人生は必ず何とかなるということです。
しかし人生はなるように[しか]ならないと考えますか?
そうではなくて 「必ず何とかなる」というポジティヴな意味なのです。それを知っておくことは救いになります。
人生は偶然の産物などでは全くありません。
しかも自分の魂 いいかえれば神の分身が今回の自分の生きる人生の筋書きを創ったのです。
そして「今の姿 今の自分のあるがままの状況」が その神の分身が「体験したいと思っていた」状況なのです。過去の出来事もそうです。シナリオのレールから外れたことはないのです。
自分の自我意識はそんなこと知りませんから いつもただ不満とか 不運だけが目につく傾向があります。魂は自我意識がそういう思いを持つことがよくわかっています。
それこそがこの人生ゲームの「からくり」の出発点なのです。
最初からすべてわかっていたり 最高にハッピーだったらゲームが成立しません。
基本のシナリオは神のレベルである魂が創っています。今回の人生が始まる前に 今回はこんなことに焦点を当てた体験をしてみたいな~と決めてきているのです。
そしてこちらの世界にやって来て 人間という特殊な入れ物に入って(あるいはつながって)そのシナリオに沿って生きているのです。ちなみにあなたの両親だってあなたが選んだのです。今回のシナリオにはこんな親が役立つと思って・・・。
そしてその人間という入れ物には自我意識というものを持たせてあって 日常はすべてその意識の考えで動いているのです。あなたがそれを自分だと思っているのです。魂は死ぬことや挫折などは恐れたり心配したりしていないので 人生の中にいろんなショッキングなことを盛り込みます。ところが自我意識にしてみれば予期していないので 大変なショックを受けるのです。
そして自我意識は人生っていったい何なんだと考え始めます。
それが魂の望みです。自我意識に気付いてほしいのです。
じゃー人生っていったいなにをしようとしてるのか?
精神的な成長です。
そのためには まず自我意識が苦労する状況を魂が創って そこから自我意識が成長していくようにしてあるのです。いろんなことに気付いて成長していくように・・・。
人生というプロセス それは気づきのプロセス 成長のプロセスです。そういうふうにつくってあるのです。
最初から幸せなら誰も思うようには成長できないでしょう。
自我意識が成長するためには 赦すことを学んでいく というプロセスが役に立つのだと思います。
魂はすでに成長している存在だから成長が出来ないのです。
その点 自我意識は相当に「成長していない」から 「相当に」成長できるのです。
これが大事なことだと思うのですが したがって自我意識が感じるレベルは魂とは(この世では)大きな違いがあるようです。だから人間にはわざわざ自我意識というものを「持たせてある」のです。
ツールを与えてあるのです。
あなたの魂はあなたに学んでほしい 成長してほしい(できることなら)と思っているだけです。そして魂自身もあなたを通じて現場の体験を増やしています。
したがってあなたが見捨てられるなどということは決して決してないのです。しかしあなたがそう思うのも「想定内」なのです。
もっと知りましょう。私も勉強中です。
そしてもっといい方に前向きな方に楽な方に進みましょう。
テレビでもしょっちゅう報道されています。
悪や事故などというものがあって 罪もない人々が殺されたり大変な目に会っていることが・・・。(ただし なにごとであっても被害者のように見える人々は 他の人々に精神的成長への目覚めを促すという重要な使命を果たしていることを決して忘れてはならないと思います。)
また いろんな呼び名の詐欺に会って大変な目に会っている人たちもいます。自然災害だってそうです。これからもいろんな大災害が予想されています。それに ある日突如がんだといわれるかも知れません。何も知らずに恐怖におびえながら生きていくのが人生でしょうか。それが人生でしょうか?
嫌なことはただ考えないようにして 気を紛らわすために忙しくしてるだけの人生でしょうか?
日常をどういきたらよいのか? 答えははっきりしています。
「自我意識でなく魂の視点でものを見る」ように努める・・・だと思います。
魂に戻ることを目指しているのだから できるだけ魂のマネをしてみよう 魂の目で見てみよう・・・ということも有力だと思います。
魂はいつも喜んでいるから 自分も今日一日喜ぶことを重視してみよう。喜ぶために過ごしてみよう。家族や他人に対しても喜ばすことを重視してみよう。などと考えるのは役に立つはずです。
そう思えるようになって 否定的な態度が減って肯定的な態度が増えた。自分にも他人にも優しくなった。人にも(なにかを)あげられるようになった。分かち合いということがだいぶわかるようになった。自分について正直になった。
あるがままを受け入れる 許せるようになってきた。良くても悪くても「これが自分だ」と思えるようになってきた。気に入らない自分あるいは他人 気にいらないできごと などにあまりこだわらなくなってきた・・・見えない裏側の世界ではどうなっているのだろう・・・などと 視点が前と変わってきたようだ・・・などなど。
(続く)
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