わたしの癒しTime。

日々のことやお気に入りを綴ります。

An Open Letter From the Schleiter Famiry

2019-03-10 14:23:33 | MJ

前回の記事では悲しい気持ちだった私ですが、今は落ち着かない気分になっています。
今、忙しいのだけど、何も手につかない気持ち。。。

嘘のドキュメンタリーで、既に亡くなっている無実の善良な男を一方的に悪者にするなんて。誰が本当に悪いのか、神様はきっと見ています。


今回は、Twitterで見かけた「MJJFANCLUB JAPAN」さまのブログの記事を、転載させていただきます。(許可を得ています)

ドイツのシュライハーさんというご家族のお手紙なのですが、とても素晴らしい内容なのです。

私が以前から、ずーーーーーっと思っていたことが色々書いてあります。様々なことが本当だったのだと分かり、切なくなってしまいます。でも、マイケルの周囲に、このような良い方もいたのだと思うと、心が安らかになります。

では、どうぞ☆


こんにちは。私たちはフランツィスカ、アントン、マーリーズ、ヴォルフガングのシュライハー一家です。私たちは子供のころからマイケル・ジャクソンと親友でした。これからお話することは、大きな愛と感謝の気持ちに基づいています。この一文の引用をご希望であれば、文脈を変えることなく、またこのページへのリンクを張っていただきますよう、お願いします。私たちはメディアのインタビューを受けるつもりはありません。ご理解いただきありがとうございます。これが、私たちが言わなければならないことすべてです:


もうたくさん

1995年、私たちはドイツのテレビ番組でマイケルと最初に出会いました。あの日、私たちが夢にも思わなかったことが起きました。それが、少し変わった友情の始まりでした。普通の友情、そして普通とは違う、魔法のような友情。マイケルの最期の日まで続いた、そして私たちの心の中では永遠に続く友情です。

初めから、私たちが特権的に経験することは守るべき大切なものであることが分かっていました。特に、真実を追求するより売れる話をでっち上げるメディアや、真実を知るよりもショッキングな見出しを読みたがる人々がいる、私たちが住むこの世界においては。長い間に、私たちは数十万ユーロでのインタビューのオファーを受けました。しかし、どれほどの大金を積んでも、私たちのマイケルとの思い出を上回る価値を具体化することはできません。私たちの友情について、今まで決して公には話さなかったのはこのような理由からです。

最近、話をすることに関して私たちの考えを変えることがありました。マイケルを再び幼児虐待者として描こうとするドキュメンタリーというショッキングなニュースです。このように書くだけで、彼の名前とこの言葉を組み合わせるだけで気分が悪くなります。マイケルは私たちに対して一度たりとも不適切な振る舞いをしたことはなく、他のだれかにそのようなことをしているのを見たことも疑ったこともありません。

私たちは、過去の幾度にもわたる一般のマイケルへの扱いについて怒ってきました。でも私たちは沈黙を選びました。真実が行きわたり、そしてマイケルと彼のプライバシーは守られると望みを託して。

それから私たちには怒る正当な理由がありました。例えば、アントンがマイケルとホモセクシャルな付き合いをしているという絵をタブロイドが描いた時です。私たちは直接目撃したのです。メディアがいかに醜悪になりうるか、そしてネタをつかむためというただそれだけのために恐ろしいウソをでっちあげるそのやり方を。電話で質問してきたジャーナリストに対し父が拒否すると、「父親はマイケルを擁護することを拒んだ」といった具合に話が出来上がりました。残念ながらスキャンダルは何より高く売れるのです。

マイケルとの長い付き合いの中で、私たちは二面性のある人々というものを経験しました。一度や二度ではありません。マイケルがいるときは善良でチャーミングさを演じているのですが、彼が他所を向いていると、彼らは粗野になり、善良でもなんでもないということがすぐにわかります。私たちの前では彼らは真の顔を示すことを気にも留めていませんでした。私たちは恥ずかしがりやのドイツ人一家にすぎず、注意を払う価値もなかったのです。しかし私たちは観察し、ゆっくりと、しかし確実に、マイケルが住む難しい世界を見るようになりました。そこは、信じるということがとても難しい世界でした。

それでも彼は誰に対しても親切で、善良さというものを強く信じていました。それをナイーヴと呼ぶ人もいます。私たちにとっては彼の性格の一つであり、それゆえに私たちは彼を尊敬するのです。誰にでもチャンスを与える、何度も何度も騙した人にさえも。これは本当にすごいことです。そして、未だにそれを利用して利益を得る人々が多くいるということが私たちをより一層悲しい気持ちにさせます。

