ移って、向こうの
霊界修行でも、その守護霊さんというのはずっとあなた達を守って
ついてゆく。守護霊さんというのは休息がないわけです。
肉体人間というものは、ずっと眠らずに何日か起きてらっしゃい
と言えば、一週間もすれば、人間は死んじゃいますね。何故かと
いうと、霊要素というものを眠ってる間にこっちで(こっちで
と言うのは霊界でですよ)、霊界で補給しないことには、
人間というのは生きてゆけないから、そこで眠らせて生命を
つないでゆく訳ですけれども、守護霊さんというのは、そういう
休息がないから、その人の一挙手一投足どころか、一秒一秒
一瞬一瞬のその人の想いに付き合って、その想いの中に、
すこしでもきついものね、つまり、やりきれないもの悲しいもの─
色んな想いが出てきた時に、それをどんな風にして消すか、
軽くするか。つまり、この世の中をただ単に肉体だけではなくて、
霊の生命もですよ、全部含めて、どうやったら生きやすくするか
という事を四六時中考えてる。
それはやっぱり、守護霊さんというものが神様の愛というものを
知ってて、そうしてその愛念をよく知り抜いて、あるいは体で
うつした人だから、それが出来るんですね。これはやっぱり、
そういうことがわからない人が守護霊さんにつくということは
ないんです。
そうでなかったら、守護霊さんの方が潰れちゃいます。人間
というのは、業の世界の中でこうやって息して生きてる訳ですから、
この業の世界というのは、この個人の業だけじゃなくて、地球全体の
業の現われの中の一つを人間が受け持っちゃってる様なことになって
ますから、その業を、魂の訓練というか、そういう神様の本然の愛
というものを知らないものが、もし守護霊さんとしてついたら、
そっちの方が、守護霊さんの方が潰れ死んじゃいます。そうじゃ
なくって、その業にも負けない、あるいはその業を光に変えてゆく、
光明化してゆく。それだけの力と覚悟と色んなものが備わってる人が
守護霊さんになる訳です。
でも、守護霊さんになるといっても、守護霊さんというのは、
おおむね肉体人間の経験のある人がなることが多いですから。
そうしますと、むこうへ行って、霊界に行って、霊界には様々な
修行場があります。その修行場で又修行して、そうして自分を
透き通らせて、想いを愛深くして、それだけじゃなくって、誰々の
守護霊につくという場合は、その人の色々な想いを受けとっても、
その人と一緒になって悲しむ、その人と一緒になって悩む、それだけの
大きさというか深さというか、そういうものがなければやはり
守護霊さんというものは務(つと)まらない。
なぜかというと、人間というものの癖を本当に知り抜いていないと、
あるいはその人というものを知り抜いていないと、守護霊さん
というものは、とても導けるものじゃない。
あるいは、神様の愛というものを、エネルギーというものを、
光というものを、この地上に送るというそんな大役は出来る
もんじゃない訳なんですね。だから、それ程守護霊さんというものは、
つまり魂の大きな人。単に幽体が大きいという訳じゃなくて、
愛の大きな人。その愛というものは、神様から流れてくる愛。それを
受けとる力の大きい人。そして、その愛を受けとって、その愛を
注ぐことが深い人。
人って言ってますのはね、人って言わないことには、これは
皆さんに伝わりにくいから人って言うわけでして。大きく言いますと、
流れですね。ひびきですね。
我々の生命というものは、何によって生かされてゆくかと言うと、
それは神様の愛によって生かされてゆく訳ですけれども、それを
手助けしてるのが守護霊さんで、守護霊さんというのは、
守護神さんと一緒になって、その神様の愛の根元、愛の根元なんて
いうと又わかりにくいかもわからないけれども、その愛の元である
ひびきに我々をのせてく訳です。あるいは、愛という流れの中に
のせてって下さる訳ですね。
で、私共の会では、そのひびきとか、神様のひびきとか、神様の
流れ、愛の流れというものに、のりやすいっていいますかしらね、
一体化する為に何が一番いいか。ずっと私が修行させられて、そこで
受けとらせていただいたのが、世界人類が平和でありますように、
日本が平和でありますようにという、あの祈りなんですね。そして
最後に、“守護霊さん守護神さんありがとうございます“と
言った時に、守護霊さん守護神さんというのは、ひょっとこう、
