ここのところ朝起きると日差しがまぶしいなと思うことが多くなった。夕方雨戸を閉ざす時も、大分明るくなったなあと思うことがある。
今年もまもなく四分の一が過ぎようとし、春がもう始まっている。
土手では菜の花が黄色い声を発し、近くの公園では桃の花が恥じらっている。庭では椿が開き、パンジーもハナニラも競って顔を見せ始めた。
多くの人にとってはうれしい季節なのだが、花粉症の友だちには気の毒な時期だ。
雨ならまだしも、良く晴れた日はほんとうに辛いらしい。だからそういう晴天の日はどうしても花や木などは下を向いたお話になる。
夜行性といわれていた頃だったら、早春から初夏へは夜が短くなり私は悲しんだりしたのだが、もうそれは昔のお話。
今ではあちこちに昼間は飛びはねて花を追い、景色を楽しみ、好きな川柳を詠んでいる。そして夜はおとなしくしている。いや、おとなしくしていたい。
そんな慌ただしい日々ならいいなあとは思っているのだが、実態はどうもそうではないようだ。
相も変わらずヒマな人。みんなにそう言われている。
ヒマな人に、自粛がさらに追い討ちをかける。
「つれづれ(61)春の日差しがさわやかです」
ある時
まあ、まあ
どこまで深い靄だろう
そこにもここにも
木が人のようにたつてゐる
あたまのてつぺんでは
櫓の音がしてゐる
ぎいい、ぎいい
そうかとおもつてきいてゐると
雲雀が一つさえづつてゐる
これでいいのか
春だとはいへ
ああ、すこし幸福すぎて
寂しいような気がする
「雲」 山村暮鳥