マイケルの近くにいたことで、私たちは、誰もが彼のおこぼれにあずかりたいのだということを実感しました。私たちは不思議に思っていました。彼はなぜ、たくさんの人々の中から私たちを信じるに足る友人のサークルに入れたのだろうと。今では理解しています。おそらく、私たちが彼から何も欲しがらなかったから、一緒にいることをただ楽しんでいたからだと。私たちの教育費を出そうと彼が申し出たとき、両親はそれを断りました。ギフトとしては過分だという理由です。私たちとしてはそれは馬鹿なことでしたが、今振り返ると、マイケルはそういう経験があまりなかったのではないでしょうか。

マイケルの名声とお金のおこぼれにあずかりたいと思う人々は、人としてのマイケルを、そして彼の親切さや人を元気にする心を気にも留めていませんでした。それは真に恥ずべきことであり、私たちはそういう人たちを不愉快に思います。お金に目が眩み、世界が何世紀に一人しか見ないであろうユニークさをもつ人物に会うという栄誉を得ていることが彼らにはわかっていないからです。彼の音楽、彼のメッセージ、彼の創造力と天賦の才能は真に比類なきものです。

私たちのマイケルとの友情は、ぶらついたり、電話でおしゃべりしたり、映画へ行ったりといった友人同士でやることという意味ではごく普通のことでした。そして、人の心をとらえる温かさという意味ではそれは魔法のようなことでした。彼のそばにいると居心地よくそして安心なのです。彼は私たちが知るなかでは最も謙虚な人でした。常に自分よりも他人の幸せを優先していました。彼の純真さや善良さを疑ったことは一瞬たりともありません。だから私たちの両親は私たちだけでマイケルと旅行に行くことを許したのです。

今日はお話していますが、私たちの個人的な話については秘密を守り尊重したいと思います。私たちがお話できるのは、マイケルにサヨナラを言わなければならない時はいつも私たちは泣いていたということです。彼に会えないことが寂しいことがわかっていたからです。私たちが一緒にすごした時間は楽しい時間でした。水風船合戦でノリノリになる一方で、彼は偉大な師であり、人生を教えてくれたり、彼の素晴らしい知識をシェアしてくれたりしました。私たちがライト兄弟の話を聞いたことがないと知ってその話を私たちにしてくれている時の彼の喜んでいる様子をよく覚えています。私たちの勉強用にと本や映画をくれました。彼は私たちに才能を伸ばすようにと盛んに言いました。

私たちの話が、マイケル・ジャクソンについて何を信じるべきか疑っている人々にとっての小さなパズルを一つつなぎ合わせることしかできないということはわかっています。彼が無実であることを疑っている人々に対し、私たちは自分で調べてくださいとしか言えません。そしてもし、マイケルが2005年の裁判であらゆるプライバシーの侵害に耐えなければならなかったという事実、それでもすべての容疑で無罪とされたという事実を知り、こうした事実でもまだ不十分であるというのなら、彼の音楽をただ聴くこと、それだけでよいかもしれません。

これまで多くのファンの皆さんとお会いした中で、私たちはファンの皆さんがどれほど人として「彼を理解」しているか、とても驚かされました。個人的に会ったことがないにもかかわらずです。マイケルとファンは他にはない友情関係にあります。彼はファンを信じたし、そしてファンが彼の良心を信じ続けることに疑いの余地はありません。みんな彼の音楽を聴き、彼の言葉を聞いている、ただそれだけです。彼のこの世での使命は、メロディとリズムという形で幸せをもたらすということだけではなく、世界をよりよいものへと変革するということがみんなわかっているのでしょう。

みなさん、彼は私たちに、ベストを尽くし、お互いに愛と尊敬を示せと促していることでしょう。それでも人々は、彼がもたらしたすべての偉大なことに影を落とす恐れのあるウソの数々を誇張するでしょう。

もうたくさんです。

今日はマイケルのためにお話ししました。彼がそれに値し、そして私たちにとって考え付く限り最高の友達だからです。

Source:schleiter-family.com

*(2019年)6月3日までリンク先を表示していたのですが、先ほどクリックしてみたら、「このページをすぐに閉じて」とか何とか警告文が出たので、削除しました。(「MJJFANCLUB JAPAN」さまの元記事のリンクも同様でした)
一体何なの~~?? 貼りつけた時は、もちろん、シュライハー家の手記のページでした。う~~ん、これはきっと、何者かが嫌がらせしたのだと思います。ダン・リードかな~~??