私達の本心をあるいは霊体をですね、さあっとそのひびきの中へ
つれてって下さる。のせて下さる。
そうして、その祈り言を肉体の私が、肉体の我が唱えると同時に、
天界の神界の私も同時に唱えると、神我一体になってると、
その時には、もう肉体の自分だけじゃなくって、天地貫いて私と
いうものがあって、その私というものは、愛のひびきの中で神様と
一つになってるんだということなんです。そして、そのひびきを
手伝うというか、そのひびきの流れにのせて、その光明をパアーと
振りまく、一番親しく、最後の最後までお手伝いするのが
守護霊さんですね。
だから、守護霊の愛というものは、これはなまなかの愛じゃない。
これはもう本当に生命がけの、生命がけのと言ったって守護霊は
死にませんけれどね。死なないけれども、その位の覚悟の愛
なんですね。しかも、肉体を経て来ているから、人間がどれ程
悩んで祈って、もうその想いがかなえられない、願いがかなえ
られない、自分はどうやって生きてったらいいのか、家族を
どうやってみてったらいいのか・・・とかね。
あるいは、商売がうまくいかないとかね。そういう現実のこと
だけじゃなしに、精神的な面でも、自分はどうしたらいいのか
とかね。色々つき当たって悩んで、ぶち当たって、もう
どうしようかという行き詰まりのどん詰まりのどん底の想いを
知ってる訳ですよね。知っているから、よけいにその光を
どうやったらこの人に出しやすいか。ひびかせやすいか。
その人のことを知り抜いているからこそ、守護霊というものは
守ることができる。
そういう守り手に我々は守られている。そうして、光の
エレベーターにのって祈ってる。その幸せを得ている訳ですね。
守護霊さんのことを言ってこのまま終ってしまうと、じゃあ
守護神さんはどうなんだということに想いがいきますでしょ。
ですから、守護神さんのことも少し言いますと、守護神さん
というのはですね。守護霊さんというのは人間の経験があるから、
人間の、我々肉体人間の色んな想いを手にとるようにというか、
それこそわかる訳ね。一心同体になってるからね。その一心同体に
なりすぎて、疲れて、そうして、疲れた守護霊さんのそのまた
悩み苦しみね、それを又とってくれるというか、さらに高次元の
愛と光を注ぐというかしらね。そういうものですよね。
そうして、守護霊さんを元気にさせて、又、人間の為に
一人一人の為に働かせる。
守護霊も守護神もいよいよ困った時にはどうするかというと、
私のところに来て、私が柏手とか何とかでもって、ここで浄めて、
ついでに、ついでにっちゃあ悪いけども、肉体の人間の方まで、
皆さんの方まで柏手で浄めてる。そういう今、日常なんですね。
神界という所は、想いが浄まってるとか何とか皆イメージで
言うけれども、やっぱり色々な高い魂の人達がより集まって
何を相談しているかといったら、人間の進化なんですね。
人間の魂がどれ程今高まってるか。どんな所で今止まっ
ちゃってるか。悩んでるか。それを見ているんです。人類世界
というものを見ているんですね。だから、どうすればいいか。
それをどんどん下に降ろしてゆく。下に降ろしてゆくというのは、
肉体人間の想いの中に降ろしてゆく、その降ろしていって降ろして
いって降ろしていった先っていうのは、肉体人間の子供から大人、
老人に至るまで皆が唱えられる祈りといったら、世界平和の祈り
だから、これを昇ってゆく時に何の苦もなくといったら
あれだけれども、多少の日常の苦しみはあっても、魂そのものは
非常に昇ってゆける。高いところまでくることができる。
スイッチを切りかえて、霊体そのものが、細胞一つ一つまで
喜びが満ちあふれることができる。そういう祈りでもって
救済してゆく以外にない。そういう時代に今立ち至っている訳です。
だから神界というのはね、非常に全部が調和している世界である
と同時に、まだ調和していない世界のことを見て、検討してですね、
そうして、そこに誰をもってったらいいか。平和が完全に完成
する為には何が足りないか、誰が行けばいいか、誰をどうすれば
いいかということを常に考えている。そういう世界な訳です。
そこで、守護霊さんも守護神さんも、神界の高次元な
そういうものを想いをうけてですね、そうして、愛情というものね、
愛というものと平和というものが完成に向かってゆく為に、
一歩でも二歩でもゆく為に、皆休みなく働いている訳ですね。
だけども、そういうことを抜きにしてもというか、
