妻に踏みつけにされ自分名義の新築自宅も給料も子供も奪われ…全喪失の50代男性が今、幸福に包まれている訳
2025/02/13 10:15 PRESIDENT Online 掲載
かけがえのない家族のために働く。こんなやりがいのあることはないが、その家族によって苦しめられ、自分の仕事キャリアや人生が瓦解してしまうケースもある。組織と人の最適化の専門家である人材定着コンサルタントの川野智己さんが個別指導した、妻と義実家に人生を台なしにされた50代男性の事例を紹介しよう――。
■仕事のキャリア形成を阻む“ファミリーストップ”の恐ろしい実態
高林健二さん(仮名・54歳)は、ある地方都市の紳士服店で店長として働いていた。資産家である地元の名家の娘と30代半ばで結婚して20年。2人の子宝に恵まれ、幸せな家庭を築いていた。
一方、勤務先企業の経営は厳しい状況だった。少子化やリモートワークの波が地方都市にも押し寄せ、店舗の売り上げは伸び悩んだ。
高林さんは、長時間労働で安月給でありながら、30年間勤務してきたのは、ひとえに「家族のため」だ。幼少のころから、両親の折り合いが悪く夫婦げんかが絶えない家庭で育った。だからこそ、「自分は幸せな家庭を築きたい」との思いを強く持っている。
実は結婚前から妻の実家である義父母、義兄の猛反対にあった。義父母は娘の結婚相手に向かってこう罵った。
「貧乏人のもとには嫁がせられない。娘を良家に嫁がせる夢があった。私たち夫婦の夢を壊すのか。人の気持ちがわからないのか」
耳を疑うような暴言だが、妻を愛していた高林さんはぐっと堪えた。最終的には、ある条件をのむことで結婚は許された。それは、「(妻の)実家の近くに家を建てること」「(高林さんの)両親とは同居しないこと」「娘とあなた(高林さん)の両親とは没交渉とすること」。
これを自分の両親に話した際に「おまえ(高林さん)が幸せになるなら良いじゃないか」と快く承諾してくれたものの、母親の悲しそうな表情を高林さんは今も覚えている。
結婚後、専業主婦の妻は近郊の実家に毎日入りびたり、子供はすっかり義父母になついた。給料は全て妻が管理し、自分は毎月3万円の小遣いを渡される生活が続いていたものの、かわいい子供たちに囲まれた日々に幸せを感じていた
家族のために働くことは、家族の気持ちを事前に察し、伏して従うこと。高林さんは、いつのまにか、そう思い込んでいた。今思えば、マインドコントロールであったのかもしれない。
「自分さえ我慢すれば丸く収まる」と言い聞かせたが
「あたしが何を怒っているかわかる?」
定期的に妻から無視された。その無視の2週間後に、必ずこの言葉から始まるメールが送られてくる。そのたびに激しい動悸に見舞われたが、それでも「自分のどこがいけなかったのか」と懸命に考えて過ごした2週間、その答え合わせが妻からメール文面で送られてくるからだ。
その答えのほとんどが「アタシへの感謝が足りない。気持ちを分かっていない」といった内容だった。その言葉は、その晩、帰宅後の夜中までつづく説教のプロローグを意味する。高林さんが帰宅恐怖症という言葉を知ったのはちょうどその頃だ。
高林さんは、自分を責めていた。なによりも「家族の気持ちを分からない父親として失格の烙印を押されたくない。幸せな家庭を維持するには、指摘を受けたとおりの良き夫、良き父親であらねばならない」との焦りが冷静な判断を阻んでいたと、今は分析している。
誰かに相談するにしても、男が家庭のことを口にするのは、格好悪いと感じていた。しかも、どうせ笑い話としてまともに受け取ってもらえないと懸念もしていた。
「自分さえ我慢すれば丸く収まる。家庭内で居場所を失いたくない。家族のための父親・夫でありつづけなければならない」
と、考えると自然と心が落ち着いていった。
そのうち、勤務先の業績はますます悪化し、人員削減が行われていた。