*2020年11月18日追加

今日チェックしてみたら、リンク先が復活していたので貼り直しました。(追加ココマデ)



今回の件では、昔マイケルの友人の振りをしていた人々の本性も表れています。

オプラ・ウィンフリーやクインシー・ジョーンズは、友人の無実を信じるより、自身の保身に熱心なようです。

マイケル・ジャクソンに対する態度で、その人物が真に立派かどうかが分かる。


今回の騒動が、マイケルと彼の家族と良きファンのために良い方向に収束しますように。

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Neverland

2019-03-08 21:03:10 | MJ

私は久しぶりに、マイケル・ジャクソンのことで悲しい気持ちになっています。

おカネのために、子どもの頃の美しい想い出を汚すなんて、私なら絶対にしない。ものすごくスペシャルな記憶のはずなのに。。

お世話になった憧れの人を貶めて、彼の家族を悲しませ、それでも何とも思わないなんて、信じられない。

マイケルは10年前に亡くなり、自分で汚名を晴らすことはできませんが、彼の美しい人柄やこれまでの経緯を考えると、マイケルの「無実」は明らかです。

嘘つきには、必ず報いが来る。今からでも正直に話し、謝罪すべきです。


今回は、問題のドキュメンタリーで〝証言〟した内の1人、ウェイド・ロブソンの(本物の)証言をご紹介します。(アフロダイテ・ジョーンズの著作『マイケル・ジャクソン裁判』からの抜粋です。法廷内の証言は全て裁判謄本からのものですし、序文をマイケルの弁護士だったトム・メゼロウが書いています)

そして、ロブソンと同じ時期にネバーランドを何度も訪問していた、俳優のマコーレー・カルキンの証言も併せてご紹介します。2人とも、2005年の裁判では、弁護側の証人として出廷・証言しています。

少し長くなりますが、ご了承くださいませ。

 

*ウェイド・ロブソンの証言

直接尋問中、ロブソンはマイケル・ジャクソンとの出会いについて語った。1987年、当時5歳のロブソンはオーストラリアに住んでおり、マイケルが「バッド」ツアー中に主催したダンス・コンテストに応募していた。同コンテストで優勝したロブソンは、優勝特典としてマイケルの楽屋を訪れる機会を得た。ロブソンのダンスに感心したマイケルは、その夜のコンサートで5歳児のロブソンをステージに上げると、一緒にパフォーマンスしてくれたという。
それから2年後、ウェイド・ロブソンと母親は、マイケルを追いかけてカリフォルニアまでやって来た。ウェイドのキャリアをマイケルに後押ししてほしい、と思っていたのだ。ロブソン親子はレコーディング・スタジオでマイケルに会うと、ウェイドのダンスを録画したビデオを見せた。
1989年頃にはマイケルと友達になっていた、とロブソンは証言した。また彼は、7歳の頃、家族全員でネバーランドにマイケルを訪ねたと語った。ネバーランドを初訪問して以来、ロブソンはマイケルと電話で連絡を取り続け、1991年にオーストラリアからロサンゼルスへと移住、姉のシャンテルと母のジョイと一緒に暮らした。
「ネバーランドには、何回ほど泊まりましたか?」メゼロウは尋ねた。
「20数回でしょうか。25回前後だと思います」とロブソンは答えた。
「滞在期間は、まちまちでしたか?」