そういうことは忘れてもらってもいいけれども、取り敢えず
とも角も、守護霊さんというものは、本当に人間よりも
人間らしくといったらあれだけれども、皆の生命が生き生きする為に
どうすればいいかという事を休まずに働いている。いよいよ駄目に
なったら、私の所にやってくるけれども。
しかし、人間を愛する、心配する、その為に悩む。その想い
というものは本当に深い。その祈りも深い。そういうことを心に
留めて、守護霊さん守護神さんありがとうございます。という
あの言葉を出して下さると、倍にも二倍にも光が注がれてゆく訳です。
その時に、自分の中の本体が輝いてくるわけです。
五井昌久
呼びかけがありますが、その守護霊さんというのはどういうものか。
よく個人相談の時にでも、あるいは講話が終わった後にでも、
「先生、私の後に誰がついているんでしょう?」と、こういうものは、
皆聞きたいものなんですね、それで、「あなた、おじさんがついて
いますよ」とか、「おじいさんがついていますよ」とか。まあ見える
限り、知らせていい限り、私は知らせて安心してもらうということを
言ってるわけですが。
守護霊さんというのは、これは先祖さんのたとえば悟った霊が
つくとか何とか今までずっと説明をして来ましたけれども、もっと
言うと、そのつながりというものを、人間のつながりというものは、
例えば、この世の中の肉体の生命の何十年というそんなつながりの
浅さではなくて、守護霊さんと我々のつながりというのは、実は
この世の中に出てくる以前からずっとある訳ですね、霊界の段階
からある。
だから、生まれる前から知っている。生まれる前からというと、
こういう世界に馴染みのない人は、じゃあ記憶のない前からかと
いうことになりますけれども。
記憶というのは、これはずっと前生、前々生とさかのぼって
行って、つまり、我々が肉体人間になって修行をずっと重ねて
行って、あらゆる天命そのもの光そのものの光明体になるまでの
その修行、その途中途中で、例えばこの世の中に五十回生まれて
くる人、百回生まれてくる人、いろいろある訳ですが、その中での
記憶を全部いちいち持ってたら、人間というものは苦しくってですね、
この世の中に生きていられないから、それを消してゆく訳ですね。
だけども、その中で、それぞれのかかわりの中で、この人が
ついた方がいいなあ、この人をこの一生を貫かせる為には、
こういう人が守護霊さんとしてついた方がいいなというのを、
霊界の方で決めて、そして、それが例えば、教師であるなら、
子供たちと一緒に遊べるような無邪気な、そうして霊性も高い、
そういう人の守護霊さんというものを、そうして、関わりの
ある人を連れてきてそこに付かせる訳ですね。
だから、よく私が申しますが、天才の仕事というものは、
あるいは天才でなくても秀才でも鈍才でも構いませんけれども、
我々の仕事というものは、守護霊さんに助けられてやっているんだと。
例えば、音楽家の仕事であっても、その音楽家ならずっと霊視して
ゆけば、バッハがついているとかベートーヴェンがついているとか
シューベルトがついてるとかね。あるいは滝廉太郎がついている
とかね。
そういう何か、その道ですごい仕事をした人の守護霊さんが
ついているという場合もありますし。
その守護霊さんというのは何かというと、愛念なんですね。
あなたならあなたの一生、その人ならその人の一生というものを
よく知り抜いていて、そしてしかも、愛し抜いていて、そうして
守り抜くと。
それは、この世の中へあなた方が出てくる前から、そして、
今度死んで肉体がなくなって向こうの世界へ移って、向こうの
霊界修行でも、その守護霊さんというのはずっとあなた達を守って
ついてゆく。守護霊さんというのは休息がないわけです。
肉体人間というものは、ずっと眠らずに何日か起きてらっしゃい
と言えば、一週間もすれば、人間は死んじゃいますね。何故かと
いうと、霊要素というものを眠ってる間にこっちで(こっちで
と言うのは霊界でですよ)、霊界で補給しないことには、
人間というのは生きてゆけないから、そこで眠らせて生命を
つないでゆく訳ですけれども、守護霊さんというのは、そういう
休息がないから、その人の一挙手一投足どころか、一秒一秒
一瞬一瞬のその人の想いに付き合って、その想いの中に、
すこしでもきついものね、つまり、やりきれないもの悲しいもの─
色んな想いが出てきた時に、それをどんな風にして消すか、
