山口建設

社長の独り言

第三回 妻と飛んだ特攻兵

2014年10月26日 07時53分57秒 | 日記

             神州不滅特別攻撃隊

     隊員は合計11名。

     ソビエトの戦車隊に特攻する若者が練習機を改良した飛行機で空に向かって

     飛びだったのは終戦後4日後の8月19日であった。

     飛行場の周りは取り残された満州開拓団が多数、日の丸を持って彼らの姿を見つめ

     ていた。

     当然、其の中に妻 朝子がいた。

     小さな飛行場は見送りに来る日本人で滑走路の周りはいっぱいである。

     遠い満州で、それも 守ってくれる関東軍がいち早く逃げていき、残された満州開拓の

     人は、わずか11名で自分達を守るべき特攻隊の飛行兵をどのように見えていたのか    

     想像出来る。    

     そして、妻、朝子は飛行機に搭乗したのである。

     多数の群衆が彼女の姿に気がついた時は眼の前に飛び去る徹夫の飛行機の後部席

     であった。

 

         「あっ、女が乗ってるぞ」

     眼の前の飛びだつ特攻機の中に女性の姿を見つけた時、群衆は驚いたに違いない。

     夫婦にどのような話があったのかは解らないが、故郷 青森から空襲のさなか

     危険を侵し、満州の夫の元へ、わずか2ヵ月の新婚生活。

     終戦間近の戦局の中で2人でゆっくりは話す時間が無く、ようやく2人で一緒に

     永遠に暮らせる世界に共に飛びだったのある。

 

               


第二回  妻と飛んだ特攻兵

2014年10月25日 08時42分57秒 | 日記

 彼と妻の出会いは彼が飛行訓練に行った福岡である。母親の遠い親戚が妻、朝子で、

年は彼より二つ上、当時、徹夫二一歳、妻二三歳。

結婚まもなく、彼に満州への出征命令により、妻を故郷に置いて一人で戦地へ。

昭和二〇年、朝子が本土空襲で日本が危険な中、ただ一人で青森から汽車、船を乗り継いで

挑戦、そして満州へ。当時の彼の上官から徹夫に家族を呼び寄せていいとの許可が出たのである。

ようやく、二人だけの新婚生活が始まったがしかし戦況はますます悪化。

そしてポッダム宣言を受諾。

解体された関東軍、姿が見えない関東軍、。残された満州開拓団。

忍び寄るソビエトの軍隊。

彼らを守る関東軍の姿が見えない中で、多くの日本人の悲劇が始まった。

特に女性に対してこれから始まる悲劇に対して、集団自決、又  妻、娘への強姦を

恐れ、現地での自決等が起った。

 

そんな混乱の中で、当然 彼の所属する航空隊でも、徹底抗戦するべき意見がでた。

そして、神州不滅特別攻撃隊が結成された。

 

 


妻と飛んだ特攻兵    第一回

2014年10月24日 09時45分06秒 | 日記

        

                  最近読んだ本の題名

 

 

               

 

               思わず、手にとった、、、

 

            特攻兵が飛行機で体当たり。。。それも妻を同乗して、、

 

      読みながら体が震えてきた。

      戦争終結の満州で、それも、日本がポッダム宣言を受けて四日後

      国境からソビエト軍隊が日ソ平和宣言を破り、戦車先頭に攻め込んできたさなか、

      開拓民の日本人を守るべき、関東軍は逃げだした。

      残された難民の悲劇はかず多くある。

 

    東北出身の谷藤徹夫は故郷青森田辺町で生まれ、当時の若者が憧れた飛行機乗りで

    出征。

    それも 日本軍が南国島国で、アメリカ相手に敗北を重ね、本土決戦を考えた頃、

    満州の関東軍は陸軍でも飛行部隊を持つべき考えで、若い青年を召集した中に

    彼がいたのである。

 

                

 

        当時の日本はミッドウエイー海で空母四隻を失い、優秀な飛行兵も海の

        藻屑となり、当然、陸などの島々もアメリカ軍の圧倒的な軍力により敗北に

        敗北を重ね、多くの兵隊が南の島に土に帰った。

        そして、満州では、、、

 

 

 

                   


御百度参り

2014年10月23日 06時52分41秒 | 日記

 

聞いた事が有りますね。

何か大事な願い事があるとき、神社で100日間毎日お参りするすることです。

 

        この白いお墓みたいな石は?

 

                     

 

               横の看板には

 

                 

 

               この場所を起点として昔は御百度参りをしてましたが、

               今では100日間では無く、1日で100回のお参りで

               お願いが叶う方法です。

 

                 そんな神社が水道橋の駅の近くの

                    

 

                    

 

              三崎稲荷神社

 

              線路のすぐそばのビル群に囲まれて

 

                      

 

 

                 水道橋駅のすぐそばにあの有名な神田川

 

                    

 

                   橋には名前の由来の看板が

 

                     

 

                                

 

                     

 

           色々な名前の由来を調べると、昔の時代にタイムスリップ

                   


四谷駅付近、、

2014年10月22日 07時52分02秒 | 日記

 

          ちょうど四谷で打ち合わせが。

          そして、終わったのが昼ごろ、

 

                 

          周りはビルだらけ、どこかに食べるところは

 

                 

 

           お腹の虫が  グーグー。

         ネクタイしたサラーリーマンがゾロゾロ歩く方向に付いて行くと

 

                    

 

     両側にはお店がだらけ、

 

               おいで、おいでの匂いと、そして これでもかと看板が

 

                     

 

                

 

                    

 

                      

 

                    

 

                      

 

                どこまでもどこまでも

 

          狭い道に、

                    

                      

 

       この界隈に、昼は昼で そして夜はお酒片手にいっぱい、、

 

 

               あまりにもお店が多く、中も人で混雑で  

           お店の誘惑を振りきって 駅から離れたこの店

 

                   

 

 

               そして 注文したのがこれ

 

 

                               

 

 

   依然、一度食べて好きになり、

   トマトがゴロゴロ、酸っぱいスープと麺がなんとなく口の中で仲良しに

             ラーメンとは思えないラーメンでした。