人生は一回キリというのも誤解です。
今は肉体の中に入った状態ですから 想像がつきにくいのですが 人生は自分が納得がいくまで何度でも しかも自分の自由意思で行う一種の成長ゲームのようなものです。
もちろん私たちは死ぬことのない永遠の存在 永遠の生命だからそれが出来るのです。
今は理解しにくいですが 私たちはもともと意識を持ったエネルギーです。 私たちは今は人間の状態ですから 肉体という物質の中に入った状態です。
人間として死んだあとは 本来のエネルギーの状態に形が変わりますが これは自分であるという意識は続きます。そこが大きなポイントです。私たちが死ぬのは 毎回の人生の後で 本来の自分やエネルギーに戻った自分を改めて体験して 思い出し確認するという意味もあるようです。
一回キリだと思うから 挫折感や後悔の念がより大きくなる。
失敗したら取り返しがつかないと思うから 失敗しないようにとのこだわりや恐れが強くなる。
慎重になりすぎて冒険ができない。
他人を救おうという余裕もなくなる。
つい他人の人生と比較してしまい 競争に走ってしまう。
他人も同じ仲間だと思う気持ちが芽生えにくい。
人生は長いようで短いものです。こちらの世界で愛や許しの学びがそう短期間で出来るわけがありません。
まだまだ経験せねばならないことが未来にはいっぱいあるのです。
死んだ人は可哀そうだというのも大きな誤解です。
みじめで暗いところで悲しい気持ちでいるのだと思っている人は多いと思われます。もしそれが本当なら 死んだ人はほんとに可哀そうです。 そしてこちらに残った人は自分だけが生き残って申し訳ないと罪の意識を持つ人が圧倒的に多いのです。
そんな風に誤解するのはもうやめにしませんか?
「千の風」という本や歌は多くの人が知っているはずです。
眠ってなんかいませんよ。
実際は死んだ人こそが この地球に残してきた人たちに対して この世界で苦労を続けることに同情しているようです。
幼い子供を残して早く亡くなった親が 子供に対してそのように詫びているのを聞いた覚えがあります。
真実は私たちの想像とはまったく逆で 彼らは天国で喜びに満ちているようです。
なんといっても人生ゲームの仕組みの全容がわかること 周りの世界が物質の世界から波動の高い霊的な世界に移ったこと 地球上では学びのためのツールとしての 各種の障害や出来事(災害も含めて)の質が強烈ですが そういうことから解放されることなどもあると思われます。死は真相を知っている人たちにとっては 本来はお祝いをすべきもののようです。
しかし亡くなった人たちも 当面の地球での人生ゲームを完成させるために すぐにまたこの地球に戻って 別の人間になって再び新な価値観の体験を続けることをするようです。
また天国といっても波動が更に高い世界は いくつもあって 今やっている地球での人生ゲームをすべて終えても さらに高みを目指して あらたな体験を続けていくようです。地球は典型的な物質世界でほんとに初歩的な学び 激しい学びをするところのようですが そこに魅力を感じる魂もたくさんいるように思われます。それだからこそ逆手を取って できるだけ成長し ここでの生活を楽しみに変えていく面白さが生まれるのではないでしょうか?
(続く)
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