みなさんおはようございます。 今日は光について、
よく、光明光明と私が申し上げておりますが、そういうこと
について、ひらたくお話をしてみたいとおもいます。
そこで光というのは、どんな性質を持っているかというと、
一口にいえば、闇を消してしまうという性質を持って
いるのであります。太陽が沈んで、夕ぐれになり、かすかな光も
消えて、夜になりますと、私どもは電気をつけますね、電燈を
つける。何だ五井先生あたり前のこといってなんて
思ってきかないのよ。あたり前の質問を、じゃこちらからしますが、
では、どうして電燈をつけるんでしょう、明るくなるからですね。
みんな、電気をつければ明るいということは知ってる、
けれども、じゃ、その電気、電流がながれてるところ
というのは、みたことない筈です。
みていなくても、スイッチを入れれば、電気がついて、
明るくなるということを、何の不思議もなく、私達は
納得しているのであります。
私の申し上げている光、光明ということも、実はそのとおり
でありまして、人間は本来闇ではなく、光そのものなんだ
ということを、申し上げているわけであります。
神の愛という本当に真実無償の光が、この私達のからだを
生かし、心を生かしているのであります。
生命の源をたどってゆけば、霊妙な神秘、神の世界に
ゆきつく他はないといった科学者がおります。
夜の闇が辺りをおおった時に、電気を用いて明るくする
という科学を、うたがわない私達の心を、もう一つ奥の
深い生命(いのち)というひびきに合わせて、私達に真に
生かしめているものが光であることを、神の愛であることを知り、
祈りを深めてゆくべきであります。
昭和61年7月31日
五井 昌久
よく、光明光明と私が申し上げておりますが、そういうこと
について、ひらたくお話をしてみたいとおもいます。
そこで光というのは、どんな性質を持っているかというと、
一口にいえば、闇を消してしまうという性質を持って
いるのであります。太陽が沈んで、夕ぐれになり、かすかな光も
消えて、夜になりますと、私どもは電気をつけますね、電燈を
つける。何だ五井先生あたり前のこといってなんて
思ってきかないのよ。あたり前の質問を、じゃこちらからしますが、
では、どうして電燈をつけるんでしょう、明るくなるからですね。
みんな、電気をつければ明るいということは知ってる、
けれども、じゃ、その電気、電流がながれてるところ
というのは、みたことない筈です。
みていなくても、スイッチを入れれば、電気がついて、
明るくなるということを、何の不思議もなく、私達は
納得しているのであります。
私の申し上げている光、光明ということも、実はそのとおり
でありまして、人間は本来闇ではなく、光そのものなんだ
ということを、申し上げているわけであります。
神の愛という本当に真実無償の光が、この私達のからだを
生かし、心を生かしているのであります。
生命の源をたどってゆけば、霊妙な神秘、神の世界に
ゆきつく他はないといった科学者がおります。
夜の闇が辺りをおおった時に、電気を用いて明るくする
という科学を、うたがわない私達の心を、もう一つ奥の
深い生命(いのち)というひびきに合わせて、私達に真に
生かしめているものが光であることを、神の愛であることを知り、
祈りを深めてゆくべきであります。
昭和61年7月31日
五井 昌久