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Neverland

2019-03-08 21:03:10 | MJ

私は久しぶりに、マイケル・ジャクソンのことで悲しい気持ちになっています。

おカネのために、子どもの頃の美しい想い出を汚すなんて、私なら絶対にしない。ものすごくスペシャルな記憶のはずなのに。。

お世話になった憧れの人を貶めて、彼の家族を悲しませ、それでも何とも思わないなんて、信じられない。

マイケルは10年前に亡くなり、自分で汚名を晴らすことはできませんが、彼の美しい人柄やこれまでの経緯を考えると、マイケルの「無実」は明らかです。

嘘つきには、必ず報いが来る。今からでも正直に話し、謝罪すべきです。


今回は、問題のドキュメンタリーで〝証言〟した内の1人、ウェイド・ロブソンの(本物の)証言をご紹介します。(アフロダイテ・ジョーンズの著作『マイケル・ジャクソン裁判』からの抜粋です。法廷内の証言は全て裁判謄本からのものですし、序文をマイケルの弁護士だったトム・メゼロウが書いています)

そして、ロブソンと同じ時期にネバーランドを何度も訪問していた、俳優のマコーレー・カルキンの証言も併せてご紹介します。2人とも、2005年の裁判では、弁護側の証人として出廷・証言しています。

少し長くなりますが、ご了承くださいませ。

 

*ウェイド・ロブソンの証言

直接尋問中、ロブソンはマイケル・ジャクソンとの出会いについて語った。1987年、当時5歳のロブソンはオーストラリアに住んでおり、マイケルが「バッド」ツアー中に主催したダンス・コンテストに応募していた。同コンテストで優勝したロブソンは、優勝特典としてマイケルの楽屋を訪れる機会を得た。ロブソンのダンスに感心したマイケルは、その夜のコンサートで5歳児のロブソンをステージに上げると、一緒にパフォーマンスしてくれたという。
それから2年後、ウェイド・ロブソンと母親は、マイケルを追いかけてカリフォルニアまでやって来た。ウェイドのキャリアをマイケルに後押ししてほしい、と思っていたのだ。ロブソン親子はレコーディング・スタジオでマイケルに会うと、ウェイドのダンスを録画したビデオを見せた。
1989年頃にはマイケルと友達になっていた、とロブソンは証言した。また彼は、7歳の頃、家族全員でネバーランドにマイケルを訪ねたと語った。ネバーランドを初訪問して以来、ロブソンはマイケルと電話で連絡を取り続け、1991年にオーストラリアからロサンゼルスへと移住、姉のシャンテルと母のジョイと一緒に暮らした。
「ネバーランドには、何回ほど泊まりましたか?」メゼロウは尋ねた。
「20数回でしょうか。25回前後だと思います」とロブソンは答えた。
「滞在期間は、まちまちでしたか?」
「そうですね、だいたい週末に泊まっていました。金曜、土曜、日曜という感じです」
「最も長い滞在は、どれぐらいでしたか?」
「1週間から10日ぐらいでしょうか」
「マイケル・ジャクソンを友達だと思っていますか?」
「はい」
「この裁判における彼の容疑を知っていますね?」
「はい」
「今日、ここにいるあなたについても、ジャクソン氏が性的虐待をしたという疑惑があります。それについては、ご存知ですか?」
「はい」
「ロブソンさん、マイケルはあなたに性的虐待をしたことがありますか?」メゼロウは尋ねた。
「まったくありません」とロブソンは答えた。
「ロブソンさん、マイケル・ジャクソンは、あなたと性的接触を持ったことがありますか?」
「まったくありません」
「ロブソンさん、ジャクソン氏から不適切に触られたことがありますか?」
この問いの答えも、ノーだった。
ウェイド・ロブソンは陪審に対し、マイケルの部屋には何度となく泊まったが、マイケルとは映画鑑賞やビデオゲーム、枕投げをして遊んでいた、と語った。また、マイケルとシャワーを浴びていたという嫌疑については、断固否定した。マイケルとジャグジーに入ったことはあるが、2人とも水着をつけていたと話したロブソンは、ジャグジーでもそのほかの場所でも、不適切なことは起こらなかった、と証言した。
反対尋問になると、検察側は案の定、ウェイド・ロブソンが7歳の頃からマイケルと同じ部屋で寝ていたという証言を繰り返し持ち出した。反対尋問でロン・ゾネン検事補は、マイケルがロブソンのキャリアを後押しし、「ブラック・オア・ホワイト」をはじめとするミュージック・ビデオに少年時代のロブソンを起用していたことを指摘しながら、ロブソンがマイケルを庇うのは当然だとほのめかした。
「ネバーランドに長期滞在したことはありますか?」ゾネンは尋ねた。
「覚えている限りでは、ありません」とロブソンは答えた。「さっきも証言したとおり、1週間から10日ぐらい泊まっていました。2週間泊まったこともあったかもしれませんが、それ以上はなかったと思います」
「ネバーランドに滞在中、ジャクソン氏とダンスの練習をしたことはありますか?」
「いいえ。ええと、時々スタジオで、遊びながら踊ったことならありますが」
「ダンスフロアにいる時、ジャクソン氏が振付を教えながら、あなたの股○(分かるでしょ?)を掴んだことがありますか? パフォーマンス中、彼は自分の股○を掴みますが、あのように掴まれたことはありますか?」
「いいえ、そんなことはありません」
「覚えていませんか?」
「覚えていません」
「そんなことは起こりませんでしたか?」
「起こっていません」
ゾネンは誘導尋問を試みたが、ウェイド・ロブソンがその手に乗ることはなかった。反対尋問は険悪なムードとなった。マイケルと不適切な接触はなかったのか? ゾネンは執拗に尋ねたが、ロブソンは断固「ノー」と言い続けた。
傍聴人の目には、ロン・ゾネンが証人を苛めているように映った。また、一部の陪審員も、次第に苛立った表情を見せはじめた。
「だから、何も起こらなかったと言っているじゃないですか」ロブソンは言った。
「ロブソンさん、寝ている間に何が起こったかは、分かりませんよね? 特に7歳ならなおさらです。違いますか?」ゾネンは皮肉めいた問いかけをした。
「そんなことが起これば、目を覚ますと思います」
ロブソンがそう言い放つと、数人の陪審員は肩をすくめ、不思議そうな表情で見つめあった。