軽くするか。つまり、この世の中をただ単に肉体だけではなくて、
霊の生命もですよ、全部含めて、どうやったら生きやすくするか
という事を四六時中考えてる。
それはやっぱり、守護霊さんというものが神様の愛というものを
知ってて、そうしてその愛念をよく知り抜いて、あるいは体で
うつした人だから、それが出来るんですね。これはやっぱり、
そういうことがわからない人が守護霊さんにつくということは
ないんです。
そうでなかったら、守護霊さんの方が潰れちゃいます。人間
というのは、業の世界の中でこうやって息して生きてる訳ですから、
この業の世界というのは、この個人の業だけじゃなくて、地球全体の
業の現われの中の一つを人間が受け持っちゃってる様なことになって
ますから、その業を、魂の訓練というか、そういう神様の本然の愛
というものを知らないものが、もし守護霊さんとしてついたら、
そっちの方が、守護霊さんの方が潰れ死んじゃいます。そうじゃ
なくって、その業にも負けない、あるいはその業を光に変えてゆく、
光明化してゆく。それだけの力と覚悟と色んなものが備わってる人が
守護霊さんになる訳です。
でも、守護霊さんになるといっても、守護霊さんというのは、
おおむね肉体人間の経験のある人がなることが多いですから。
そうしますと、むこうへ行って、霊界に行って、霊界には様々な
修行場があります。その修行場で又修行して、そうして自分を
透き通らせて、想いを愛深くして、それだけじゃなくって、誰々の
守護霊につくという場合は、その人の色々な想いを受けとっても、
その人と一緒になって悲しむ、その人と一緒になって悩む、それだけの
大きさというか深さというか、そういうものがなければやはり
守護霊さんというものは務(つと)まらない。
なぜかというと、人間というものの癖を本当に知り抜いていないと、
あるいはその人というものを知り抜いていないと、守護霊さん
というものは、とても導けるものじゃない。
あるいは、神様の愛というものを、エネルギーというものを、
光というものを、この地上に送るというそんな大役は出来る
もんじゃない訳なんですね。だから、それ程守護霊さんというものは、
つまり魂の大きな人。単に幽体が大きいという訳じゃなくて、
愛の大きな人。その愛というものは、神様から流れてくる愛。それを
受けとる力の大きい人。そして、その愛を受けとって、その愛を
注ぐことが深い人。
人って言ってますのはね、人って言わないことには、これは
皆さんに伝わりにくいから人って言うわけでして。大きく言いますと、
流れですね。ひびきですね。
我々の生命というものは、何によって生かされてゆくかと言うと、
それは神様の愛によって生かされてゆく訳ですけれども、それを
手助けしてるのが守護霊さんで、守護霊さんというのは、
守護神さんと一緒になって、その神様の愛の根元、愛の根元なんて
いうと又わかりにくいかもわからないけれども、その愛の元である
ひびきに我々をのせてく訳です。あるいは、愛という流れの中に
のせてって下さる訳ですね。
で、私共の会では、そのひびきとか、神様のひびきとか、神様の
流れ、愛の流れというものに、のりやすいっていいますかしらね、
一体化する為に何が一番いいか。ずっと私が修行させられて、そこで
受けとらせていただいたのが、世界人類が平和でありますように、
日本が平和でありますようにという、あの祈りなんですね。そして
最後に、“守護霊さん守護神さんありがとうございます“と
言った時に、守護霊さん守護神さんというのは、ひょっとこう、
私達の本心をあるいは霊体をですね、さあっとそのひびきの中へ
つれてって下さる。のせて下さる。
そうして、その祈り言を肉体の私が、肉体の我が唱えると同時に、
天界の神界の私も同時に唱えると、神我一体になってると、
その時には、もう肉体の自分だけじゃなくって、天地貫いて私と
いうものがあって、その私というものは、愛のひびきの中で神様と
一つになってるんだということなんです。そして、そのひびきを
手伝うというか、そのひびきの流れにのせて、その光明をパアーと
振りまく、一番親しく、最後の最後までお手伝いするのが
守護霊さんですね。
だから、守護霊の愛というものは、これはなまなかの愛じゃない。
これはもう本当に生命がけの、生命がけのと言ったって守護霊は
死にませんけれどね。死なないけれども、その位の覚悟の愛
