今回はちょっと休憩しながら考えてみましょう。
自分の魂が私の死を決定する?とはどういうことでしょうか?
本当の自分が魂というのであれば 今の私の意志で自分の生死をコントロールできないってことがあるんでしょうか?
それなら今の自分はいったい何者なんでしょうか?
私たちは今 「自分意識」というものを持っています。だから自分だと感じるのです。 でもそれは以前に申しましたように魂そのものではありません。精霊です。天使です。肉体に対して精神とも呼ばれます。
天使は魂より波動がかなり低いエネルギーのようですが それは成長していくプロセスを味わうためには それが望ましいからそういう仕組みに設定してあるようです。しかしそうは言っても天使は霊的な生き物であり 物質である肉体よりはすごく成長度の高い生き物なのです。
そしてその成長していく役割を引き受けているのが私たち天使です。それが今の私たちの姿です。
私たちは本来は魂ですが 少なくともこの人間ゲームをする間は
「魂ではない何か」になる必要があったのです。「本当の自分」を知るためには 「本当でない自分」を造って体験する必要があったわけです。そして一見自分ではないように見える他人というものも創ったのです。そういうものと自分を比較できるようにしたのです。
もともと魂が人間ゲームを始めた目的は 自分自身を体験的に知るためです。それで自分を知るためには「自分でないものになる」必要があったわけです。その自分でないものをここで演じることになったのが 天使です。
また一方で天使は決して魂のためだけにそうしているのではなくて 自分のためにやっているのです。
それは自分が成長したいからです。
自分が最後は魂のレベルまで成長したいからのようです。
また魂の方でも 天使を成長させるという「大切な役目」があります。
すなわち天使と魂は 互恵の関係にあるわけです。お互いの利益のために助け合っているようです。
しかも天使はこのゲームの中では 自分が何者であるかを忘れることに同意しました。自分が何者かを忘れない限り ここで人間ゲームがてきないからです。最初から答えがわかっていては ゲームにならないからです。
ですから魂が本当の自分であるといくら言われても実感がわかないのも無理はないのです。
そうして自分が定期的に死ぬ(本当に死ぬことはあり得ないので肉体を脱いで元のエネルギーの姿に戻ってアストラル界というところに戻る)ことによって 自分で今やっているゲームの答えや進路を確認でき そして次の人生に備えるようです。(エリザベス・キューブラー・ロスさんがいうように 生と死を繰り返すことによって 人生のいわば車輪の上を 車輪のリムと車軸の間を往復しながら そしてリムに沿って 順繰りに回りながら進んでいく。そしてらせん状に進化し成長していく ということのようです。)
如何でしょうか?
宇宙の中の 今の自分のGPS情報のイメージが掴めましたでしょうか?
すでにご存知の方も多いと思いますが・・・。
(続く)
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