上記の証言では、ロブソンは今とは全く逆の証言をしているようです。これは裁判中のことであり、彼は当然、宣誓して証言しているのです。

それに、ロブソンは子どもの頃からマイケルの支援を受けていた(=彼を利用していた)ようですね。なのに今、マイケルに感謝するどころか、彼を貶めているとは。これもまた「恩を仇で返す」行為だよね、ギャビン・アルビーゾと全く同じ。呆れてものも言えない。




*マコーレー・カルキンの証言

マコーレー・カルキンは、10歳から14歳の間に、ネバーランドを10数回訪れたと証言した。弟に姉、妹、そして両親とマイケルに会うことが多かったという。マイケルとの友情は生涯続くと語ったカルキン。ティーンエイジャーの頃、ネバーランドに足を運び続けたカルキンは、最後にマイケルと会ったのは1年前だと話した。
また、カルキンはネバーランド以外の場所でもマイケルと会っていた。彼はマイケルがロサンゼルスに隠れ家として持っていたアパートについて言及すると、時折そのアパートで映画や夕食を楽しみながら、2人で「くつろいでいた」と語った。ここ数年は、マイケルだけでなく、マイケルの子供たちとも一緒にニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドンなどで時間を過ごしていたという。
ネバーランドの元従業員は、マイケル・ジャクソンがカルキンと不適切な接触を持っていた、と申し立てていた。この申し立てについてメゼロウから問われたカルキンは、マイケルから不快な行動や性的な態度を取られたことはない、と疑惑を断固否定した。
「これらの申し立てについて、あなたはどう思いますか?」メゼロウは尋ねた。
「まったく馬鹿げていると思います」カルキンは答えた。
「あなたが不適切に触られている、と検察側が主張していることを知ったのは、いつのことですか?」
「ある人から電話を受け、『CNNをつけてみて。君が話題になっている』と言われたのです」
「テレビは見ましたか?」
「はい、見ました」
「何を知りましたか?」
「元コックや元メイドといった人々が、私について何か言っていることを知りました。とにかく、まったく信じられないことが起こっていました」とカルキンは証言した。「まず、彼らがとやかく言っていることが信じられませんでした。まして、それがニュースになり、人々が私をそういった目で見ていることも信じられませんでした」
カルキンは説明を続けた。「それと同時に驚いたのが、彼らの申し立てが事実なのかどうか、誰も私に尋ねてこなかったことです。彼らは、内容の真偽について確認すら取らず、公に発表していたのです。私が事実を知っていると思うのなら、私に訊けばよかったのに。それが嫌でした」
「この申し立てについて、検察はあなたに連絡し、確認を取ることもなかった、ということですか?」メゼロウは尋ねた。
「その通りです」とカルキンは答えた。
「検察は、あなたがマイケル・ジャクソンから性的虐待を受けたことを証明してみせる、と言っています。ご存知ですか?」
「今、何と仰いましたか?」
マコーレー・カルキンは、自分の耳を疑うような表情を浮かべていた。カルキンは、ネバーランドでマイケルと「健全に楽しんだ」と証言すると、マイケルはカルキン家の全員に対して「門戸開放主義」を取っており、マイケルの寝室を含む敷地内のあらゆる場所・部屋の出入りを許していたと話した。
「ジャクソン氏は、あなたをハグしたことはありますか?」メゼロウは尋ねた。