「そうですね、だいたい週末に泊まっていました。金曜、土曜、日曜という感じです」
「最も長い滞在は、どれぐらいでしたか?」
「1週間から10日ぐらいでしょうか」
「マイケル・ジャクソンを友達だと思っていますか?」
「はい」
「この裁判における彼の容疑を知っていますね?」
「はい」
「今日、ここにいるあなたについても、ジャクソン氏が性的虐待をしたという疑惑があります。それについては、ご存知ですか?」
「はい」
「ロブソンさん、マイケルはあなたに性的虐待をしたことがありますか?」メゼロウは尋ねた。
「まったくありません」とロブソンは答えた。
「ロブソンさん、マイケル・ジャクソンは、あなたと性的接触を持ったことがありますか?」
「まったくありません」
「ロブソンさん、ジャクソン氏から不適切に触られたことがありますか?」
この問いの答えも、ノーだった。
ウェイド・ロブソンは陪審に対し、マイケルの部屋には何度となく泊まったが、マイケルとは映画鑑賞やビデオゲーム、枕投げをして遊んでいた、と語った。また、マイケルとシャワーを浴びていたという嫌疑については、断固否定した。マイケルとジャグジーに入ったことはあるが、2人とも水着をつけていたと話したロブソンは、ジャグジーでもそのほかの場所でも、不適切なことは起こらなかった、と証言した。
反対尋問になると、検察側は案の定、ウェイド・ロブソンが7歳の頃からマイケルと同じ部屋で寝ていたという証言を繰り返し持ち出した。反対尋問でロン・ゾネン検事補は、マイケルがロブソンのキャリアを後押しし、「ブラック・オア・ホワイト」をはじめとするミュージック・ビデオに少年時代のロブソンを起用していたことを指摘しながら、ロブソンがマイケルを庇うのは当然だとほのめかした。
「ネバーランドに長期滞在したことはありますか?」ゾネンは尋ねた。
「覚えている限りでは、ありません」とロブソンは答えた。「さっきも証言したとおり、1週間から10日ぐらい泊まっていました。2週間泊まったこともあったかもしれませんが、それ以上はなかったと思います」
「ネバーランドに滞在中、ジャクソン氏とダンスの練習をしたことはありますか?」
「いいえ。ええと、時々スタジオで、遊びながら踊ったことならありますが」
「ダンスフロアにいる時、ジャクソン氏が振付を教えながら、あなたの股○(分かるでしょ?)を掴んだことがありますか? パフォーマンス中、彼は自分の股○を掴みますが、あのように掴まれたことはありますか?」
「いいえ、そんなことはありません」
「覚えていませんか?」
「覚えていません」
「そんなことは起こりませんでしたか?」
「起こっていません」
ゾネンは誘導尋問を試みたが、ウェイド・ロブソンがその手に乗ることはなかった。反対尋問は険悪なムードとなった。マイケルと不適切な接触はなかったのか? ゾネンは執拗に尋ねたが、ロブソンは断固「ノー」と言い続けた。
傍聴人の目には、ロン・ゾネンが証人を苛めているように映った。また、一部の陪審員も、次第に苛立った表情を見せはじめた。
「だから、何も起こらなかったと言っているじゃないですか」ロブソンは言った。
「ロブソンさん、寝ている間に何が起こったかは、分かりませんよね? 特に7歳ならなおさらです。違いますか?」ゾネンは皮肉めいた問いかけをした。
「そんなことが起これば、目を覚ますと思います」
ロブソンがそう言い放つと、数人の陪審員は肩をすくめ、不思議そうな表情で見つめあった。


