わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

短 信(24)

2013-07-21 06:40:39 | 癒し
 信仰生活に入ると、かえって、それ以前よりも、
不幸な出来事やいやなことが連続しはじめた、
目につくようになった、これをどう考えれば
いいかという御質問のようにおもいます。

 信仰というのは、たしかに楽なことでは
ありませんで、つねに裡をつとめてゆく、
そうして、人間は光なのだ、ということを
教えられる、あるいは、神様という方は、
いつも人間を愛していらっしゃるのだ
ということをきかされて、実際、自分でも
そう思うけれども、とにかくそう思えば
思う程苦しい時があるのであります。

 これは、人間の本来性、本心の光が、
消えてゆく姿となってあらわれて参ります時に、
業想念が光をあびようとして、寄ってくる、
その苦しみを、私どもが、身に心に
感じるのであります。

 けれども、とにかく守護霊、守護神、そうして
神様へのお任せのいのちでありますから、
苦しい時に、その苦しさを感じる自分が駄目だ
とか、あるいは、こういう風に悪いことが
つづくようでは、まだ自分は本当の信仰に
入っていないのではないかなどと、一切
おもうことはありません。

 神様というのは、絶対の愛である、無限の
愛であるということを、かたく信じて、
消えてゆく姿で世界平和の祈りを実行して
いただきたいということとともに、神様はただ、
光ばかりをおあたえにならない、その人の魂を
つよめ、また、光をますますかがやかせるために、
時には辛いことを連続させることがある
ということを覚えていただきたいのであります。

 どうぞ、力まず、背のびをせず、やさしく、
明るく、たくましいいのちに、あなたの
いのちを育てていただくようにお祈りなすって
下さい。私も、日々、おぼえて、祈らせて
いただきます。            

 世界人類が平和でありますように
               合 掌 
                昌 久

短 信(23)

2013-07-20 10:00:13 | 癒し
 お手紙拝見致しました。現実というものは
中々大変なことの連続で、そうしたなかで
世界平和の祈りを実行するということは、
さぞお辛いだろうと思います。

 世の中理屈どおりにはゆかないというのが、
大体の人の心を占めているおもい
なのであります。

 これはこのとおりでして、一つの祈りや
宗教でこの世が地上天国になるのであれば、
とっくにこの世は地上天国になっているわけ
であります。

 それが、そうなって参らなかった原因は
何かと申しますと、人間が、我のおもいの
なかで、地上天国をゆめみてきたから
なのであります。

 ひらたく申しますと、人間の慾、自分
というものを捨て切れずに、いつの間にか
自分が自分がになってしまうという現実。
 そうしてそういうものをかかえたままで、
パラダイスを夢みてきたところで、それは、
真実の天国とはならなかったのであります。

 ところで、いつも申しますように、人間
というものは、我にとらわれた存在ではなく、
本来は、とらわれや、こだわりから放たれた
光そのものの存在なのでありますが、
いきなり、神の子、光の子といっても、
この世の中に生きてゆく以上、何かしら
辛いことが起きる、苦しいことが起きて
ゆく現実というものは否定できない
のであります。

 そこで、消えてゆく姿で世界平和の祈り
ということを申し上げているのであります。

 そして、それでもなお、辛い苦しい思いは、
全部私に下さればよろしいのです。遠慮
なさる必要はありません。

 かなしい時にはかなしいし、辛い時には
辛いのです。 

 私は、人間の心の自然な動きまでを、
いけないというつもりは全くありません。
 あなたもそのお一人だろうと思いますが、
宗教をやっていて、良心の鋭い人程、私は
駄目だ、永年やっているのに、まだこんな
ことも出来ないという風に自分を責めて
しまいがちになる。
 そして、私なんかというおもいにつつまれ、
とらわれてしまうのであります。

 私はここではっきり申し上げますが、
神様は、私どもをそれ程出来のわるい
子どもには作っていらっしゃらないのです。
 元々神の光のひとすじなのですから。

 今のあなたの辛い苦しいおもいを、
どうぞそのまま、私に預けて下さい。

 いつも申しますように、世界平和の祈りは、
肉体の私達が祈っているようにみえますが、
実は、霊体神体という奥のからだが祈って
いるのであります。

 ですから、祈りが、唇から突いて出て
こないという時には、これらのあなたの
いのちを生かしている霊体神体が祈り、
守護霊守護神が祈り、また、私がかわって
祈っているのだということを、どうぞ覚えて、
心をのんびりとさせて下さるように
お願いしておきます。

 どうぞ、何も心配なさらず、ありのままの
自分の心を抱き、祈れるようになったら、
世界平和の祈りをなさって下さいますように。
               合 掌
                昌 久

短 信(22)

2013-07-19 08:20:04 | 癒し
 自分の身を捨てる、捨身ということは、
これはたやすくできません。
 ですから、昔から神仏のこころというものに
導かれて発心した人々は、大変な修行を
したのです。

 ところが、現代のこの世の中で、妻や
子がいるのに、家庭があるのに、仕事が
あるのにそれを捨てて神仏の世界に
入ってゆくということは、これは大変です。
 昔よりももっと大変でしょう。
 昔、人々がなぜそれ程の修行をしたか
といえば、神仏の光を素直に受けるため、
無になり、空になるためだったのです。
 実際、人間の実相、真実の姿は、神仏の
光そのものなのでして、我々の裡に
かがやくこの光のいのちを、確かに、我々
自身のものとしてとらえるには、私の
申し上げている消えてゆく姿で世界平和の
祈りを、となえて下さる、これがもっとも
近道なのであります。