「もちろん」とカルキンは答えた。
「彼をハグしたことはありますか?」
「もちろんです」
「抱きしめ方が性的だと感じたことはありますか?」
「いいえ、すごくくだけたものでしたから。友達をハグするのとまったく一緒です」
「ジャクソン氏が、お姉さんをハグする姿を見たことがありますか?」
「もちろん」
「その抱きしめ方に不信感を抱いたことはありますか?」
「ありません」
マイケルはカルキン家の全員とハグしていたが、その抱きしめ方に不審な点はなかった、とマコーレー・カルキンは陪審に語った。カルキン家はマイケルに親しみを感じていたため、挨拶の際にはハグをしていたという。マイケルが子供に不適切な行動をとるところを見たことがない、と証言したカルキンは、「ブラック・オア・ホワイト」のミュージック・ビデオ撮影に参加した際、マイケルとウェイド・ロブソンの傍にいたと話した。(中略)
検察側の反対尋問では、マイケルがマコーレー・カルキンとの友情を金で買おうとしていた、という印象を残すような質問が続いた。カルキンは、マイケルからかつてロレックスの時計をもらったことがあると認めたが、その時計はもう使っていないと話した。大人になった自分には小さすぎてはめられない時計だが、思い出に残るプレゼントであるため、貸金庫に保管している、とカルキンは語った。(中略)
マイケルと寝室を同じくすることの是非について、両親と話し合ったことがあるか? この質問に対してカルキンは、「問題ないと考えていた」という両親の見解を述べた。カルキンの両親もマイケルの寝室に出入りしており、時に父親は早朝にマイケルの部屋を訪れ、乗馬をしに行こうとカルキンを起こすこともあったという。
「ネバーランドでジョーディ・チャンドラーと滞在が重なったことはありますか?」ゾネン検事補は尋ねた。
「大勢の人たちに会っていたので、分かりません。スタッフもゲストも入れ替わりが激しく、次々と人が入ってきましたから。これまで会ったことのないゲストがいることもありました」
「あなたの兄弟以外の少年と一緒に、ジャクソン氏の寝室に泊まったことはありますか?」
「ほかの子供たちがいることもありました。さっきも言ったとおり、そのうちの何人かは紹介されました。例えば、マイケルの従兄弟や家族ぐるみの友達です。皆さん、私の家族同様に、子供連れで遊びに来ていました。私たちは一緒に遊び、好きな場所で眠っていました。寝室で寝ることもあれば、映画館など、どこでも好きな場所で寝ていましたね」


以上です。参考までに。。。



マイケル・ジャクソンは、美しいネバーランドに大勢の子どもたちを招待し、キラキラの夢を見せていました。

彼も時々一緒に遊び、楽しんでいたようです。

マイケルは〝頭の中が子ども〟だったわけではなく(それどころか子ども時代に既に老成していたと語っている)、自分が経験できなかった時代を疑似体験したかったのだと思います。

ゴージャスだけど、木のぬくもりを感じるお部屋。 ↓

いつか、彼の子どもたちが帰ることができますように。。



本のラストにあるマイケル・ジャクソンの言葉。

少年たちの
顔に浮かぶ
幸せと喜びを見よ。
これこそが、少年時代の真髄だ。
私が過ごしたことのない時代、
私が一生憧れ続ける時代である。

 



Dancing The Dream
クリエーター情報なし
Doubleday
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