上記の証言では、ロブソンは今とは全く逆の証言をしているようです。これは裁判中のことであり、彼は当然、宣誓して証言しているのです。

それに、ロブソンは子どもの頃からマイケルの支援を受けていた(=彼を利用していた)ようですね。なのに今、マイケルに感謝するどころか、彼を貶めているとは。これもまた「恩を仇で返す」行為だよね、ギャビン・アルビーゾと全く同じ。呆れてものも言えない。




*マコーレー・カルキンの証言

マコーレー・カルキンは、10歳から14歳の間に、ネバーランドを10数回訪れたと証言した。弟に姉、妹、そして両親とマイケルに会うことが多かったという。マイケルとの友情は生涯続くと語ったカルキン。ティーンエイジャーの頃、ネバーランドに足を運び続けたカルキンは、最後にマイケルと会ったのは1年前だと話した。
また、カルキンはネバーランド以外の場所でもマイケルと会っていた。彼はマイケルがロサンゼルスに隠れ家として持っていたアパートについて言及すると、時折そのアパートで映画や夕食を楽しみながら、2人で「くつろいでいた」と語った。ここ数年は、マイケルだけでなく、マイケルの子供たちとも一緒にニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドンなどで時間を過ごしていたという。
ネバーランドの元従業員は、マイケル・ジャクソンがカルキンと不適切な接触を持っていた、と申し立てていた。この申し立てについてメゼロウから問われたカルキンは、マイケルから不快な行動や性的な態度を取られたことはない、と疑惑を断固否定した。
「これらの申し立てについて、あなたはどう思いますか?」メゼロウは尋ねた。
「まったく馬鹿げていると思います」カルキンは答えた。
「あなたが不適切に触られている、と検察側が主張していることを知ったのは、いつのことですか?」
「ある人から電話を受け、『CNNをつけてみて。君が話題になっている』と言われたのです」
「テレビは見ましたか?」
「はい、見ました」
「何を知りましたか?」
「元コックや元メイドといった人々が、私について何か言っていることを知りました。とにかく、まったく信じられないことが起こっていました」とカルキンは証言した。「まず、彼らがとやかく言っていることが信じられませんでした。まして、それがニュースになり、人々が私をそういった目で見ていることも信じられませんでした」
カルキンは説明を続けた。「それと同時に驚いたのが、彼らの申し立てが事実なのかどうか、誰も私に尋ねてこなかったことです。彼らは、内容の真偽について確認すら取らず、公に発表していたのです。私が事実を知っていると思うのなら、私に訊けばよかったのに。それが嫌でした」
「この申し立てについて、検察はあなたに連絡し、確認を取ることもなかった、ということですか?」メゼロウは尋ねた。
「その通りです」とカルキンは答えた。
「検察は、あなたがマイケル・ジャクソンから性的虐待を受けたことを証明してみせる、と言っています。ご存知ですか?」
「今、何と仰いましたか?」
マコーレー・カルキンは、自分の耳を疑うような表情を浮かべていた。カルキンは、ネバーランドでマイケルと「健全に楽しんだ」と証言すると、マイケルはカルキン家の全員に対して「門戸開放主義」を取っており、マイケルの寝室を含む敷地内のあらゆる場所・部屋の出入りを許していたと話した。
「ジャクソン氏は、あなたをハグしたことはありますか?」メゼロウは尋ねた。
「もちろん」とカルキンは答えた。
「彼をハグしたことはありますか?」
「もちろんです」
「抱きしめ方が性的だと感じたことはありますか?」
「いいえ、すごくくだけたものでしたから。友達をハグするのとまったく一緒です」
「ジャクソン氏が、お姉さんをハグする姿を見たことがありますか?」
「もちろん」
「その抱きしめ方に不信感を抱いたことはありますか?」
「ありません」
マイケルはカルキン家の全員とハグしていたが、その抱きしめ方に不審な点はなかった、とマコーレー・カルキンは陪審に語った。カルキン家はマイケルに親しみを感じていたため、挨拶の際にはハグをしていたという。マイケルが子供に不適切な行動をとるところを見たことがない、と証言したカルキンは、「ブラック・オア・ホワイト」のミュージック・ビデオ撮影に参加した際、マイケルとウェイド・ロブソンの傍にいたと話した。(中略)
検察側の反対尋問では、マイケルがマコーレー・カルキンとの友情を金で買おうとしていた、という印象を残すような質問が続いた。カルキンは、マイケルからかつてロレックスの時計をもらったことがあると認めたが、その時計はもう使っていないと話した。大人になった自分には小さすぎてはめられない時計だが、思い出に残るプレゼントであるため、貸金庫に保管している、とカルキンは語った。(中略)
マイケルと寝室を同じくすることの是非について、両親と話し合ったことがあるか? この質問に対してカルキンは、「問題ないと考えていた」という両親の見解を述べた。カルキンの両親もマイケルの寝室に出入りしており、時に父親は早朝にマイケルの部屋を訪れ、乗馬をしに行こうとカルキンを起こすこともあったという。
「ネバーランドでジョーディ・チャンドラーと滞在が重なったことはありますか?」ゾネン検事補は尋ねた。
「大勢の人たちに会っていたので、分かりません。スタッフもゲストも入れ替わりが激しく、次々と人が入ってきましたから。これまで会ったことのないゲストがいることもありました」
「あなたの兄弟以外の少年と一緒に、ジャクソン氏の寝室に泊まったことはありますか?」
「ほかの子供たちがいることもありました。さっきも言ったとおり、そのうちの何人かは紹介されました。例えば、マイケルの従兄弟や家族ぐるみの友達です。皆さん、私の家族同様に、子供連れで遊びに来ていました。私たちは一緒に遊び、好きな場所で眠っていました。寝室で寝ることもあれば、映画館など、どこでも好きな場所で寝ていましたね」


以上です。参考までに。。。



マイケル・ジャクソンは、美しいネバーランドに大勢の子どもたちを招待し、キラキラの夢を見せていました。

彼も時々一緒に遊び、楽しんでいたようです。

マイケルは〝頭の中が子ども〟だったわけではなく(それどころか子ども時代に既に老成していたと語っている)、自分が経験できなかった時代を疑似体験したかったのだと思います。

ゴージャスだけど、木のぬくもりを感じるお部屋。 ↓

いつか、彼の子どもたちが帰ることができますように。。



本のラストにあるマイケル・ジャクソンの言葉。

少年たちの
顔に浮かぶ
幸せと喜びを見よ。
これこそが、少年時代の真髄だ。
私が過ごしたことのない時代、
私が一生憧れ続ける時代である。

 



Dancing The Dream
クリエーター情報なし
Doubleday
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