 なぜならば、この祈りは、私どもを
すべての業想念から解放し、光にかえて
ゆく祈りだからであります。自分を
解き放つとともに、あなたのまわりを
解き放つ祈りだからであります。
 世界平和の祈りは理論ではありません。
 学問でもありません。それは真実で
あります。すべての宗教は、人間の真実を
追求してゆくべき筈のものでありますが、
特に、私どもは、消えてゆく姿と
世界平和の祈りによって、日々を新生して
参るのであります。
 言葉をかえますなら、人間の真実の
相(すがた)、本来の姿をこの祈りに
よって識ってゆこうとするのであります。

 どうぞ、この祈りを実行なさってみて
下さい。私どものいのちが、まもられている
ことを実感なさると思います。祈りのない
ところに、平安はありません。私どもの
本心の光をこの祈りによってよび覚まして
参ろうではありませんか。
                合 掌
                  昌 久

短 信(21)

2013-07-18 09:43:56 | 癒し
 人間の心というものを失ったら、私達は
神様の愛を説いてゆけなくなるという
ことを、先ず申し上げなければなりません。 

 確かに、私の申しました消えてゆく姿
という教えは、迷いが出れば、ああこれも
消えてゆく姿、怒りが出れば、ああこれも
消えてゆく姿とおもって、そうして
世界平和の祈りに
 世界人類が平和でありますように
 日本が平和でありますように
 私達の天命が完うされますように
 守護霊様ありがとうございます
 守護神様ありがとうございます
 というこの祈りのなかに全部そのまま
放り込みなさいとも申しました。しかし、
ああこれも消えてゆく姿なんだなという
ことはですね、これは、辛いかなしい、
あの野郎、この人さえいなければ私は・・・
なんていう、我々が日常抱くおもいね、
そういうものを、否定するってことでは
ないんですよ。
 よろしゅうございますか、わかります?

 そうじゃないんです。ああ消えてゆく
姿だなっておもうってことはですね、
その湧き上がってきてどうにもならない
思いをそのまま一たん抱いて、無理に
捨てるんじゃなくて一たん抱いて、
それで、そのままだったらつぶれちゃい
ますから、世界平和の祈りという大愛
大調和の祈りのなかに、抱いてるあなた
ごと、すっぽり入る、ということなんです。
 そうしますとね。永年の思いグセで、
辛い憎い、ツラニクイってなおもいはですね、
そうそう我々の努力だけで、消えてゆく
ものじゃないんです。消せない。だから、
一たん、そのままの自分を、神様に返して
しまう。そうして、あらためて、光の
いのちをいただくんです。戴きなおしの
いのちですよね。神様の愛を、光の
シャワーをあびる。そのシャワーを、
もっとも無理なく浴びられるのが、
世界平和の祈りなんです。このなかに
入れちゃうと、何しろ大愛ですから、
全部消えちゃう。いつの間にかスッキリ
するんです。

 けれども、人間が、みんな色々な顔を
持って生まれてきていますように、
その人の個性といいましょうか、
おのおのの心というものね、おもいグセ
じゃないこころですよ、それは神様は
大事になさる、して下さるんです。
 ですから、無理に神様に近づこうと
して、背のびなんかしない方がいいんです。
 ただ、呑気になって、お任せする。
 お任せして、消えてゆく姿で世界平和の
祈りをつづけて下さったら、あなたの
あなたらしいところが、益々素直に出て
参ります。ですから、どうぞそのままで
明るく明るく毎日をお過ごし
下さいますように。
              合 掌
                昌 久

短 信(20)

2013-07-17 07:42:15 | 癒し
 光というものは、あたり一杯に渦まいて
いるのだと御理解下さい。

 どこかに行けば光がある、というのではなく、
どこも光なのだということなのです。今あなたの
住んでおられるお宅も、あなたが歩かれるところ、
すべてに、光はあるのだということであります。

 人間というものは、光のいのちなのです。

 私がいつも申しますように、神からわかれた
分生命(わけいのち)、分霊(わけみたま)、
これが人間の真性、真実のすがたなのです。

 神様の本質というのも変だけれども、神という
ものは、愛とゆるしの光、調和の光をずっと
放射しているそういう方ですから、その光を
受けて生まれてきた人間は、神の子、光の子
というわけなのであります。
 ですから、光というものは、あなた自身の
なかにあって、いつもあなたを導き、肉の身
そのままで、光にみたそう、明るい、素直な
おもいに満たそうと一生懸命なのです。

 生命の源である光が、今、あなた自身の
なかに活きて、働いているのだということを
どうぞかたくお信じになって下さい。

 そうすると、先ず、自分自身が光なのですから、
光は、そこら中にみちているということに
なります。それは、あなたの(人間の)本心の
光が、かがやいて、自然万般に
みちている光(生気)と相抱き、互いに
そのかがやきを増すのであって、決して、
人間が偉いからではありません。

 すべてのものが、みな、素直に大生命に
帰一する時、光となるのであります。光そのもの
となってゆくのであります。

 私も、昌美も、また、この世界に生きる
心ある宗教家は、元々の大生命のかがやきと、
その大生命を源として、人が生まれてきた
事実とを、あるいはまた、人間が本来、すなおな
朗らかな、おおらかないのちそのもので
あることを伝えつづけているのであります。

 光は遠くにあるのではない。光は自分のうちに
あって自分を生かし、光と光を結んで、
この地上を、宇宙を照らしてゆくのであることを、
どうぞお覚え下さい。

 世界人類が平和でありますように
                昌 久