なんですね。しかも、肉体を経て来ているから、人間がどれ程
悩んで祈って、もうその想いがかなえられない、願いがかなえ
られない、自分はどうやって生きてったらいいのか、家族を
どうやってみてったらいいのか・・・とかね。
あるいは、商売がうまくいかないとかね。そういう現実のこと
だけじゃなしに、精神的な面でも、自分はどうしたらいいのか
とかね。色々つき当たって悩んで、ぶち当たって、もう
どうしようかという行き詰まりのどん詰まりのどん底の想いを
知ってる訳ですよね。知っているから、よけいにその光を
どうやったらこの人に出しやすいか。ひびかせやすいか。
その人のことを知り抜いているからこそ、守護霊というものは
守ることができる。
そういう守り手に我々は守られている。そうして、光の
エレベーターにのって祈ってる。その幸せを得ている訳ですね。
守護霊さんのことを言ってこのまま終ってしまうと、じゃあ
守護神さんはどうなんだということに想いがいきますでしょ。
ですから、守護神さんのことも少し言いますと、守護神さん
というのはですね。守護霊さんというのは人間の経験があるから、
人間の、我々肉体人間の色んな想いを手にとるようにというか、
それこそわかる訳ね。一心同体になってるからね。その一心同体に
なりすぎて、疲れて、そうして、疲れた守護霊さんのそのまた
悩み苦しみね、それを又とってくれるというか、さらに高次元の
愛と光を注ぐというかしらね。そういうものですよね。
そうして、守護霊さんを元気にさせて、又、人間の為に
一人一人の為に働かせる。
守護霊も守護神もいよいよ困った時にはどうするかというと、
私のところに来て、私が柏手とか何とかでもって、ここで浄めて、
ついでに、ついでにっちゃあ悪いけども、肉体の人間の方まで、
皆さんの方まで柏手で浄めてる。そういう今、日常なんですね。
神界という所は、想いが浄まってるとか何とか皆イメージで
言うけれども、やっぱり色々な高い魂の人達がより集まって
何を相談しているかといったら、人間の進化なんですね。
人間の魂がどれ程今高まってるか。どんな所で今止まっ
ちゃってるか。悩んでるか。それを見ているんです。人類世界
というものを見ているんですね。だから、どうすればいいか。
それをどんどん下に降ろしてゆく。下に降ろしてゆくというのは、
肉体人間の想いの中に降ろしてゆく、その降ろしていって降ろして
いって降ろしていった先っていうのは、肉体人間の子供から大人、
老人に至るまで皆が唱えられる祈りといったら、世界平和の祈り
だから、これを昇ってゆく時に何の苦もなくといったら
あれだけれども、多少の日常の苦しみはあっても、魂そのものは
非常に昇ってゆける。高いところまでくることができる。
スイッチを切りかえて、霊体そのものが、細胞一つ一つまで
喜びが満ちあふれることができる。そういう祈りでもって
救済してゆく以外にない。そういう時代に今立ち至っている訳です。
だから神界というのはね、非常に全部が調和している世界である
と同時に、まだ調和していない世界のことを見て、検討してですね、
そうして、そこに誰をもってったらいいか。平和が完全に完成
する為には何が足りないか、誰が行けばいいか、誰をどうすれば
いいかということを常に考えている。そういう世界な訳です。
そこで、守護霊さんも守護神さんも、神界の高次元な
そういうものを想いをうけてですね、そうして、愛情というものね、
愛というものと平和というものが完成に向かってゆく為に、
一歩でも二歩でもゆく為に、皆休みなく働いている訳ですね。
だけども、そういうことを抜きにしてもというか、
そういうことは忘れてもらってもいいけれども、取り敢えず
とも角も、守護霊さんというものは、本当に人間よりも
人間らしくといったらあれだけれども、皆の生命が生き生きする為に
どうすればいいかという事を休まずに働いている。いよいよ駄目に
なったら、私の所にやってくるけれども。
しかし、人間を愛する、心配する、その為に悩む。その想い
というものは本当に深い。その祈りも深い。そういうことを心に
留めて、守護霊さん守護神さんありがとうございます。という
あの言葉を出して下さると、倍にも二倍にも光が注がれてゆく訳です。
その時に、自分の中の本体が輝いてくるわけです。
五井昌久
すなおになるということは
何もかもを
神様に任せる
ということです
一度かえしていくんです
そして
あらためて