「このままでは倒産する。そうなると、かけがえのない家庭を失うことになる」
危機感を募らせていた高林さんの元に、地元の介護施設から事務長として迎えたいとのスカウト話が舞い込んだ。懇意にしている顧客からの紹介だった。彼の丁寧な接客を評価し、クレーム対応や職員のマネジメントを任せたいという。定年も70歳だ。
高林さんは、人に感謝される業界であり、自身の強みを発揮できる介護という仕事に魅力を感じた。給与は多少下がるが、倒産しそうな勤務先にしがみつくよりも、中長期的にみれば、キャリアチェンジとして転職するのは合理的な判断だと考えた。
ところが……。
「いい加減にしてよ! 家族の気持ちを考えたことがあるのか。給与が下がるなんてあり得ない。これまで、アタシの実家が、どれだけ生活費を援助してくれていると思ってるの! それとも実家の資産を頼ってるの? 名前も知らない介護施設なんて。下の世話をする仕事なんて考えられない」
妻は、転職話を突き返した。この時ばかりは高林さんも強く反論した。将来の家族の生活がかかっているからだ。しかし、横で子供たちが泣いている。夫婦仲が悪いことで子供たちが苦しんでいるのだ。彼が最も避けたい状況であった。
「ほうら、子供たちも、父親不信に陥ってる。アタシも心の整理が付かない。しばらく、あなたは実家に帰りなさい」
妻からの理不尽な厳命であったが、家庭に波風を立てたくない高林さんは従った。短期間で家族の感情が落ち着けば元の鞘に戻ると楽観していたからだ。妻を怒らせたのは意向に反して反論したことだとの自覚もあり、かつ、妻の言うとおり子供らが傷ついているなら、家族の意向のとおりに従うのが家族としての義務だとも感じたからだ。
しかし、想定外の事態が待ち受けていた。
3500万円で購入した自宅もお金も子供も奪われた
ほどなくして玄関の鍵は変えられ、高林さんは自分の名義でありながら自宅に戻れなくなったのだ。別居中も、引き続き彼の給与の管理は妻が行い、毎月、生活費として8万円が妻から振り込まれるという生活が始まった。それすらも「金遣いが荒い」として送金が止められ兵糧攻めにされていた。
義兄からは、電話でこうも言われた。
「早く妹に詫びろ。家族の金を使うな。給料を全部差し出し、おまえは死んだ自分の父親の遺産で食っていけ」
別居生活でも、日々妻からのメール送信は続いた。「私にお詫びしてよ。家族を虐める父親として精神科に通院し診断書も送れ」と。さすがに従わないでいると、否応なしに着払いで衣服が送られてきた。それは「もっと、別居生活を続けろ」と暗に意味していた。
その3カ月後、施設に入っていた高林さんの母親が亡くなった。あの悲しい表情をした母親だ。妻は言った。
「けじめとして子供を連れて葬儀に参列はします。その代わり、私と子供を傷つけたお詫びをしなさいよ」
高林さんは、淋しい思いをさせた母に最期に孫に会わせてやりたかった。本意ではないが、母親が焼かれている火葬場で妻子にヒレ伏して詫びた。
これで自宅に戻れると安堵した高林さんのもとに、さらに結婚式のアルバムまでもが着払いで送付されてきたのは、葬儀の一週間後のことだ。後に、義母から「火葬場でのお詫びの時間が短かったと娘が言っていたので駄目みたいよ」と知らされた。
その後、「家族の意向」として離婚を申し立てられ、高林さんは、離婚成立までの間も、生活費と妻子が住む自宅の住宅ローンの合計25万円を払いつづけた。
自分名義でありながら住むことを許されない自宅のローンを払わされ続けていたのだ。離婚後は、3500万円で購入した住宅ローンの残債の支払いを強いられたうえ、2人の子供たちも、そして家財道具一式含め大切にしていたマイホームも、妻の手に渡った。不倫などの落ち度はなく、離婚時の財産分与は夫婦で2分の1となるはずが、妻と義実家からの烈火のような攻撃で身体的にも精神的にもまいってしまった高林さんは冷静な判断をすることができず、ほとんど相手の言いなりだったのだろう。「2人の子供を不幸にしたくない」そんな思いもあって、すべてを失ったわけだ。
