博多-長崎間の「特急かもめ」の国鉄時代の写真です。当時は佐世保行き特急みどりとこの肥前山口で分割・併合していました。(撮影:肥前山口)
東京からの寝台特急「さくら」も「かもめ・みどり」同様に肥前山口で長崎編成と佐世保編成を分割・併合していました。(撮影:門司(上)、東京(下))
さらに新大阪からの寝台特急「あかつき1号、4号」も長崎編成と佐世保編成を肥前山口で分割併合していました。
(撮影:博多)
東京からの寝台特急「さくら」も「かもめ・みどり」同様に肥前山口で長崎編成と佐世保編成を分割・併合していました。(撮影:門司(上)、東京(下))
さらに新大阪からの寝台特急「あかつき1号、4号」も長崎編成と佐世保編成を肥前山口で分割併合していました。
(撮影:博多)
このうち、かの有名な「あかつき2号、3号」は門司で分割・併合が行われ、長崎編成はそのまま鹿児島本線を鳥栖に向かうが、佐世保編成は折尾の短絡線経由で筑豊本線に入り、直方、飯塚に停車して原田まで筑豊本線を走破し再び鹿児島本線に戻り鳥栖から長崎本線に入るルートをとっていました。 経由が違うためこの区間の所要時間も異なる結果、鳥栖、佐賀、肥前山口の3駅にはあかつき2号、3号が約20分差で2度やってくることなり、この列車は西村京太郎氏のトラベルミステリーにも使われました。 左は当時の時刻表。夜行普通列車「ながさき」号も走っていました。この列車は寝台車を連結し、大村線経由で運転されていました。 当時は「ながさき」号の他にも 「はやたま」:天王寺23:00発-紀勢本線経由-名古屋12:57着 「山陰」:京都22:04発-山陰本線経由-出雲市9:48着 733M:上野22:11発-高崎線・上越線経由-長岡4:45着 441M:新宿23:55発-中央本線・篠ノ井線経由-長野9:49着 41列車:函館23:51発-函館本線(山線)経由-札幌6:52着 345M:東京23:25発-東海道本線経由-大垣6:59着 という夜行普通列車が定期列車として運転されていましたし、夜行急行はそれこそ亜幹線クラスの路線にまでたくさん走っていました。 結局、学生の頃乗れたのは大垣夜行だけでしたが、大垣夜行は飽きるほど乗ったものです。 |