神様
お願い致します
すなおな私であらしめ給え
愛深い私であらしめ給え
祈ってゆく
世界平和の祈りのなかで祈ってゆく
愛とすなおというのが
一番ですからね
これ以上のものはないんです
そして
愛もすなおも
神様からきていることを
信じることですね
人間は凡夫なんだから
何もできない
いのちも何も
すべて神様からのかりものなんだ
とおもうこと
これは肉体人間としてのおもいを
すっかり神様の方にかえしていくことですよね
そしてあらためて
本心の自分
真実の自分
朗らかな何のとらわれもない自分を
たずねて
そしてそれを
肉体を持ったまま
この日常のまま
生活のなかで光らせていくわけです
そのために私がきたんだし
世界平和の祈りが
あるんです
自分の本心を
祈りながらたずねていくというのは
人間の本来のすがた
本当の人間のすがたをたずね、きわめて
いくことになるんです
本心の光と守護霊守護神があって
私たちは
生きていられるんですからね
本心の光というのは
つねに
神のみこころをうつしています
そのみこころの深さというのは
大変なものなんです
世界人類すべてに平和を
そして
この人類一人一人
今度は平和の旗手として
光をかかげて
宇宙人類とともに
手をたずさえて生きてゆく
本当に
無限といっていい
神の愛と平和の気をみたしているのが
本心なのです
世界平和の祈りを祈ってゆくと
しらずしらず
この本心に統一するんですよ
深い自分が
自由になった自分が
おりていくんです
本心に
守護霊守護神の
たすけを借りながらね
それで
祈ってゆくと
自然に
おだやかになる
平和になるんですね
で、そういうしずかな自分になってる
ときに
祈ってるとか
祈ってないとか
思わない時に
本当に人間というものは
かがやいてるんです
白光体になっているわけです
そういう
魂の覚醒
霊性本心の開発というものを
地道に
統一しながらやってゆくとき
かならず
世界は平和になっていくし
みなさんも平和になっていくんです
世界平和の祈りを一回でも
二回でも出して下さい
そうやっている内にみなさんのなかの
本当の人間があらわれて光になって
いくんです
何もかもを
神様に任せる
ということです
一度かえしていくんです
そして
あらためて
神様
お願い致します
すなおな私であらしめ給え
愛深い私であらしめ給え
祈ってゆく
世界平和の祈りのなかで祈ってゆく
愛とすなおというのが
一番ですからね
これ以上のものはないんです
そして
愛もすなおも
神様からきていることを
信じることですね
人間は凡夫なんだから
何もできない
いのちも何も
すべて神様からのかりものなんだ
とおもうこと
これは肉体人間としてのおもいを
すっかり神様の方にかえしていくことですよね
そしてあらためて
本心の自分
真実の自分
朗らかな何のとらわれもない自分を
たずねて
そしてそれを
肉体を持ったまま
この日常のまま
生活のなかで光らせていくわけです
そのために私がきたんだし
世界平和の祈りが
あるんです
自分の本心を
祈りながらたずねていくというのは
人間の本来のすがた
本当の人間のすがたをたずね、きわめて
いくことになるんです
本心の光と守護霊守護神があって
私たちは
生きていられるんですからね
本心の光というのは
つねに
神のみこころをうつしています
そのみこころの深さというのは
大変なものなんです
世界人類すべてに平和を
そして
この人類一人一人
今度は平和の旗手として
光をかかげて
宇宙人類とともに
手をたずさえて生きてゆく
本当に
無限といっていい
神の愛と平和の気をみたしているのが
本心なのです
世界平和の祈りを祈ってゆくと
しらずしらず
この本心に統一するんですよ
深い自分が
自由になった自分が
おりていくんです
本心に
守護霊守護神の
たすけを借りながらね
それで
祈ってゆくと
自然に
おだやかになる
平和になるんですね
で、そういうしずかな自分になってる
ときに
祈ってるとか
祈ってないとか
思わない時に
本当に人間というものは
かがやいてるんです
白光体になっているわけです
そういう
魂の覚醒
霊性本心の開発というものを
地道に
統一しながらやってゆくとき
かならず
世界は平和になっていくし
みなさんも平和になっていくんです
世界平和の祈りを一回でも
二回でも出して下さい
そうやっている内にみなさんのなかの
本当の人間があらわれて光になって
いくんです