幼い子供たちが思いがけない事故などで亡くなることが増えていて人々の悲しみや恐怖を呼び起こしています。
脳や身体や自我意識で生きているこの世の私たち人間にとってはこのような出来事は理解を超えているといえます。
関係する人々は 自分を責め 他人を責め 社会を責め 亡くなった人たちが望んでいるように再び前向きに生きれる自分が取り戻せるかどうかわからなくなってしまいます。
これは魂としての理解に努めるしか道がないかもしれないように思えます。
人間の死ぬ時期については いつどこでどのような方法で死ぬかは魂が決めていて 肉体もスピリットも原則としてそれに従っているようです。
ですので ここで生きているのは「自分という意識」だけではなく 魂の意識も一緒です。そして魂が人間の生死を決めているようです。
この地球上で魂が人間の形を採用している理由は 全体という意識の世界から離れて 他人に対して自分という個人の意識を持つためのようです。
自我意識が自分個人という意識を持って 自分や他人を判断したり裁いたり「できる」ためです。
そしてそれらの思考や判断の結果として それに見合う状況を引き寄せて 苦しんだり悩んだりする体験をしているわけです。
そういう「仕掛け」によって 「自我意識の成長」が体験できるようにしてある ということのようです。
魂はその自分意識の成長をただ観察するということのようです。
でも魂としても経験を積めるわけです。
早くこの世を去る人たちは いくら短い人生でも魂レベルでは意味のある人生を歩める人たちであり 「ただ短い人生を歩む」という体験を当初から決めてきた人たちです。もちろん当人の学びだけではなく 家族や周りの人々への「魂への目覚め」を促すという重要な目的も含まれるようです。
たくさんの人生を歩むのですから いろんな人生を選ぶわけです。生まれてすぐ死ぬような人生もあれば とてつもなく長生きの人生もあります。しかし
その人生をどの様な方法で終えるのかという問題は本筋とは別の問題のようです。事故に遭ったから死んだのではなく 今回の人生を終えるにあたって事故という手段を選んであったというのが真相のようです。
後に残された家族や当事者の人々も 魂レベルではこの出来事が起きることは理解したうえでこちらに来ており その人たちはいずれ死後にはまたあちらで再会することになるようですが ただそうはいっても その人たちもそれぞれの魂が計画しているこれからの地球上での人生と成長があり それに沿って歩み続けることになるようです。
このように自我意識のレベルと魂意識のレベルはまったく違うようです。
(続く)
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