わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

生命の流れについて

2011-02-14 10:03:48 | 癒し
 今日は生命(いのち)の流れということについてお話ししたい
と思います。
 よく私達は、何か悩んだりすると、一体自分は何だろう、
どっから来て、どこへ行くんだろうと考える時があるんです。
 よくいうじゃあありませんか、行方定めぬ旅がらすって。

 つまり、自分という者は何者なんだろうということです。それは、
自分が誰と誰を両親に持って、どこの家に生まれてきたか
ということはわかっている。けれど、私達が考え込む時は、もっと
根本的なことでしょ。自分という、この一つの存在の確かな
在り場所、行き場所を求めているわけです。

 で、そういうことを考えている時の人間というのは、実は、
「肉の私」を離れているんです。我知らず魂の私、霊の私に
呼びかけている。
 はなれるったって、完全に、たましいの中、霊の中に
入り込んでるんじゃありません。丁度、そういう自分にあこがれて、
呼びかけてる状態なのね。
 でも、人間がそういう問いかけをするというのは、ただ落ち込んだ
ばかりではなくて、実は、そういう生命(いのち)の流れの在り所、
行き所をつねに確認し、明るい方へ明るい方へとすすんでゆくのが、
元々の性質だからです。

 そこで、この生命の流れというのは、単にこの世での70年80年
というみじかい時間の過ぎゆきばかりを指すのではありません。
 本当をいってしまえば、私のなかに流れている生命も、ず─っと、
生き通しの生命なんだから。
 そういうことをいうと、先生、人間は死ぬじゃありませんかと、
きっときいてくる人がある。
 勿論死にますよ、みんな死ぬ、けれども、それは、私にいわせれば、
肉体を離れるだけなんだ。肉体世活をおえるだけなんです。

 生命というのは、そんな何十年のちゃちなものじゃなくて、宇宙が
創造された時から、ず─っと流れつづけている、生きつづけている
ものなんです。
 生命には死というものがない、キリスト教で永遠の生命(いのち)
というけれど、本当にそうなんです。
 宇宙のはじめからあるこの生命は、神様、宇宙神からわかれてきて、
段々段々分かれて私達人間一人一人に分かれてきた。だから私は、
人間というものは、神の分御霊(わけみたま)、分生命(わけいのち)
だというんです。

 さあそこで、はい、じゃあ、そうして、神様から私達に
分かれてきた生命があるんだったら、あなたは、その生命を見たことが
ありますかときかれたら、さあ、どうします? 
 みんな、困ってるけど、それは、私が、生命というものの本体、
本質を説いて、宇宙のはじめまでさかのぼったものだから、
みなさんの生命に対する考え方が、今、えらく遠大になってるのね、
肉体の想念迄もどるのに、時間がかかっているわけです。
 よくコメディーやなんかで、おやあなた生きてるんですか、
といわれて、みればわかるでしょうといい返してるのがあるけど、
生命があるから、こうして生きていて、自分がいるんだということね。
 けれど、自分がここにいる、きいている、それは生きてるからだ
ということはわかっても、じゃあ、その一人一人の肉体と心に働いて、
私達を突き動かしているいのちをみたことがあるか、と、こうきかれると
みんな考えちゃうのね。

 そこで、いいですか、生命というのは、みなさん一人一人のなかに
在って、宿っていて、みなさんを動かしてるわけです、生かしてるわけ
ですね、ここまでわかりましょう。
 で、その生命の本体というのは、もう素直な素直な神様の光なんです。
 いいですか、生命というのは、本来、けがれもしなけりゃ、傷も
つかない、まっ白な、純白な、かがやきつづけている神様の光なんです。
 それが、みなさんのからだの中、肉体も、幽体も、神体もずっと
つらぬいて、宇宙神のみ心にまでずっとつながってるわけなんです。

 人間は、みんな、そういうすごい生命を一人一人持ってるんです。
 私からみると、そういう何物にも痛まない、傷つかない、神様の生命を
持っているということに気付いた人間は、かがやいています。
 業というものが、人間の出すおもいというものが、辺りを
おおっちゃって、それが自分だと思いまちがいをしている間、私達は
とっても苦しいんだけれど、実は、人間を突き動かしている生命
というものはかがやいていて、まっすぐに、すなおに神様につながってる
ものなんだということなんです、私は、それをいうために、生まれてきた
人間です。

 そして、もっと突きつめていくと、肉体をはなれても、この生命は光を
放し、光を失うことはない。
 なぜなら、肉体は器、入れ物なんです。みなさんは、今、この世での
役目を果たすために、肉体をまとっていますけれど、みなさんを生かして
いる生命の光は、永遠のものなんです。
 いいかえると、生命の流れというものは、尽きることなく、神の世界に
むかって流れている、悠々と流れている。

 このことを知って、どうか、素直に、私は明るい、私の生命はかがやいて
いると思って、祈りの生活をつづけて下さい。
 それでは、ありがとうございました。

     昭和61年7月21日夕方 自宅にて 
                             五井 昌久