あべっちの思いをこめた雑記帳

以前の銀座は若い世代が多かったような

 東京パラリンピックが開幕した。
 先日のオリンピックに比べ競技の数も多くないのか、盛り上がりに今ひとつかける。コロナの感染者もその時に比較し、だいふ増えており、今後もより感染者数が増えていくことが懸念される。大丈夫だと楽観視する政府の会見はいかがなものか。大会開催が感染拡大の直接要因にはなっていないという政府の見解に、先を見てない、場当たり的な政策を感じる。

 緊急事態宣言下において、またいくつかの道県が追加され、日本列島これだけコロナ感染者が増えても政府はパラリンピックを開催している。ひと頃の数に比べればじわじわと人出は増え、感染者も増え、医療崩壊はもう現実に起こっている。経済という面から考えればこれはやむを得ないことなのか。そんなことはないのは、誰がみても一目瞭然だ。コロナウイルス感染に95パーセントの人が不安があるとある新聞社のアンケートに調査結果が表れている。これは率直な気持ちだろう。

 全国各地で緊急事態宣言中でありながら人出が増えていることは数字で明らかだが、首都圏でも確実に人出が増えている。渋谷や新宿も変わってきているが、それは銀座とて同じこと。
 五輪が終わり、バッハ会長が銀座をプライベート散策したのは、まだ記憶に新しい。今回はいくらなんでも都内散策は慎むだろうとは思う。間違っても京都へ行くなどとは言わないでほしい。

 先ほどの、その銀座を私が初めて訪ねたのは高校2年の夏だと記憶している。当時所属していた演劇部のメンバーと共に、劇場名も芝居の中身も忘れたが、有楽町や銀座界隈を観劇の後に散策した。
極端に言えば、中学生の時に親戚宅に何泊かお世話になりあちこち訪ねたことはあるが、それは何が何だかわからないまま連れられていたので、自分たちの意思で都心を歩いたのはこれが最初であった。

 学生時代から20代いっぱいは日劇、浅草国際、明治座、歌舞伎座、新橋演舞場、江東劇場などあるとあらゆる芝居や音楽関係のショーなどに出かけていた。半分は仕事であるが、それにしても半分近くがプライベートで出かけるというのは、この頃の自分には他に類を見ないほどの懲りようであった。

 社会人になってからは、それでも学生時代に比較して銀座を訪ねる機会は減ってはいる。東京にはちょうど30年ばかり勤務し、内勤でありながら外出や出張が多かったが、都心といえばかなりの数が銀座以外の地であった。
 取引先が銀座には少なく、あえてあげればいわき市にある大型リゾート施設の本社があったので、何回かは打合せで訪ねたのが特に印象深く残っているくらいだ。

 江戸時代から続く金座がなくなり、数寄屋橋も消えたが、銀座だけは今も元気に残っている。けれど、以前は若い世代が今よりももっと多く歩いていたような気がする。 

 その銀座をタイトルにした歌もけっこう浮かんでくる。「銀座の恋の物語」「二人の銀座」そして地名そのままの「銀座」。それから「数寄屋橋は消えても銀座は残る・・・」と浮かんでくる歌もある。
でも、やはり一番イメージにあるのは「銀座の蝶」だろうか。

 「ほこりまみれの 巷の夕陽 ビルにかくれりゃ 灯が点る・・・」。ヒット曲を数多く出した横井弘さんの詞だが、そのタイトルの通り、夜の銀座で接客する女心を見事にとらえている。それにもまして桜田誠一さんの曲がいい。前奏もすばらしいし、詞とも完全にマッチしていると思う。
 昭和33年(西暦1958年)4月発売だから、私はまだ小学生だったので、詩の内容も歌手などもまったく気にせず、ただメロディーだけが脳裏をかすめていた。そして師匠に仰ぎ、作詞家を志望していた時にはこんな詞も書けたらなあと未熟ごころに秘めて勉強していた頃をなつかしく思い出している。


   「童謡唱歌歌謡曲など(11)以前の銀座は若い世代が多かったような」

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