考えてみますと 私たちはどう生きたらよいか 詳しく教えてもらった記憶がないように思います。学校でも親からも社会からも。みんなそれぞれが独学で試行錯誤的に学んでいるんですよね。
じゃどうしてあちこちで気の合う人たちでグループを創って教え合ったり学び合ったりしないのか不思議に思います。その方が楽しみながら学べますよね。人には成長のレベルがあって なかにはすでに相当成長している人たちが沢山いるようです。たとえば先日テレビで初めて「ミヤゾン」さんを見ました。
私は彼のことは全く知らなかったのですが テレビを見ていくうちに 彼がそうとう成長した人だということがわかってきました。こんなに成長した人は 彼自身が楽しむだけでなく 周りの人たちをも楽しませてくれます。そして生きる勇気を与えてくれます。全部自分の力で生きなくても良いのです。自分より成長している人の力を借りるのです。そして他の人たちとも助け合うのです。
みんなが大なり小なり自分のレベルでミヤゾンのようなレベルを目指すようになれば 世の中全体が明るく楽しくなります。人助けの輪があっちにもこっちにも広がります。より成長した人たちは身近にもたくさんいます。その気になれば見つかります。ただ世間的にいう「偉い人」達とは違います。考え方や生き方がかなり進化している人たちです。
私たちは基本的に他人との間に垣根を創ってしまうように出来ているので 多くの人が一種の引きこもり状態になっています。 なかなか助け合いが始まりません。私自身 性格 それは私自身ではなくドラゴンの性格なのですが 自分をさらけ出すというのが恥ずかしいという思いが強かったのです。このブログも始めるまで長いあいだ躊躇しました。自分を明るみに出すことを恐れていたのです。 多くの人たちが少しづつでも正直に自分についてカミングアウトするようになると 皆へのそして何より自分自身への助けになるでしょう。
では私たちがふだんこの世でしている体験とは なんでしょう?
主なものには
自分を愛さない体験
他人を愛さない体験
自分を許さない体験
他人を許さない体験
根底では自分は愛されないという思い込みを体験
根底では自分は許されないという思い込みを体験
根底では孤独だという思い込みを体験
など。多くは自分のドラゴンがそういう体験を可能にしてくれています・・・。
私たちはたいていは無意識状態でこれらのことをしていて 自分がしていることに気付いていることは成長のためには大変に重要なことのようです。
また自分が未熟で不完全なことにほとほと嫌気がさしているということはないですか? しかしそれは人間としてごく自然なことだと思います。ではなぜそんな未熟で不完全などという思いが生じるのでしょうか? それは私たちがどこかで完全で幸せ一杯の存在だったことをそれとなく覚えているからだと思います。
次回はどう生きたらいいのかについて掘り下げてみたく思います。
(続く)
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