妻がなぜ実家近くに家を建てさせたのか、自分をマイホームから出て行かせたのか、多くの謎が解けた瞬間でもあった。
別居中、勤務先の紳士服店は買収され消滅した。あのときの「家族の意向」は間違っていたのだ。キャリアチェンジできていれば路頭に迷うこともなかったはずだと、いま、高林さんは転職希望を貫けなかった自分を激しく悔いている。
離婚によって、将来受給できる(結婚期間の)年金額が半減する事実も知り、「結婚して家庭など持たない独身のほうが豊かな老後を過ごせたはずだ」と、なぜ、20年もの間、偽りの家庭生活を必死に守り続けたのか……いくら考えても答えは見つからなかった
愛する家族の意見に翻弄され、人生が台なしになる
筆者は仕事上、高林さんが喫してしまったような「失敗事例」を他にもよく知っている。
転職などキャリアチェンジをする際、家族の「意向」は最優先事項のひとつだろう。だが、その内容は時として短期的な判断がなされ、中長期的な視野に欠ける面があり、憶測や保身を孕む場合もある。そのため、現状維持を最優先としがちだ。
まして、高林さんの事例のように、配偶者の非論理的で一方的に生み出された感情「家族の気持ち」に振り回されることもある。説得は容易ではない。
これを、筆者は「ファミリーストップ」と呼んでいる。
本事例とは逆に、妻のキャリアチェンジを夫が強硬に反対して、女性の活躍を阻害するケースも数多く存在する。
家族の意向を尊重することは大切だが、どんな仕事を選択するかは最終的には自分が責任を持って判断しなければならない。反対を押し切って進んだ道で成功すれば、結果として「家族のため」になるからだ。
聞けば、高林さんは、家族だけではなく上司の顔色も窺って生きてきたという。会社でも家庭でも「自分の軸」がない人が成功を収めることは難しい。「家族(会社)のため」は一見、他者を思いやった言葉だが、そこに思考停止がなかっただろうか。
キャリアの世界では、「CAN」「MUST」「WANT」の円を描かせ、その重なり合う箇所を自分の目指すべきキャリアと位置づけている。しかし、現実にはもう一つキーワードがある。
「MAY」だ。これがクセモノなのだ。他人の気持ちを斟酌する推量「かもしれない」や、疑問形では承諾を得る「してもよいですか」を意味しているこの言葉をさらにかぶせることで、結果的に、重なり合う箇所=自分の進むべきキャリアの範囲を極端に狭めてしまうこともしばしばあるのだ。
高林さんは、離婚後、介護資格を取得し、今は高齢者に感謝されながら生き生きと働いている。ようやく、自分のことは自分で決められる人生を手にしたのだった。それは、自分を縛ってきた「MAY」を取り払い、自分の人生を描く筆を他人から取り戻したことでもあった。
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川野 智己(かわの・ともみ)氏。人材定着マイスター/講演・研修講師/作家
大正製薬、大手教育団体を経て伊藤忠アカデミー教育マネジャー。国内グループ企業対象の人材育成責任者として、後の伊藤忠商事躍進の礎を築くうえで大いに貢献する。その後、大手人材紹介会社教育研修部長として離職防止・人材定着に取り組み斡旋人材の離職率を44.0%から9.1%に飛躍的に改善。現在は、「辞めるを科学する」を標榜し、年間100件ほどの講演・研修に登壇、併せて、当サイト、AERA dot.および専門誌等で執筆。東洋経済新報社から商業出版決定。朝日新聞他マスメディア取材多数
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